水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

渋柿、皮むき、吊るし柿

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 毎年恒例の渋柿を軒下に吊るして吊るし柿を作る季節が来ました。この吊るし柿を作るようになってからもう何年になるでしょうか。自分の誕生月の恒例行事になってきています。私の郷里は岐阜県、富有柿で有名ですし、大垣には柿羊羹なる名物もあって柿畑も随所に見られます。特に瑞穂市は富有柿発祥の地として有名な産地になっています。

甘い生食の富有柿に比べて渋柿はあまりぱっとしませんが、それでも養老山脈の上石津町などでは、この時期にたくさんの渋柿を秋の乾燥した風に晒し、天日に干して吊るし柿を作る風景が風物詩になっています。私の郷里の池田町は養老山脈の北へ続く所、池田山脈の麓です。昔はどの家にも甘柿と渋柿が庭にあり、甘柿は秋の運動会の果物の定番でしたし、また秋の深まりとともに渋柿の皮をむいて軒下に掛け、日数の経過とともに飴色に変わって白い粉を吹くようになるとおやつ代わりに食べたものでした。

 渋柿の種類では平核無と刀根早生が知られていますが、ほかに西条、蜂屋、祇園坊、愛宕なども有名品種です。ちなみに私の今の住所、王禅寺は禅寺丸という日本最初の甘柿が1214年に見つかったお寺;王禅寺があるところです。私は毎年郷里の柿栽培農家から渋柿品種「蜂屋」を送ってもらい、それを干し柿にしています。

 毎年100個ほどを作っていますが、今年は84個、今年の渋柿は大きくて胴回り直径6-7cm、高さも7cm位、ズングリムックリしています。毎年、弟が手配して宅急便で送ってくれ手に入れることが出来ました。早速、夜なべ仕事宜しく男手一つで皮を剥きました。渋が強く、指先が渋で黒くなったり、あくる日に右手首が腱鞘炎になるほど痛くなるのは毎年のことです。

 小さな我が家の二階ベランダの軒下に、剥き終った柿2つをペアにして吊るしました。秋から冬に向け野鳥の餌がなくなると、この干し柿が熟れて柔らかく甘みを持つようになる頃合を見計らって「ヒヨドリ」が啄みに来るのです。そのため、ネットを掛けて食べられないように対策を講じなければなりません。それも干し柿をうまく作る上でのルーティンになっています。

 昨夜は皮剥き、今朝は軒下に吊るす日曜日でした。1か月もすれば柔らかく飴色に変わり少し粉を吹き始めるでしょう。

 この吊るし柿を待っている人もいます。ドイツの友人達も出来上がるのを心待ちにしています。出来上がったら年越しや新しい年に身近な知人・友人にも配ったりしていて、気が付くと我が家には10個余りしかないことも度々です。でも皆さんが喜んでくださるのが作って最も嬉しいことです。今年の作品の出来も大変気になりますが、こればかりはお天道様にしかわからず、天候に恵まれることを祈るばかりです。