水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

海外雑誌でのニュース 1

 私の定期購読している専門誌はドイツ・ノルトライン・ウエストファーレン州自然保護・環境保護局の雑誌 ”ノルトライン・ウエストファーレン州の自然(Natur in NRW)です。既にこれまでにも幾つか研究事例をブログに報告してきた季刊雑誌で、先般今年の4号(4/2018)が来ました。

主要テーマは①NRW州におけるオオヤマネコ(Lynx Lynx)の現状、②NRW州における両生類イモリのペスト病 ③工業地帯における水辺再生のモニタリング④農業と種多様性です。その4編の特集報告の前に情報欄があり、興味深いニュースがありましたので書いてみます。

 その一つは2019年の鳥に「ヒバリ;Lerche」が選ばれたことです。

ドイツ自然保護連盟(NABU)とバイエルン州支部(LBV)が、2019年の野鳥に「ヒバリFeldlerche」を決めました。この鳥の選定の背景は、ヨーロッパレベルでの農業政策にも関連しており、同時に農村景観の在り方にも大きく関係しています。ヒバリはすでに1998年にも「年の鳥」に指定されましたが、その意義が十分理解されていませんでした。ヒバリは「上げヒバリ」で示されるように「空高く一直線に上って囀り」、また、冬まき小麦、菜種、トウモロコシの栽培の農地に生息、多様な昆虫類の生息する野草地が減少する中、生息数を減らして来ています。ドイツでは1.3~2百万か所の保護地に生息していますが、過去25年間で1/3に減少、1990~2015年間では38%に減少しているとされています。NRW州では、過去25年間で半減(50%)、凡そ10万のつがいになっており、2016年から繁殖鳥のレッドリストに上がっています。

 このように、ドイツではその年の鳥や樹木、草などを決め(他にタゲリやライチョウ、ミズナラやハンノキ、ボダイジュなど)、保護や保全の対象とし、同時にその生息域、景観、環境を保護する方針を打ち出し各方面で対策を講じて来ています。

麦畑の中に特定の大きさ(4m×2m)の区画(空き地)を作りヒバリの繁殖場所(畑の額縁作戦)とする事例。

 

 日本でも都市周辺の農地や農村の畑地と関連して、タゲリやヒバリが生息・繁殖できる空間(田形や草地)が極端に減少、野鳥の生息域が無くなったり消えたりしています。季節に応じた野鳥の生息、その景観が見られなくなって来ています。

 緑のオープンスペース(とりわけ農耕地)の重要性は、「空地」という空間性と同時に緑の場所(生産と協調した)土地利用の大切さ、自然保護や野外活動の対象として見直すべきでしょう。

これまでにも日大造園研究室では、葉山先生指導の下、引地川や相模川沿いの農耕地でタゲリやヒバリの生息状況を調査研究したことがありますし、境川ではツバメの塒にかんする調査研究もありました。

 

五島美術館における展覧会と茶道

 今回鑑賞した展覧会・特別展は「東西数寄者の審美眼」と銘打たれ、日本の東西の鉄道王と言われる五島慶太小林一三が蒐集した(絵画から茶道具まで)100点に及ぶ品を展示していました。言わずと知れた五島慶太東急電鉄小林一三阪急電鉄や宝塚の生みの親、その生涯で二人は茶道を通じ、五島は古径楼、小林は逸翁の号を持ち親交を深めたとあります。現在も二人の収集品は、それぞれ五島美術館東京;世田谷上野毛)、逸翁美術館大阪府池田市)で東西に分かれ展示公開されています。

 五島美術館は、かの有名な建築家・吉田五十八が設計、1960年に開館しています。この美術館は五島慶太が蒐集した、国宝「源氏物語絵巻」ほか5000点余の収蔵品を所蔵していることで有名です(関連・参考;益田孝、高梨仁三郎コレクション)。

