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水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

カンボジア見聞記 No.3

新しい世界

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滞在4日目2月15日、アンコール遺跡の中で面積的に最も広大なアンコール・トム遺跡、バイヨンを見学しました。アンコール遺跡群はカンボジアで9世紀初頭から600年以上続いたアンコール王朝(クメール王朝)時代に建造された数多くの遺跡群のことです。アンk-ル・トムは12世紀の後半から13世紀、ジャヤバルマン7世によって作られた仏教寺院を中心とした建築物群(大王都)で王宮を中心とした都市(3km四方)とのこと。それまでの戦禍の時代を考え堅固な要塞を巡らせ、中心に複雑な建築様式からなる仏教遺跡バイヨンを作り上げています。バイヨン寺院は54もの塔とその四面に多くの観世音菩薩と言われる巨大な顔(2m四方の大きさ)が微笑んでいました。遺跡をどこから見てもその大きな菩薩面がいくつも形を変えて大きく見下ろしているようで威圧され圧倒されました。この菩薩面(?)はバンティアイ・クデイや南大門にもあって威容を誇っています。別名「バイヨンの微笑み」「クメールの微笑み」とも呼ばれていますが、日本の有名な観世音菩薩の微笑みとは全く別です。伽藍の様式は、他の遺跡寺院等と変わらず四面を回廊で囲み回廊の幅は狭く部分的に崩壊していました。そんな状態ですが、第一回廊の壁面レリーフ彫刻は素晴らしく、往時の戦いの姿や人々の暮らしの様子が描かれており大変興味深く時間をかけてじっくり鑑賞したいと思いました。特に綱引きの様子が描かれており引手の姿が相撲取り如く回しをした格好をしており、思わず「ここでも」と声を発してしまいました。

シエム・リアップ市内から北方6-8km圏にアンコール遺跡群があり、いろいろな国が世界遺産の修復に支援をしています。カンボジアはクメール王朝後16-17世紀後半まで欧州からの東方進出に会っていろいろな国が関係し、1863年フランスの保護国になっています。世界大戦後、1949年独立しましたが既に1907年からフランス極東学院により遺跡の価値が十分に理解され詳細な調査が進めてこられました。苦難の時代(内戦時代)を経て1992年遂にアンコール遺跡が世界遺産に登録されています。日本をはじめドイツ(Boeng Maelea寺院)や他の国々の支援により現在も遺跡の修復が進められています。

 カンボジアの国の文化遺産であるアンコール遺跡の観光利用権はベトナム資本に牛耳られているとも聞きました。世界文化遺産で世界的に注目を集め、多くの観光客・訪問客が訪れているシェム・リアップは目下建築ラッシュ、改築ラッシュですが、望むらくは計画的な文化財都市として、人々の住みやすい、伝統文化が正しく残り息づく町として発展してほしいと考えながら旅をしていました。

カンボジアは現在世界的には後発発展途上国となっており、まだまだ国づくりも人づくりも大変な状況にあります。その下支え、人づくりや地域づくりに懸命に支援し生きている人がいます。今回の旅ではその人達にも会うことが出来ました。ここではその人達のことにも触れなければなりません。