水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

秋の情景

増しに寒さが増しますが。さざんか(山茶花)で感じること、考えること。

童謡の「たき火」。「さざんか さざんか咲いた道、たき火だたき火だ落ち葉焚き」、という歌があります。神無月にもなって秋が深まってきて、垣根のサザンカが咲き誇ってくると、遂、口ずさんでしまいます。
 でも今は気軽に落ち葉を溜めて焚火をすることが禁じられています。秋深しの情景としての焚火も、火の周りの子供たちの笑顔も遠い昔の光景になってしまっています。昔の人間にとっては寂しい気持ちです。
 焚火といえば、秋の穫り入れの終わった田んぼで、残り藁を燃やす場面も数少なくなっています。秋の深まった夕暮れ、秋晴れで昼夜の気温の差が大きくなると、稲のなくなった田んぼでは焚火の薄鼠色した煙が、少し高く地表と平行に棚引いて、秋の早い夕暮時、焚火の火を見ながら片付けをする人の影が黒いシルエットとなり、焚火の火を残して次第に暗闇に消えていきいます。
 そこで昔田舎で見た光景を思い出して、こんな歌を作ってみました。
「茜雲、夕靄棚引く秋の田に 老いた農夫の黒影一つ」

 朝靄が棚引く風景、雲海に浮かぶ山々、山の尾根を越えて沈む霧など、気温の変化と雲や霞や霧が描き出す光景は自然が生み出す素晴らしい現象です。
 今年訪れた北海道の摩周湖も霧で有名ですが、太平洋から流れ込む暖かく湿った大気が摩周湖畔の山にあたって霧となり山を下って湖面を覆う光景をドキュメントフィルムで見たことがあります。
 季節ごとの一瞬の光景は運が良ければ、タイミングが合えば見ることが出来ます。その光景を見たとき風景全体を脳裏に焼き付けるのには、きっと研ぎ澄まされた観察眼と記憶脳がいるのでしょうか。
 

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