 美術館の敷地は5000坪(1.65ha)にも及び、造園家にとって垂涎の的、南に開け富士山が眺められ、眼下に水面が輝く多摩川の清流を望む、国分寺崖線上に位置しています。緑豊かで眺望に優れ、以前は湧水にも恵まれた山紫水明に優れた場所。残念ながら今、湧水は見られないようですが、眺望や四季の緑の変化、静けさは得られます。 

 秋の紅葉が見事な中で展覧会を堪能しました。

 

 この展覧会では、絵画・書、陶芸、漆芸、茶会に区分され100点におよぶ展示物がありました。その中でも、特に目を引いたものは以下の通りです(逸;小林一三、五;五島慶太の収集品 太字は重要文化財)。

絵画

三十六歌仙藤原高光、逸)、(三十六歌仙清原元輔 五)、大江山絵詞 逸、豊臣秀吉像(狩野光信筆)逸、 紅葉流水図(尾形光琳大胆な構図と配色)五、

嵐山春暁図(円山応挙)逸、奥の細道画巻(与謝蕪村)逸、檜蝉図(谷文晁)逸、

陶芸

井戸茶碗(美濃)五、鼠志野茶碗(峯紅葉)五、 黒茶碗 七里(本阿弥光悦)五、

色絵竜田川文向付(尾形乾山作)五、 色絵菊文向付(尾形乾山作)逸、

茶杓千利休作)五、

 茶道に造詣の深い古径楼と逸翁。二人の書簡も含め収集品の素晴らしさに感嘆し、またそれを具体的に生活の中で表現し、茶会が開かれた時代、社会、環境(庭園も含め)を同時に鑑賞、知ることができたことは大きな喜びでした。庭園を散策しながら大都市近郊に私鉄の網を整備した先見性、それと同時に茶道を極め親交を深めた両雄の功績は、今もその輝きを失っていないことには驚きを隠せません。

 自分の心の中に大きな空洞ができ、空しさや寂しさが漂う中、静かに庭園内の自然を味わい、その空間的拡がりと茶道を通じての世界観、時代の先見性などを知るところとなり、大きな癒しの時間を持つことが出来たことに満足しました。

 

横浜山手西洋館のクリスマス装飾

 横浜山下公園から続く海の見える丘公園、それに続く外人墓地や丘の上に連なる洋館と屋敷の緑。例年、クリスマスが近づくとそれぞれの洋館で世界各国のクリスマス装飾展示が開催されます。ここにある8つの西洋館を指定管理者として維持管理・運営しているのは公財「横浜市緑の協会」です。山手111番館、横浜市イギリス館、山手234番館、エリスマン邸、ベーリック・ホール、外交官の家、ブラフ18番館、旧山手68番館の8館です。

それぞれの館では、ヨーロッパの国を選んで、その国のクリスマス装飾を展示(選ばれた装飾家、団体が担当)し、旧洋館の雰囲気を生かしたクリスマスの飾りつけを魅せてくれます。

 クリスマスの時期に家庭における西欧のクリスマスの飾りつけ展示が、毎年、この歴史ある西洋館で実施されてきており、家族で見に行きました(添付写真)。

 館と国は、エストニア(山手111番館)、イギリス(イギリス館)、イタリア(山手234番館)、モナコ(エリスマン邸)、ドイツ(ベーリック・ホール)、スペイン(外交官の家)、フィンランド(ブラフ18番館)、エクアドル(旧山手68番館)の8か国でした。

 家の間取り、部屋の作り・大きさ・用途、窓の外など色々条件を重ね合わせ、部屋の部分、調度品周り、机や椅子の上、暖炉周り、窓など各部分を草花はじめ民芸調度品などで飾り、またメインの食卓はハレの日を飾る統一された食器を並べ華麗に飾られていました。装飾はカラーコーディネイトが重要で、そのための草花、装飾品の選定は大変だろうと想像しました。どの西洋館もデザイナーの意気ごみが見られ、なかなかの出来栄え、見ごたえのある展示になっており、さぞ週末や休日は混雑するものと思いました(聞けば週末・休日は洋館内外ともに大混雑とか私が訪れたのは幸い水曜日でした)。

