水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

金時山、クマモンはいたか

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金時山は箱根外輪山の最高峰で北の雄、仙石原からの登山コースは短いながらも急峻な坂道が続く2時間コースとして知られています。富士・箱根・伊豆国立公園、最初は富士箱根国立公園として昭和11年2月に指定され、その後伊豆地域を昭和30年に、伊豆諸島地域を昭和34年に取り込んで現在に至っています。この国立公園は3地域(富士山地域、箱根地域、伊豆半島地域)に区分されており、金時山は箱根地域に属し、神山を中心とした活火山とカルデラ湖(芦ノ湖)、その外輪山の中に位置づけられます。火山地形と地質で際立った特徴を有し、平成24年にはジオパークとしても指定されています。

 箱根地区のハイキング、登山コースとして外輪山は有名で、中でも景観や動植物、歴史・文化、アクセス等の幅広い点から金時山コースは人気の的になっています。

 今回の箱根の山行きは、丹沢大山と同じく身近で、日帰りが出来、体力の維持増強、自然探勝、富士山の景観鑑賞を狙ってやってみました。以下、時間の流れに合わせて歩いてみましょう。

 晩秋から初冬にかけての都市近郊登山は日の入りが早く、山道が暗くなる前に下山する必要があるため、早朝の出発、お昼頃の頂上が目標になります。今回も朝まだ夜が明けきらないうち(午前5:30)に自宅を出発、海老名を過ぎたあたりで日が昇り、小田原駅前で買物し乗り継いで箱根の入口、湯本に着きました(午前8:00)。湯本から登山口のある仙石までバスで35分、10分ほどで金時山登山口に着きました(8:45)。

 案内書には登山の距離は短いが勾配が急で厳しい、とあります。麓には別荘や民家もありますが登り始めると建物はなくなり最初は杉・ヒノキの人工林に沿って登ります。道は火山灰土と粘土質土壌からなり、雨水の排水路化が進んでいて激しく深く浸食され沈み込んでいました。雨や雪の後は登るのにさぞ大変だろうと思いました。登るにつれ施業林がなくなり、ササが多くなります。道幅2mくらいは開けていますが両側は高さ2m位の低木やササが茂り、わずかに切り開かれた登山道脇から眼下に神山の北側、大涌谷を中心とした広大な箱根仙石原地区が広がり、素晴らしい景色、展望が得られました。

 矢倉沢峠(明神ヶ岳分岐)あたりはハコネザサが一面に広がり、明るい山容を見せています。ここで一服。ここから上は岩や火山砂が多く傾斜も急で距離は短かかったのですが大変な上り道でした。ササ草原を過ぎるとサラサドウダン、ミツバツツジ、ブナ、ヤマハンノキなど落葉低木が多くなり、さぞ春から夏にかけては花盛り、多様な緑で美しいだろうと想像しました。最後の胸突き八丁は険しい岩場、それを過ぎたら急に開けて頂上に出ました。標高は1212m、掛け声宜しくイチニ、イチニと登ってきました。大きな火山の噴出岩がいくつも転がる頂上には茶屋が二軒、祠が三つと解説版。解説版に、金時山(公時山)の謂れ、文政3年(1820)駿河記の源頼公、坂田公時と熊の話、猪鼻山(金太郎と大猪)など。

 北西に美しい真っ白の雪を抱いた富士山、この日残念ながら午前中に早くも頂上部が雲に隠れ全体の雄姿を見ることが出来ませんでしたが、箱根外輪山を境に南に仙石原から芦ノ湖、三国山、駿河湾、神山と大涌谷、北側には御殿場、広大に広がる富士の裾野、富士山の山影から覗く南アルプスを遥かに見ることが出来ました。

 頂上の茶屋の陰、日当たりのよい軒下で持参した御握りとお茶でお昼にしました。連日の好天続きと駿河湾から上る風を考え午後に曇ることを予想して早めに下山を開始しました。同じ道を道端の可憐な野草花を撮りながら、2時間近くかけて下り登山口に戻りました(12:30)。

 帰途、箱根、宮の下に古くからある有名な富士屋ホテルに立ち寄り、美味しいコーヒーを飲んでこの日の山歩きを振り返りました。

 

 自宅に戻ったころ西の空は茜色の夕焼けに染まり、夜の帳が落ちようとしていました。この日歩いた歩数は17.300歩になりました。絶対距離は長いのですが、電車、バスを長時間乗り継ぎ実質的に歩いたのは登山だけ、多いか少ないか分かりません。でも心地よい疲れが残りました。 次またいつか、一人で。