水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

染付の魅力

 

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 友人から染付の展覧会鑑賞券を頂きました。もともと陶磁器に少なからず興味があり、中でも日常生活でよく使われてきた有田焼などには、昔の郷里岐阜での生活とも相まって、何かと気になる焼き物です。好き物が高じて、以前、研究室の卒業生が九州福岡周辺におられるのを機会に、有田町や伊万里市を訪れ窯元を訪ねたこともあります。

 日常生活の中で陶磁器は、いろいろな場面で使われています。私は、時折、旅の途中で湯呑から皿、茶わんなど伝統的な柄の染付を買い求めたりしていますが、なかでもその青色に魅かれて、有田焼伊万里焼、京焼、などの磁器(染付中国では青花という)を少しづつ買い求め生活の中で使っています(添付写真)。

 今回、そんな背景から大変興味をもって展覧会を見に行きました。展覧会は東京丸の内にある出光美術館**でした。 今回の展示(染付 -世界に花咲く青のうつわー)で、展示品の数は181点、その数の多さと、すべてが出光美術館所蔵であることに驚きました。展覧会は6つのテーマ***に分かれ、時代・国の関連を紐解きながら区分され展示されています(1/12~3/24まで開催)。

 

 この展覧会を見て、あらためて丸い地球、世界の繋がりを知るところとなりました。アフリカ北部、地中海、欧州、中東諸国からシルクロード、中国、朝鮮そして日本。陸路と海路。ラクダや馬、船と星、人々の交易、物資の交流、などいろいろ想いが広がります。

 行く手に広がる晴れた日中の青い大空、青い海原、青黒い夜空に輝く満天の星。「青」に対する人々の思いはどの地でも美しさと新鮮、鮮烈さを表し、人々を魅了したのではないかと思いました。大きな流れは国の強さ、権力とも関連し元や明、清の中国から南へベトナム、東の朝鮮半島から日本へと流れていきます。

 1つ1つの美しさ、染付絵柄の斬新さ、繊細さ、丁寧さ、どれをとっても息をのむ美しさと素晴らしさです。時の権力者の力とそれに呼応する技術者(職人)の魂が、今、魅了する物となって目の前に存在する、この不思議さは何なのでしょうか。

膨大な富と絶大な権力が、あらゆるものの力と技術を結集させ形作る「物=作品」となって作り上げられ、今日まで残ってきています。いまでは使われることも無く、使う人もいない器・物となり、別の形(鑑賞)で人々の前に出ています。見終わるのに3時間、足腰疲れましたが素晴らしい時間を持てました。そのあと銀座に出て美味しい昼ご飯を味わいました(実はこの後、日本橋にある三井美術館で”三井家の雛祭り展”を見たのです・・・・)。

 

 私の周りには身近な器の染付があり、目を楽しませてくれています(添付写真)。

また、いつか、どこかで素敵な染付を見つけよ~っと。 

 

  有田焼、伊万里焼は、豊臣秀吉朝鮮出兵文禄・慶長の役)の後、李氏朝鮮から陶工が日本に来て、その中、李参平が(1610)有田で生み出したといわれています。有田、伊万里地域には良い天然陶石(泉山陶石、天草陶石など)があったこと、伊万里港から海外へ出ていったことも関係しています。

 ** 出光美術館千代田区丸の内3丁目に、日比谷帝国劇場ビル9階にあり、眼下に皇居のお濠を控え皇居前広場から二重橋を越え皇居の緑が望めます。建物の設計は有名な建築家谷口吉郎で、1966年に出来ました。

 *** 1:青の揺籃ーオリエントの青色世界、2:中国青花磁器の壮麗ー景徳鎮官窯と民窯、 3:温雅なる青ー朝鮮とベトナムの青花、 4:伊万里と京焼ー日本の愛した暮らしの青、5:青に響く色彩、6:旅する染付

 

 

 

超一流には超一流の喜びや苦しみが、

 2017年制作、フランス映画「私は、マリア・カラスを見ました。物凄く感動し、館内に響く彼女の歌声で体中が痺れる感覚を味わいました。映画全体を見てからの感動ではありません。始まってしばらくして、彼女のアリアの場面となり、その歌声を聴いただけで素晴らしさに鳥肌が立ったのです。 