 当然のことながら横浜の西洋館は、明治の開国時、またそれ以後、外交官はじめ諸外国の領事、その家族が生活していた地区で、立地として横浜港を望む高台にあり斜面地で、海や空の青、周りの樹林の緑で構成される風景は何にもましての条件でしょう。

 今は、横浜港を取り巻く重要な緑のS(みなとみらいの緑から山下公園、海の見える丘公園、外人墓地、西洋館)として位置付けられています。

 公園や都市の緑が、歴史的文化財と共に時間をかけて愛され活用され、街を作り上げていくことに重要な役割をになっていることを再確認できた一日でした。

 

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映画雑感

 今年も、後残すところ10日余りと押し詰まりました。悲喜交々いろいろあった戌年、ブログの作成も今年の後半は、いろいろ大変でなかなか書けない日が続きました。

 もう2か月前の話になってしまいます。定年退職後、自由な時間に近くのシアターでロードショウ劇場では公開されない映画を見ています。普段なら単館映画館で短い期間だけ公開される名画を選んで上映しています。ここで10月25日、「英国総督 最後の家」判決、ふたつの希望」を見ました。前者はインド独立に際しての最後のイギリス総督の物語、後者は、現在紛争の激しい中東レバノン、パレスチナを舞台とした宗教と移民の問題が関係する物語でした。

 インドの最後の英国総督はマウントバッテン卿。近代世界史をもう一度勉強しなおしました。マハトマ・ガンジーやネール首相の名前は昔から聞いて知っていましたが、インド独立に関連しての世界情勢や独立への歩み・経緯の中で考えたことはありませんでした。

 映画のストーリをチラシから抜粋します。

 第二次世界大戦で国力が疲弊したイギリスは、植民地インドを去ると決定。主権移譲の為、任命された新総督のマウントバッテン卿、その妻と娘は、首都デリーの壮麗なる総督官邸にやって来る。大広間と迎賓室がそれぞれ34室、食堂は10部屋で、映写室も備えた大邸宅に500人もの使用人が使える。そこでは独立後に統一インドを望む国民会議派と、分離してパキスタンを建国したいムスリム連盟によって、連日連夜論議が闘わされた。 独立前夜、混迷を深める激動のインドで、歴史に翻弄された人々を鮮やかに描いた感動の人間ドラマ。 

 

 現在も中印国境は国の対立の火種、パキスタンは東西に分かれ東はバングラデシュ、西は今も中国、ロシアの動きが見られ、内政的にも過激派集団の動向が広がるパキスタン、火種が付きません。

もともとヒンデュー教とイスラム教徒の宗教に関連して統一インドの独立が成らず、宗教を基本として分離独立する背景が、この映画では浮き彫りにされ、その中で最後の植民地を手放すイギリス、一つの国として纏めようとするイギリスの苦悩が、総督の使用人も巻き込んで描き出されていました。国境設定に伴う宗教と関連した人々の移動(今のミャンマーとバングラディシュ間の難民にも関連)、難民・移民の悲劇も盛り込んだ英国領インド最後の6か月を浮き彫りにする真実の物語です。70年以上経過した今日でも、依然として国同士の対立、火種が燻る問題です。

 英国王室チャールズ皇太子は、マウントバッテン卿の甥の息子でこの映画の制作に関わっています。「事実は小説より奇なり」、「縁は異なもの味なもの」を地でいく作品でした。

 

 同じ日に、もう1本「判決、二つの希望」も見ました。この映画も難民、移住民、宗教の違いを背景とした作品でした。2人の男(1人はレバノンに来たイスラム教徒のパレスティナ難民の配管工、もう1人はレバノンに住むキリスト教徒の自動車整備工)が自分の家の周りの工事に関係して口論となり、次第に問題が複雑化し社会問題となり国・民族問題を含めた裁判沙汰に発展してしまう物語でした。

