水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

生きてきた26,662日

昭和19年11月生まれは戦中派なのか、戦後派なのか。同年の10月25日は叔父(父の兄)が激戦のレイテ湾で戦艦扶桑に乗っており、魚雷、砲弾を浴びて扶桑は撃沈、全員戦死と報告されている。その1か月後、私が生まれた。この年、1944年は閏年。今年平成28年も閏年、これまで17回の閏年があり、それ以外の35年は標準、365日となっている。昭和19年と平成28年は誕生後の日数、誕生日までの日数の関係を考慮し計算したところ、26,662日となった。

 四万六千日は浅草浅草寺の観音様に関係した功徳日、毎月18日がその日で、この日に参拝するとご利益が得られるという信仰。特に7月10日の功徳は千日分で江戸享保年間から「四万六千日=約126年」の功徳ご利益となったそうである。その半分余りを生きてきたことになる。

 72年生きて6巡目の申年。年金生活になって70歳も越え、先を考えて徐に祈りや悟りや功徳を意識し神社仏閣、仏像や文化財に注目し始めた自分がいた。

 72回目の誕生日、いろいろな人からお祝いの言葉やメッセージをもらった。ドイツの友人は直接電話をかけて来て、生憎不在であったために留守電にその声が入っていた。家族揃ってHappy Birthdayの歌を歌った後に友人夫妻の言葉が入っていた。別の友人は少し気が早くBirthday Cardにアドベントのカードを使ってお祝いの言葉を贈ってくれた。クリスマスまで12月1日から毎日カードの小窓を開けて楽しむようになっていた。ともに同じくらいの年齢であり同じような時代を生きてきて今がある。「元気で過ごそう」が合言葉である。

 実母は21歳で結婚し私を産んで30歳の若さで亡くなった。父は85歳まで生き養母は101歳まで生きて昨年他界した。人それぞれの生きた時代・生き方と自分の生きてきた時代を重ね合わせ、これから何回誕生日なるものを迎えられるか分からないが、当面30,000日(あと9年位)目指して有意義な人生を歩んでいきたいと考えている。