 どうしてかわかりませんが、マリア・カラスが歌う歌声の美しさ、映し出された歌う表情に自然と感激している自分がいました。極端に言えば、その歌声を聴いて感動で目頭が熱くなりました。言葉の意味は分かりません(字幕に訳詞が表示されていましたが)。その文字を追いかけるより、歌声に酔いしれてしまいました。流れるような歌声・メロディーの美しさ、情感を表す音の強弱は顔の表情と相まって見る者を引き込んでしまいます。映画は、歌う彼女の顔の表情を捉え、劇場で離れた席からでは見ることのできない細かい顔や体の動きを映し出していました。映画の中で歌われたカラスの生歌唱の舞台は下記の通りです。

 プッチーニの歌劇「トスカ」から、”歌に生き、恋に生き”

 ベッリーニの歌劇「ノルマ」から、”清らかな女神よ”

 プッチーニの歌劇「蝶々夫人」から、”なんて美しい空”

 ヴェルディの歌劇「椿姫」から、 ”さようなら過ぎ去った日々よ”

 ビゼーの歌劇「カルメン」から、 ”恋は野の鳥”

 プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」から、”私のお父さん”

 

 ”私のお父さん” は映画の最後、エンドロールの画面で歌われ、彼女の素晴らしい歌唱、歌声を見て聞いて終演となりました。53歳の短い人生の中、世界を股にかけファンを虜にした歌姫;マリア・カラス。 映画監督トム・ヴォルフは、未公開映像や音源を用い、ドキュメンタリータッチで制作し、マリア・カラスの素晴らしさ、凄さ、美しさを描き出すとともに、その後ろにあった歌や劇、生き様(結婚や恋愛など)における彼女の苦しみ、辛さ、悲しみを思い描き想起させ、作り上げていました。

 映画を見て、彼女の生き様が、まさに歌劇に表されるシナリオのように波乱に富み、純粋さと真剣さで彩られた素晴らしいものだったろうと思いました。 

 

 マリア・カラスはニューヨーク生まれ、ギリシャ語名を持ったギリシャ系のアメリカ人声楽家(1923-1977)です。クラッシック音楽界で世界的に有名なオペラ歌手、15歳でアテネ王立歌劇場でデビューし、53歳パリで急逝するまで一世を風靡した世界的なプリマドンナ(20世紀最高のソプラノ歌手)です。並々ならぬ歌への情熱とそのための練習、体調管理、喉の状態の維持など、表には表れない、大変な努力が隠されています。最もよい状態で、最高の出来栄えの歌を披露したいと思う、最高級歌手としての自負心が、満足のいかない歌は聞かせられないとして一幕だけで公演中止にした事件は理解できるものがあります。恥ずかしいものは見せられない、聞かせられないという思い。

 

 映画のパンフレットには次のような文章で紹介されています。

 「楽史に永遠に輝く才能と絶賛されたオペラ歌手、マリア・カラス。一度聴けば忘れられない世界に一つの歌声と、高度なテクニックを自在に操る歌唱力、役柄と一つになる女優魂、さらにエキゾチックな美貌と圧倒的なカリスマ性で、聴衆をとりこにした不世出のディーヴァだ。(映画のパンフより)」

 

 私が大学生時代ドイツ語を習っていた頃(1965-70年)、エリザベート・シュヴァルツコップという、こちらも世界に冠たるドイツリートのソプラノ歌手がいて、私も時折オペラのアリアなどを聞いていましたが、その時にソプラノ歌手の双璧としてマリア・カラスがいました。マリア・カラスは後年(1958年以降)声の不調などによりオペラへの出演がなくなり、個人的なリサイタルでの発表が中心になっています。1973年と1974年には来日し各地でリサイタルをしています。

 折しも1973-74年、私はドイツ(当時は西ドイツ)奨学生として1年半ドイツへ留学しており、彼女の日本公演は聞くチャンスはありませんでした。  

  

 映画を見ての感想は、人間としての最も素晴らしいことは、「愛すべき人がいること、好きなことに頑張れること、人に感動を与えられること」でした。

 その感激と感動を忘れることができず、2度もこの映画を見ました。これは初めてのことです。これまでにも感動した映画はありますが、2度も見たいと思ったのは、今回のこの映画が初めてです。機会があれば「もう一度」の気持ちがあるくらいです。

 知人でいつも私の髪を手入れしてくれるママさんは趣味で声楽(独唱)を習っているそうで、この映画を推奨しましたら直ぐに見に行き、鑑賞後感激のあまり、その足でベストアルバムを買い求めたとメールが来ました。

    いつかそのアルバムを借りて聞いてみよ~っと。

 

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何でこうなるの? どうしてこうするの?