 ここでも日常のコミュニティーの姿が些細な一言から崩れ、対立し苦悩する様子が浮き彫りにされています。人種、宗教、国、仲間、日常生活など色々な視点から考えさせられる問題です。決して他山の石、他国の話ではないと思います。

 先日、労働力不足を補う外国人労働者の就労に関する法律を決めた日本。これまでの技術研修生制度の中で外国人労働者を迎え入れて来た、いろいろな業界、団体、会社内における日本人と外国人労働者との間で、この映画と似た問題は少なからずあったのではないか、 国や宗教の違いによる区別(差別)、習慣の違い、考え方の違い、個人と集団の違い、人間の本質は何?

 このような状況を考えると決してこの映画は見逃せないテーマだと感じました。

 あなたならどうする? 大変深い問題を含む考えさせられる映画でした。

 

この映画を見た10日後に、それ以上の悲惨で惨めで悲しく切なく辛い現実が待っていようとは。

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今年も吊し柿

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 お待たせしました。最近で、最後のブログが10月17日付でしたので、1か月のご無沙汰でした。大変激動の1か月でした。今年は夏の暑さの影響や秋の深まりの遅さで、味覚の秋も少々異常の様でした。例年なら10月下旬に済ましていた渋柿の皮剥き、ことしは11月に入ってしまいました。慌ただしい最中の貴重な一日を使って、100個に及ぶ柿の皮剥きをしました(写真参照)。

 20個ずつ皮を剥いては2個を紐を結ぶのですが、始めのうちは快調でした。でも半分過ぎには右手手首が攣り、痛くなってきましたが我慢してなんとか剥き終りました。剥き終り紐を掛け終わった柿は、例年通り、2階のベランダ軒下に吊るしました(写真参照)。

 1週間もすると黄橙色だった渋柿が赤茶けて最初の大きさから2/3位に小さく縮まってきます。秋の乾燥した快晴日が続き徐々に吊るし柿らしくなって来ています。

 岐阜の弟の所は剥いた柿の実の消毒を兼ねて剥き終った柿を焼酎に着けて干すと言っておりましたが、わが家では何もせず、そのまま天日に干すだけです。年明けに表面はしっかり焦げ茶色に変わり、萎びて表面に白点が浮かんできます。

 ドイツの友人に毎年遅れたXマスプレゼントとして送っていますが、大変珍しく、また好評でそのまま食べる以外に料理やお菓子作りに使って味を満喫してる、とあります。

手作りの「干し柿=王禅寺産」は今年も順調に進んで、100個もあっという間に無くなることでしょう。我が家には1割も残りません。毎年恒例の干し柿づくりです。

 

 

 

古木・巨木の再利用

 台風被害の記事を書きましたが、その趣旨でもう少し説明したいと思い、ドイツの事例と日本のスナップを含め写真で纏めました。

 

 1枚目は、ドイツの庭園博が、都市の公園緑地拡大整備において重要な役割を持ってきたことは、つとに有名ですが、開催テーマで既に1980年代から都市内緑地・自然の緑の重要性が大きく取り上げられていました。さらに、生物多様性や種の保護、生き物に配慮した整備と人々との協働、加えて自然素材の有効活用が強く求められて来ています(現在もなお一層)。

 公園緑地内の施設整備においても、自然教育的視点から動植物はじめ自然素材を時代性(時間的要素をどのように取り入れるか、残すか)と合わせ積極的に活用してきています。

添付写真は、その一端を示していますが、2005年の国際庭園博(ドイツ・ポツダム市)や地方中核都市の公園において、いろいろな手法でその動きが活発になっています。

 2枚目は、古木、巨木を切り倒すことへの皮肉を込めたイラスト、その再利用を探るいろいろな試みがされていることと、現実的に自然素材が、人の利用に上手く合っていることを示す状況(新宿御苑のヒマラヤスギ)です。「人工素材で中身や様相を変え得る、モダンな形が時代の先端を行く」等として年を経た事物が消失することは、見直した方が良いのではないでしょうか。身近な所で積極的に活用できるはずです。

