水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

巡礼、秩父観音34ヶ所札所巡り 2

春の秩父の札所巡り第2日目。秩父の札所は秩父の地形に合わせたように分布しています。1-10番までは記事の1で書いた通り秩父盆地の市街地(群馬・長野と接する秩父山系三国山、三峰山に発する荒川は山を深く削り秩父市街地で北に方向を変え流れる)の東地区、盆地中央地区、荒川左岸西地区、そして西部山間地の4つに分けられます。札所の11-19番は秩父市街地に、20-30番は荒川左右岸に沿った河岸段丘にあり、31-34番は市街地から西に大きく離れた山間地谷筋の奥まったところに位置しています。

 2日目、市街地地区での札所巡りは、札所の寺々が南北に分布して纏まっていますが、街中では建物が建て込んだり細かい道筋が入り組んでいて札所を探して巡るにはそれなりに大変でした。

 十二番は仏道山野坂寺で重層の楼門造山門は一見の価値があり、境内の花ハスの鉢植えも多く花の寺としても名を馳せています。十三番旗下山慈眼寺、十四番長岳山今宮坊、十五番母巣山少林寺、十六番無量山西光寺、十七番実正山定林寺、十八番白道山神門寺、十九番飛淵山龍石寺、それぞれにこじんまりした本堂で敷地規模は小さめですが、本堂の勾欄や天井の絵、彫刻、絵馬にも素晴らしいものが多くありました。お昼は道すがらに持参弁当を食べ、札所巡りの先を急ぎました。

二十番法王山岩之上堂は、まさに傾斜のある段丘斜面に位置し場所の素晴らしさが際立っていました。寺院の日本庭園の良さの条件の一つに場所、位置があります。この寺は昔から旧家の屋敷で後に堂守になったとあり、先人の偉大さがよく理解できます。周りの風景に見事に調和した本堂、その園路配置と動線、視線の先の遠景の素晴らしさなど、どれも地の利が効いています。周りの自然の変化に合わせて四季折々、本堂や庭は違った美しさを作り出すと想像しました。二十一番要光山観音寺、二十二番華台山童子堂は台地平坦部の田畑に隣り合い、二十三番松風山音楽寺、二十四番光智山法泉寺はいずれも秩父盆地を見下ろし武甲山を眺める景色の良いところにありました。二十五番岩谷山久昌寺は谷頭の一部を堰き止め大きな池を持ち山門、観音堂は崖の下に残されたように建っていました。

札所の寺院は夕方5時には納経の受付を終えて閉まってしまいました。それ以後はご朱印帳に書いてもらえないこともあり札所めぐりは終了となります。

3日目は26番から30番。順番を逆に巡ることにして秩父鉄道に乗り白久駅へ。沿線の最も奥に位置する30番瑞龍山法雲寺は駅から15分、山間にあり静かな佇まいで霊感が漂う雰囲気がありました。29番笹戸山長泉院は入口部のシタレザクラの古木が有名らしいのですが参拝時はまだ桜の開花には早すぎました。本堂正面欄間の板額にあった、有名な葛飾北斎の「桜花の図」も少しだけしか見ることが出来ませんでした。二十八番石龍山橋立堂は、20番と対比できる素晴らしい位置にある札所です。すなわち武甲山を背に高さ120m、幅200mの切り立った白い断崖、自然の岩壁の下に建てられた赤色の本堂は息を呑むスケールと風景でした。二十七番龍河山大淵寺も山裾にあり後ろに琴平ハイキングコースで二十六番萬松山円融寺とつながっています。札所めぐりを逆走したために二十六番目には起伏のある山の尾根をハイキングコースに合わせて走破しました。その先には尾根の頂に岩井堂なる懸崖造りの観音堂が出てきました。これは26番目の円融寺の奥の院で山の下への石段は三百余段、下に位置する本堂は間口八間もある大きなものでした。

山形県山寺の建物を思い出し当時の人の信心の深さ、畏敬の念の強さに感嘆し、わが身も含め現生の人の心の在り方を考えさせられました。

ここまでが春の巻、残りの山深く位置する札所は秋の秩父路巡りとしました。