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 空に向かって伸び伸びと大きくなりたいなー

 自由に枝を横いっぱいに広げたいなー

 新宿御苑の芝生広場にあるように

 垂直にも 水平にも

 高く、長く、太く、見上げるような大きさに

 名前の由来の花が咲くように 

 

 ここに来たのはずいぶん前だなー

 見晴らし良くて良い処だったなー

 大きくなるにつれ様子が変わり

 上に向かっては良いけれど

 横には、何だか問題が

 いつの間にか仲間同士が窮屈に

 

 何時からか上への自由も止められて

 何時からか横への広がりが無くなって

 年に一度の枝打ち仕打ち

 緑の葉も無く寒空下で骨曝し

 何でこうなる、どうしてこうなる

 並木の役目は どこにある

 

 仲間内には よく似た話 

 日陰になるし、落ち葉が多すぎ

 鳥の塒で 糞公害

 暗くなる前 落ちる前

 集まる前に 切り落とす

 とどのつまりは 丸坊主

 

   100年経って大木になれば

 私も天然記念物で認めてもらえば

 大事に 素直に 大きくなれる

 50年じゃ 駄目ですか

 駄目、駄目、高齢者より古くなければ

 今のご時世、無理でしょう

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研究室卒論発表会

 平成31年2月8日、日本大学緑地環境科学研究室(旧造園学、緑地環境研究室)の卒業研究発表会がありました。平成14年11月に定年退職してから後、各年度の2月、恒例の卒業研究発表会に案内頂いていましたが、なかなか参加できず今回久しぶりに聞きに行ってきました。

 今年の卒業予定者(研究発表者;4年生19名、大学院生3名)は22名でした。例年通り、研究室名の要旨集*(今年、卒業論文・大学院研究要旨集になっていました)は、切株をデザインし、その周りに生き物をあしらったイラストの付いた白い表紙で作られています。大沢啓志教授と藤崎健一郎専任講師のお二人で、足掛け2年をかけ教育指導され、学生各自それぞれ苦労して作り出された調査・実験の成果が素晴らしい冊子となっています。

*要旨集は、緑地環境科学研究室(〒2520885 藤沢市亀井野1866)Tel:0466843522へ問い合わせください)

 

 研究内容は大変バラエティーがあり、粘菌(変形菌)、両生類(カジカガエル)、水生昆虫(モンキマメゲンゴロウ)からカワラナデシやノウルシ、アゼスゲ・半夏生、ミズキンバイなどの湿地、水辺植生を対象として自然地域・緑地環境を捉えたもの、農村景観構成要素の緑を研究したもの、道路や建物の緑を調査研究したもの、緑のリサイクル事業、市町村における緑の計画の状況を捉えたものなどがありました。

 研究対象(内容や範囲など)が大きかったり広すぎて研究の焦点が明確でなくなったり、論点が絞り切れず内容が薄くなってしまったものもありましたが、どれも学生の研究に対する真面目さ(忠実さ)必死さ(着実性や努力度)が読み取れるものとなっていました。

 研究の着眼点、実施・遂行(データ作り)は、学生個人の興味の強さや根気強さ、時間のかけ方に違いがあり、それが成果の違いとなって表れていました。調査研究対象の広さや具体的地域の広さと関連し、それがデータの精度となって表れるジレンマに襲われた学生諸君も少なくなかっただろうと感じられました。「もう少し時間があれば」、「もっと早くから取り掛かっていれば」といった感想が、発表時の偽らざる思いだろうと、昔の自分を思い出しました(卒業生の思いとして、”あの時もっと真剣に、真面目に勉強しておけばよかったなー”がよく言われます)。

 