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台風被害

 先日(9/30-10/1)の台風24号風台風だったようで、わが家も夜半から猛烈な風で家を揺さぶられ、屋根が吹っ飛ぶのではないかと心配しました。ドッ!ドッドッ、と間を置きながら猛烈に吹き付ける強風に合わせて揺れる家を、寝ながらに感じ暫くの間、眠ることが出来ませんでした。

 

 朝方、台風が過ぎ去って静かになり、夜が明け空が明るくなってきました。いつもより早く起き出し家の周りの点検を始めました。案の定、目隠し(遮蔽)として台所の出た所を囲っていました葭簀(ヨシズ)は、見事にバラバラに崩れ倒れていました。ポリバケツや植木鉢もあちこちに吹き飛んで散り散り。無残に折れ崩れた葭簀は短く切り刻んでゴミで出せるように纏め、幾らかでも使える部分は残して、新たな葭簀1枚(180cm×180cm)を買い求め、元の形に繋ぎ合わせて遮蔽葭簀を修理しました。壊れたヨシズの整理から修理完了まで2時間。大変な一日の始まりでした。

 

 数日後、校庭の緑管理で関係している日大付属藤沢小学校の玄関前校庭が気がかりで出かけ見てきました。こちらも案の定台風の影響があり、5年前(当初)に植栽しましたオリーブが風で倒されていました。さもありなん、普段の管理が良くなくヤブカラシ、ヘクソカズラ、トコロなど蔓植物が樹冠を覆い尽くし、重く圧し掛かっていました。絡んだ蔓直物を取るのも大変なため、オリーブの上部をバッサリ切り戻し剪定をしました。それからが大変、3m位でサッパリした形になったので、簡単に上げられると思いきや、どうしてどうして。余りの重さに口アングリ。荷造り紐を二重にして支え綱とし、少しずつ引き上げる始末。根鉢を整え、やっとの思いで一人で樹木を元に戻しました(後日談;足腰が痛くてホトホト困っています)。

 このオリーブの根元を見て驚きました。害虫が入っていて、オリーブ自体が虫の息。本当に皮一枚で生き残っている様で腐った部分を取り除きましたが根元全体に及んでおり、駄目かもしれません。昨今、サクラを中心として外来害虫(クビアカツヤカミキリ)の被害が広がっています。カミキリムシに特徴的な幹に入り込み喰い潰し枯らすので、このオリーブの木もそれに因る被害ではないかと思います。何とか助からないかと心しています。

 

 小学校校庭を後始末管理したのちに、学部に回りキャンパスでの様子を聞きました。学部も同様、台風の強風の為、大木が倒れて道路を塞ぎ、通行ができない状況。倒れた樹木は、あの6・7号館西側のヒマラヤスギ1979年入学生から湘南キャンパスで一貫教育に入りましたが、その前から建築整備されていた校舎周りの常緑針葉樹)でした。当時、研究室は東京三軒茶屋現在は日大危機管理学部キャンパスになっています)から湘南に移転が進められた時代で、校舎整備に合わせ、道路に接して並木が造られました(1982年までの4年間は2地区を行ったり来たりの時代)。植えられたヒマラヤスギは植栽効果(建物とのバランス?)を出すため高木並木、既に樹高10m程度あり、樹齢も数十年はあったと思います。植栽されてから40年。数回、剪定はされましたが殆ど当初のままでした。その内の1本が倒れたのです。樹齢はゆうに60-70年以上でしょうか。根元周で1,5-2mはありました(後日、切り口の年輪を見て来て報告します)添付写真参照。

 7号館の3~4階に研究室があった頃は、窓からヒマラヤスギの木の間に見え隠れする富士山を見ていた思い出があります。

 倒れた樹木はどうなったのでしょうか?