 そんな中でも、内容と成果に感心した研究を2-3あげたいと思います。

対象地域を広く取り小動物の生息状況と環境を調査した報告が2件ありました。一つは三浦半島の中小河川環境(自然性)を背景に、水環境とモンキマメゲンゴロウの関係を捉えたもの、もう一つは伊豆半島の河川を中心に、カジカガエルの生息とその環境特性(地域特性も含め)を明らかにしたものでした。いずれの生き物も普段目にしないもので、そのあり様を具体的に明らかにした点は、素晴らしいものでした(そのいずれも学会報告できたらと思いました)。もう一つ、院生が取り組んでいる変形菌(真性粘菌)と緑地の内容も面白い研究でした。一般的にほとんど見過ごし、気にも留めない(人によっては気味悪がられるもの)群生する菌類と緑の関係(場所性、植生、管理など)について明らかにしていて、思わず、昔の南方熊楠を彷彿させるものです。

 院生の研究報告は、やはり調査研究として目的、方法、内容に一日の長があり、データの応用性という点で成果が出たものと思います。委託調査研究という点を差し引いても、学部学生時の卒研を踏まえてデータを積み重ねる意味が読み取れるものとなっています。学部内に実験場所を設定してのものでやり易さはあったでしょうが、応用性の点でデータの妥当性と正確性が試される点で、苦労があったと思われました。

 利根川水系の加湿地帯における農村の景観保全と植生保護(種保護・ビオトープ保護)についても興味ある研究です。地域特性のノウルシ、アシ、クヌギの生育、維持管理、利用について総合的に捉えるのは大変です。ファクター(景観を構成する要素)が多種多様である上に、人との関係、自然の時間的変化の複雑性の中で分析・考察する点は大変難しいと理解できます。これら院生の研究についても、成果の公表を期待したいと思いました。

 

 久しぶりに若い学生諸君の研究報告を聞くことができ、有意義な一日になりました。AIが発達した時代で、今の学生諸君はプレゼンテーションも大変うまく、報告・発表を楽しんでいる様がPP(パワーポイント)に表れていました。

 毎年のことですが、ほとんど何も分らなかった学生を指導し、発表会まで引き上げられてこられたお2人の先生に敬意を払い、ご苦労様でしたと申し上げるほかありません。

来年度(2020年)は新しい元号での要旨集になりますし、研究室創設50年ともなります。これまでの繋がり(絆)がますます強く、素晴らしいものになっていくことを期待したいと思います。

海外雑誌でのニュース  3

 ドイツのノルトライン・ウエストファーレン州には世界的に有名な工業地帯、ルール地域があります。世界的に有名な重厚長大企業(鉄鋼業、石炭業他関連工業中心に)が、イギリスの産業革命と並び国力増強を旗印に19-20世紀をリードし、2度の世界大戦を経て大工業地帯を形成してきました。

ルール地域は、NHKの「ぶらタモリ」風に言えば、自然(地質・土壌・植物・水資源など)地理的、歴史的に見て、成るべくして成った一大工業地帯といえます。ライン川の船運(国際河川として)、ルール川とその流域の河川、それに沿った運河網、河川流域の水資源、地表や地下の豊富な石炭資源、木材資源など、工業地帯を支える自然的資源とそれを生かした諸都市の繁栄、作り出された歴史的・産業的資源が現在のルール地域を形成しています。

 20世紀後半に入り、未来のエネルギー施策・見通し、社会における生産・消費・流通の在り方が大きく変わり、それに伴って地域の在り様も変化・転換を余儀なくされてきました。

 *ローマクラブが出した「成長の限界」は国や地域の将来の在り方を考える上で、社会に及ぼした影響は大きく、生産・流通の変化、社会のグローバル化、環境問題の顕在化(自然環境や生活環境)と具体的対応の緊急性、地域像を大きく変える要素が種々、幾重にも出現するようになり、その対応には的確な見通しと計画的・技術的対応が必要不可欠となりました。ドイツでもルール地方は、重厚長大企業の海外進出、鉱工業地域産業の衰退、工業諸都市の閉鎖と地域像の変化などを受けて、その具体的対策として20世紀末の転換期に国際建築博(1990-2000)を通して地域再生に取り掛かり、諸都市を含め地域再生の核として2027年の国際庭園博を目指しています。

 

 この激しい社会的な変化の中で、NRW州およびルール地域協議会(Regionalverband Ruhr;RVR、以前はkomunalverband Ruhr ; KVR) は、いち早く(1960年以後)その対応を講じてきています。その最初の動きは、褐炭採掘と地域づくりにあるといえます。鉄鋼産業とそれを支える石炭産業は、すでにそれまでに長い歴史的つながりで地域の繁栄を支えてきました。褐炭採掘跡地(露天掘り採掘地)の農地再利用、農村集落の移転・再整備、緑化とレクリエーション資源の開発などは「地域づくり」と深い関係にあり、ドイツの国土整備、地域計画の見本でもあり、現在もなお進められています*。

 *これに関連する報告は、東京大学造園・緑地学(園芸学第二講座)研究室での北村徳太郎、佐藤昌、横山光雄、井手久登教授らのドイツにおける地域計画、農村計画、緑地計画、自然再生等に関する著書・諸論文で示されています。

 

 雑誌「Naturschutz in NRW」は、この社会的動きと深く関係し行政的な対応に対して自然保護・保全の視点から幾多の報告をしてきています。その一端は、これまでにもいろいろ報告してきましたし、これからも各種の事例を教えてくれると思います。

 

 今回ここで報告を概述しますが、結果は、2027年国際庭園博でのテーマと合致するものと思います。工業地帯での工場跡地再利用、河川における再自然化、州における種多様性保護・育成事業、ビオトープ保全事業、森林・緑地保全と再生、自然保護・レクリエーション活動などの事例として示されるものです。

 

「レップクレス・ミューレンバッハにおける中・長期的環境モニタリング」

"Langzeitmonitering am Laeppkes Muehlenbach"

 この記事は、ルール工業地帯の中心地Oberhausen市内にあった電気系金属工場の跡地利用(河川の自然復元と遊水地計画)に関する報告です。2017年にスタートした総合調査研究(調査研究名;ルール地域都市部の生物多様性網整備=Netzwerkes Urbane Biodiversitaet Ruhrgebiet)実施状況です。学際的調査研究チームは、ルール大学ボッフム校、ドルトムント大学、デュイスブルク・エッセン大学の地形・地理学、河川生態学研究室はじめルール地域西部生物研究所、エムシャー河川機構、ルール地域協議会などで構成されています。 

 ルール地域の河川はルール川、エムシャー川、リッペ川などでライン川と合流しています。この水資源を統括しているのがエムシャ河川機構(Emschargenossenschaft) で、河川の総合的な治水、利水に関する事業に関連し、自然保護など関連部局と連携し中・長期的なモニタリングを進めて来ています。エムシャー地域景観・緑地構想(Emschalarlandschaftpark)は、工場廃水で汚染されていたエムシャー川に、昔の綺麗な自然と川を呼び戻そうとする中長期的地域整備です。  関連文献;IBMエムシャーパーと地域開発、ランドスケープ研究、64(1)、16-19、2000

 レップクレス・ミューレンバッハ川はオーバーハウゼン市内を流れるエムシャー川の小さな支流で、かって工場地帯の汚染排水が流れる開水路でした。合流域0~3kmはエムシャー河川機構の管轄区間で、ヘックスバッハ川(6km)と関連しルール川に流れ込んでいます。乾期は86m3/秒、洪水期は16m3/秒で遊水地機能を果たし、1988-1991の間、1.9km区間で河川整備が進められ次いで1.1km区間で自然再生整備が進めらています。この流域にあった工場が閉鎖され放棄地となっており土壌汚染や水質汚染が危惧されることもあり、工場跡地が長く放置される間に自然が侵入、変化してきたことにより具体的調査が進められることになりました。

これまでの地形・地質・土壌の変化、水流、水辺形態と土壌の関係、植生、動物相(野鳥・昆虫・両生類など)の動態調査が工場放棄跡地レップクレス・ミューレンバッハの自然再生地区(約11ha)で進められ、その経過報告です。植生では2016年夏、裸地(68種)が2017年(151種)に、2018年には205種になっています(3本のベルトトランセクト区)。野鳥についても、砂礫の裸地でチドリの繁殖が見られたり、低草丈草地に対応した鳥が周辺の植生と関連し餌場、隠れ家としての利用が示されています。

 

 この報告は、これからも時間を重ねて調査が継続され、工業地帯における工場跡地・放棄地の自然再生、緑地創出・維持管理に関わる基本的な計画の為の資料として大きな役割を果たすものと思います。以後も関連記事に注目していきたいと思います。

  

この記事に関する問い合わせ・連絡先:

Dr.Peter Keil, Biologische Station, Westliches Ruhrgebiet e.V.  peter.keil@bswr.de