 たまたま、キャンパスの緑を維持管理している業者が倒木を小さく(1m長)切断し排出する車に巡り合いました。太さは雄に直径1m以上、数塊載っていました。私は気になって、「その木はどうするの?」と聞いたら「ゴミとして処分するように指示されています」との返事です。私は空いた口がふさがりません、「どうして広いキャンパスなのに残しておかないのか、他にいろいろ考えて再利用しないのか、小中学校や大学の学部(生物資源科学部)の性格、時代特性(グローバル社会、環境重視時代、生態系保全再利用社会、環境エネルギー時代等々)を考えてもゴミ廃棄は無いだろう、と思いました。 (古木再利用 参照)

 例えば、小学校の校庭の一部で自然素材(現場発生材)を活かした遊具として。大学キャンパスでメモリアル樹木として。木材の再利用実習の素材として。キャンパスのどこかに学部モニュメントとして残し利用する考えは出ないのでしょうか。

 しかし、それも後の祭り、学部執行部や関係教職員の中に、再利用まで意識したり動く人、時間的余裕のある人がいなかったのです(残念デス)。

 図らずも業者の人に、「勝野先生みたいな人がいないし、先生みたいにいろいろ考えて言ってくれる教員や職員がいないんだもん」と。

 走り去る運搬車を、やるせない気持ちで暫く見つめ見送りました。直ぐ後で携帯で写真を撮っておくことを忘れたことに気付き、地団駄を踏みました。

 

 かねてから、日本では緑の既存資産(時間)をあまり意識せず、価値を理解せず、切る人より何倍もこの世で生きてきた大木を、何のためらいもなく切り倒し、切り刻み処理することに違和感を持っていません。これまで頼まれた講演では、毎度その重要性を強く言ってきたはずでしたが。

 

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平成最後の藤桜祭

 研究室卒業生の皆さんへ。既に造園学研究室並びに緑地・環境計画学研究室に所属されていた方とはNULA(研究室のメール)でご案内されていると思いますが、来る10月27-28日に藤桜祭が開催されます。平成最後の藤桜祭。例年、学部祭に並行して、研究室紹介があり、現役学生諸君による造園科学研究室の紹介も行われます。学科名称も新しくなったり、研究室の状況も大きく変わって来ています(製図準備室が無くなりました。研究室は大澤教授と藤崎専任講師の2人・2室に縮小、かっての緑地・環境科学学生実験室は無くなりました)。

 学部祭は土日に開催されますので、お忙しい卒業生の方々でしょうが、久しぶりに湘南藤沢へお出かけいただき学生諸君の活動、並びに学部(湘南キャンパス)の変貌をご覧いただければと思います。因みに研究室の場所は以前と変わっておりません。

 私も日曜(28日)のお昼に合わせて出かける予定にしております。久しぶりに卒業生の方々と再会、お話しできる機会を楽しみにしております。

 

 今週末から現役学生は、造園研究分野での恒例のカリキュラム;造園学実地演習で京都の庭園見学実習に出ている模様です。私も例年同様に誘われましたが、都合がつかず不参加ですが、毎年恒例の関西日大造園研懇親会(在京の吉田博宣先生;元研究室教授はじめ在阪の卒業生有志が参加)が開催される模様です。

 

わが家の生き物

 数日前、家の周りのサツキの刈込にアオダイショウが来ていました。我が家の庭で初めて目にするヘビでした。これまでにヘビは全く出なかったので、どうした風の吹き回しなのかなーと思っています。

 家を取り巻く猫の額ほどの緑は、以前にもブログでご紹介しましたように今から42前に苗木を植栽し時間が経っていますので、狭い場所に大きくなった樹木や生垣が枝葉を広げています。最初に植栽したヒメシャラは20cm位の苗木でしたが今では6mほどの木に成長していますし、後に実生から育ったアラカシも立派な高垣になっています。ドウダンツツジの生垣は高さ1m、厚みが30cm近くです。生垣の根元にはサツキツツジがあって毎年綺麗に花を付けます。