Gunnar Jacobs,Emschergenossenschaft/Lippeverband   jacobs.gunnar@eglv.de

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海外雑誌でのニュース  余話

海外雑誌のニュースについて2編書きましたが、「ヒバリ」について関連することを少し書き足します。

 ドイツでは環境保全、改善キャンペーンの対象として、省庁の壁を越えて進めることは、それほど珍しいことではなく、かなり以前から進められてきています。

 「年の鳥」や「年の木」は、もう馴染みの動きです。

ドイツでも「ヒバリ」は身近な野鳥として知られています。ゲーテ詩集の「五月の歌」に登場する景観は、まさにヒバリが棲む環境です。松山 敏訳の原文を書きます。

 ”小麦畑か麦畑か 茨の垣の間にか 木立の中か 墓場にか

どこへ恋人は行ったらう? 私にそれを言っとくれ!”

 恋人のことを、暗にヒバリのそれに合わせて書いたのでしょうか。

 

ハイドン弦楽四重奏 No.67は、何時頃からか「ヒバリ」と言われています。第一楽章の光景が「ヒバリ」を想像させる旋律のようでもあります。第4楽章のスピード感は、ヒバリの動きのようでもあります。ハイドンがこの曲を作曲したのは1790年ですから、昔から身近な鳥でもありました。

 

 日本では、明治44年尋常小学校第二学年(2年生)の教科書に、唱歌として以下の詩がありました。作詞作曲は不明のようです。

 「ぴいぴいと囀るヒバリ 囀りながら どこまであがる  高い高い雲の上か

  声は聞こえて 見えないヒバリ」

 「ぴいぴいと囀るヒバリ 囀り止んで どこらへおちた  青い青い麦の中

  すがたかくれて 見えないヒバリ」

 

ヒバリや他の身近な野鳥達が、自由に飛び回り、自然豊かな農村景観(耕作風景)が

いつまでも続くことを願っています。

 

 

 

海外雑誌でのニュース  2

ニュース 1でお話しした続きです。私はこの雑誌を1993年から読んでいますので今年度で 25年目になります。1997年No.4(冬号)の最初のページに「1998年の鳥」として「ヒバリ」が指定になった記事が載っています。ドイツ自然保護協会(NABU;Naturschutzverband Deutschland)は、農業が機械化・化学化する中で作付・耕作形態も変わり、耕地の単調化、大規模化、均一化が進んで農村景観の単純化、単調化が起っていることに警鐘を鳴らしていました。ドイツでも詩や歌に登場し、誰もが親しみをもつ身近な田畑や草原の鳥として、また元気に空高くさえずり登る鳥、そのシンボルとして「年の野鳥」ヒバリを決めたのでした。

 畑や草地の野鳥保護については、その後、2009~2011年の同誌(下記)に農村における種の保護、種多様性に対する農地の取り扱いと野鳥(ヒバリ、タゲリ、)に関する調査・研究報告が続いています。

 1) Foerdermassnahmen in der Feldflur,  同誌、No.3. 2009 

 2) Fast 9000 Fenster fuer die Feldlerche 同誌、No.1. 2010;  フェンスター(窓 Fenster)とは畑の中に作目 を作らない場所を設け、野生の草本の生育する場所とするもの    (下の添付写真参照)

   3) 1000 Fenster fuer die Lerche - Ergebnisse der NRW-Erfolgskontrolle 同誌、No.1. 2011 

   4) Die Feldlerche - Ein Allerweltsvogel auf dem Rueckzug 、同誌、No.1 2011

 

  国民的になじみ深い野鳥の「ヒバリ」の保護、保全、再生に時間をかけ、人々の関心を喚起し、農家と協同で復元の対策を講じてきているドイツの着実な歩みが見て取れます。それをさらに大きな波とするべく、2019年の鳥に再度指定し、自然保護の視点だけでなく農業も抱き込んだ幅広い運動として、身近な農村の緑と自然の保全(種の保護と生息空間の保全・再生)、景観保護の活動を活発化しようとするドイツの自然保護の動きには目を見張るものがあります。                  

  1/23付読売新聞の夕刊、「よみうり寸評」に似た記事がありました。国鳥や黒蝶、国花に続いて国魚についてのものでした。ドイツの「その年の鳥」とその関連の分野、社会的な意味と広がり、とは違う取り扱いに、少し寂しさを感じました。

 

ドイツ・ノルトライン・ウエストファーレン州でのヒバリ保護施策の状況 (上記参考文献参照)

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海外雑誌でのニュース 1

 私の定期購読している専門誌はドイツ・ノルトライン・ウエストファーレン州自然保護・環境保護局の雑誌 ”ノルトライン・ウエストファーレン州の自然(Natur in NRW)です。既にこれまでにも幾つか研究事例をブログに報告してきた季刊雑誌で、先般今年の4号(4/2018)が来ました。

主要テーマは①NRW州におけるオオヤマネコ(Lynx Lynx)の現状、②NRW州における両生類イモリのペスト病 ③工業地帯における水辺再生のモニタリング④農業と種多様性です。その4編の特集報告の前に情報欄があり、興味深いニュースがありましたので書いてみます。

 その一つは2019年の鳥に「ヒバリ;Lerche」が選ばれたことです。

ドイツ自然保護連盟(NABU)とバイエルン州支部(LBV)が、2019年の野鳥に「ヒバリFeldlerche」を決めました。この鳥の選定の背景は、ヨーロッパレベルでの農業政策にも関連しており、同時に農村景観の在り方にも大きく関係しています。ヒバリはすでに1998年にも「年の鳥」に指定されましたが、その意義が十分理解されていませんでした。ヒバリは「上げヒバリ」で示されるように「空高く一直線に上って囀り」、また、冬まき小麦、菜種、トウモロコシの栽培の農地に生息、多様な昆虫類の生息する野草地が減少する中、生息数を減らして来ています。ドイツでは1.3~2百万か所の保護地に生息していますが、過去25年間で1/3に減少、1990~2015年間では38%に減少しているとされています。NRW州では、過去25年間で半減(50%)、凡そ10万のつがいになっており、2016年から繁殖鳥のレッドリストに上がっています。

 このように、ドイツではその年の鳥や樹木、草などを決め(他にタゲリやライチョウ、ミズナラやハンノキ、ボダイジュなど)、保護や保全の対象とし、同時にその生息域、景観、環境を保護する方針を打ち出し各方面で対策を講じて来ています。

麦畑の中に特定の大きさ(4m×2m)の区画(空き地)を作りヒバリの繁殖場所(畑の額縁作戦)とする事例。

 

 日本でも都市周辺の農地や農村の畑地と関連して、タゲリやヒバリが生息・繁殖できる空間(田形や草地)が極端に減少、野鳥の生息域が無くなったり消えたりしています。季節に応じた野鳥の生息、その景観が見られなくなって来ています。

 緑のオープンスペース(とりわけ農耕地)の重要性は、「空地」という空間性と同時に緑の場所(生産と協調した)土地利用の大切さ、自然保護や野外活動の対象として見直すべきでしょう。

これまでにも日大造園研究室では、葉山先生指導の下、引地川や相模川沿いの農耕地でタゲリやヒバリの生息状況を調査研究したことがありますし、境川ではツバメの塒にかんする調査研究もありました。

 

五島美術館における展覧会と茶道

 今回鑑賞した展覧会・特別展は「東西数寄者の審美眼」と銘打たれ、日本の東西の鉄道王と言われる五島慶太小林一三が蒐集した(絵画から茶道具まで)100点に及ぶ品を展示していました。言わずと知れた五島慶太東急電鉄小林一三阪急電鉄や宝塚の生みの親、その生涯で二人は茶道を通じ、五島は古径楼、小林は逸翁の号を持ち親交を深めたとあります。現在も二人の収集品は、それぞれ五島美術館東京;世田谷上野毛)、逸翁美術館大阪府池田市)で東西に分かれ展示公開されています。

 五島美術館は、かの有名な建築家・吉田五十八が設計、1960年に開館しています。この美術館は五島慶太が蒐集した、国宝「源氏物語絵巻」ほか5000点余の収蔵品を所蔵していることで有名です(関連・参考;益田孝、高梨仁三郎コレクション)。

 美術館の敷地は5000坪(1.65ha)にも及び、造園家にとって垂涎の的、南に開け富士山が眺められ、眼下に水面が輝く多摩川の清流を望む、国分寺崖線上に位置しています。緑豊かで眺望に優れ、以前は湧水にも恵まれた山紫水明に優れた場所。残念ながら今、湧水は見られないようですが、眺望や四季の緑の変化、静けさは得られます。 