 そんな茂みの中をニホンカナヘビニホントカゲがチョロチョロ走り回っています。2軒隣の家が立て直しをして古い家屋を解体し、隣家(同じ時期に建売で住んでた家)が家を売却したためその家も解体されたためか、その直後にネズミの侵入騒ぎが起こりました。いろいろ駆除対策をしていますが、先日、アオダイショウを見てからはパッタリ、ネズミの形跡や音も無くなりました。どうやらアオダイショウがネズミを追っ払ってくれたようです。

 ニホンカナヘビニホントカゲは依然として植木周りを出たり入ったりしていますので、まだヘビの餌食にはなっていなくて、上手く逃げ回っているようです(喜)。

 秋が深まるのと合わせ、玄関門燈周りや家の中の天井近くの窓際上の方にニホンヤモリも顔を見せるでしょう。

 秋の気配が感じられ、少し涼しくなってきた最近、シジュウカラが庭の木に戻ってきました。グジュグジュ、チチッチと枝を渡り歩いています。いよいよ餌を木の枝にぶら下げる季節になりそうです。スーパーの精肉コーナーで脂身(ラード)を貰ってきてアワ・ヒエの実を練り込んで餌ボールを作る準備を始めなくてはと思っています。

 こうして次第に木々の葉が少なくなっていき、秋の深まりに合わせて猛暑に耐えた生き物たちが戻ってきます。 

 そんな彼岸の入り、彼岸花マンジュシャゲ)も満開に近づいています。

 

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外来生物 余話

 私の以前の勤め先、日本大学生物資源科学部生命農学科(前;植物資源科学科、旧;農学科)造園科学研究室(前;造園学研究室、緑地環境計画学研究室)にも、外来生物に関係する調査研究が以前からあります。

 その外来生物は、カミツキガメやミシシッピーアカミミガメ、タイワンリス、アライグマ、セイタカアワダチソウ等です。造園学研究室は、本来、公園や緑地、所謂オープンスペースの計画に関する研究をするところですが、私がドイツでその調査研究の視点として野生動植物の生息空間(ビオトープ保全・保護・再生創出を参考にして以後、我が国における緑地計画の量的研究もさることながら質的研究も同時並行して行う必要があるとして、生き物を対象にしたオープンスペース(OS.=緑地)の調査・研究をし始めたことによります。

 かなり以前から緑地と生き物(動植物種)との関係を考えていました。セミの抜け殻と緑地、クモ類の生息・造網と緑地などがありました。生き物ではカエル(両生類)を指標にして大澤先生が、ネズミ類を指標にして黒田先生が、カメやカエル、カミツキガメ、トウキョウサンショオウオ等を対象に天白牧夫さんがそれぞれ博士論文を纏めました。

 タイワンリスを対象にして鎌倉市内の緑地で生息調査を進められたのは葉山嘉一先生です。 沢山のデータを集められましたが残念ながらいろいろな仕事に忙殺され論文にされませんでした。

 研究室の卒業生諸君の中にも、卒業研究の一環で、これらの生き物(野生の動植物、希少種、絶滅危惧種等)を対象として緑・自然・景観を考え、調査し卒研にまとめた方も少なからずあると思います。希少種・絶滅危惧種を対象としたとき、その減少の原因に外来生物が関与していることも多々あり、注意を喚起した卒研がありました。

 磯部達男、佐藤文俊、板垣一紀、芦澤航、増山貴一、今井洵子、浅田大輔、岡田昌也等々。学生の卒研調査を通して、いろいろな生き物、それと敵対する外来生物、環境要因など幾多の新たな知見を得ることが出来ました。

 現在もこの動きは研究室に流れていて、後輩の学生諸君が少しずつ続けてくれているようです。時代を先取りする研究に頑張ってほしいです。