 秋の紅葉が見事な中で展覧会を堪能しました。

 

 この展覧会では、絵画・書、陶芸、漆芸、茶会に区分され100点におよぶ展示物がありました。その中でも、特に目を引いたものは以下の通りです(逸;小林一三、五;五島慶太の収集品 太字は重要文化財)。

絵画

三十六歌仙藤原高光、逸)、(三十六歌仙清原元輔 五)、大江山絵詞 逸、豊臣秀吉像(狩野光信筆)逸、 紅葉流水図(尾形光琳大胆な構図と配色)五、

嵐山春暁図(円山応挙)逸、奥の細道画巻(与謝蕪村)逸、檜蝉図(谷文晁)逸、

陶芸

井戸茶碗(美濃)五、鼠志野茶碗(峯紅葉)五、 黒茶碗 七里(本阿弥光悦)五、

色絵竜田川文向付(尾形乾山作)五、 色絵菊文向付(尾形乾山作)逸、

茶杓千利休作)五、

 茶道に造詣の深い古径楼と逸翁。二人の書簡も含め収集品の素晴らしさに感嘆し、またそれを具体的に生活の中で表現し、茶会が開かれた時代、社会、環境(庭園も含め)を同時に鑑賞、知ることができたことは大きな喜びでした。庭園を散策しながら大都市近郊に私鉄の網を整備した先見性、それと同時に茶道を極め親交を深めた両雄の功績は、今もその輝きを失っていないことには驚きを隠せません。

 自分の心の中に大きな空洞ができ、空しさや寂しさが漂う中、静かに庭園内の自然を味わい、その空間的拡がりと茶道を通じての世界観、時代の先見性などを知るところとなり、大きな癒しの時間を持つことが出来たことに満足しました。

 

横浜山手西洋館のクリスマス装飾

 横浜山下公園から続く海の見える丘公園、それに続く外人墓地や丘の上に連なる洋館と屋敷の緑。例年、クリスマスが近づくとそれぞれの洋館で世界各国のクリスマス装飾展示が開催されます。ここにある8つの西洋館を指定管理者として維持管理・運営しているのは公財「横浜市緑の協会」です。山手111番館、横浜市イギリス館、山手234番館、エリスマン邸、ベーリック・ホール、外交官の家、ブラフ18番館、旧山手68番館の8館です。

それぞれの館では、ヨーロッパの国を選んで、その国のクリスマス装飾を展示(選ばれた装飾家、団体が担当)し、旧洋館の雰囲気を生かしたクリスマスの飾りつけを魅せてくれます。

 クリスマスの時期に家庭における西欧のクリスマスの飾りつけ展示が、毎年、この歴史ある西洋館で実施されてきており、家族で見に行きました(添付写真)。

 館と国は、エストニア(山手111番館)、イギリス(イギリス館)、イタリア(山手234番館)、モナコ(エリスマン邸)、ドイツ(ベーリック・ホール)、スペイン(外交官の家)、フィンランド(ブラフ18番館)、エクアドル(旧山手68番館)の8か国でした。

 家の間取り、部屋の作り・大きさ・用途、窓の外など色々条件を重ね合わせ、部屋の部分、調度品周り、机や椅子の上、暖炉周り、窓など各部分を草花はじめ民芸調度品などで飾り、またメインの食卓はハレの日を飾る統一された食器を並べ華麗に飾られていました。装飾はカラーコーディネイトが重要で、そのための草花、装飾品の選定は大変だろうと想像しました。どの西洋館もデザイナーの意気ごみが見られ、なかなかの出来栄え、見ごたえのある展示になっており、さぞ週末や休日は混雑するものと思いました(聞けば週末・休日は洋館内外ともに大混雑とか私が訪れたのは幸い水曜日でした)。

 当然のことながら横浜の西洋館は、明治の開国時、またそれ以後、外交官はじめ諸外国の領事、その家族が生活していた地区で、立地として横浜港を望む高台にあり斜面地で、海や空の青、周りの樹林の緑で構成される風景は何にもましての条件でしょう。

 今は、横浜港を取り巻く重要な緑のS(みなとみらいの緑から山下公園、海の見える丘公園、外人墓地、西洋館)として位置付けられています。

 公園や都市の緑が、歴史的文化財と共に時間をかけて愛され活用され、街を作り上げていくことに重要な役割をになっていることを再確認できた一日でした。

 

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