水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

海外支援・ボランティア・生きること

私は現在72歳です。これまでいろいろありましたが、無難な人生を歩んできたように思っています。幼くして実母をなくし戦後の苦しく貧しい(今に比較して)生活を体験して成人し、縁あって最高学府の大学で「教育」という仕事に長年携わってきました。その間に環境先進国の「ドイツ」でいろいろ体験、経験し国際的な視野を広めることもできました。決して我が身一人で成し得たことでもなく、家族をはじめ幾多の師、先輩や知人友人、関係者との繋がりがあって進められたことです。進んできた道のいつの時点でも、我が身の「恵まれた状況」の認識はありました。 

 「人間上見ても限が無いし、下見ても限が無い」と言い、自分の置かれた状況(いろいろな段階、範囲で)に対する感じ方、考え方が大切で、その都度、決断し進んでいかなければなりません。「吾唯足知」、京都竜安寺の蹲に示された故事でも有名ですが、この言葉の「足るを知る」の概念・意味・考え方は極めて難しい点です。近代化、科学化、工業化した先進国では格差が拡大し、またそれを推し進め発展を進めている途上国でも同様に格差が進行する現実があります。国レベル、地方レベル、町レベルとは別に個人レベルで「飽食の時代」、「経済優先・飽くなき生産と消費」の生活の在り方を考えることは無駄ではないでしょう。

 このような世界的にも行く道の不確実な時代に、自分の生き方に信念をもって進み、活動している人や団体は少なくありません。直接それに関わる人たちには頭が上がりませんが、それを支援しようとする考え方は大切です。

 今回のカンボジア訪問は、旅の中でそれを直接目にし、耳にすることがあり、その意味で目を開かされるものでした。関係する人たちから、これまでの歩みを聞き、現状を見られたことは、人としての生き方を考えさせられる事となりました。その内容に触れ少しまとめてみます。

 H女史:日本の大学を卒業後、社会に出て働き、たまたま興味のあったカンボジアに旅行。普通の女性が旅の中でカンボジアの子供たちの置かれた生活の有様に驚き、日常生活の支援をすることに目覚めたとの事。以来15年以上にわたりシェム・リアップ市の孤児院で、事情があり学校に行けない子供たちを見守り育て、施設で支援の手を差しのべ社会に送り出して来られています。日本との細い僅かな繋がりの糸を頼りに、少しずつ支援の輪を日本に求め活動され、カンボジアの子供たちの状況、生活支援の必要性を広めておられます。子供たちに普通の生活と学び考える力を持たせる努力をされています。 

  S女史:日本の大学時代に東南アジアに興味を持ち、縁あってカンボジアのアンコールワットで観光ガイドになり、同時に日本語教師として現地の子供たちを教えておられた。その時学校にも行けない子供達がいること、学校を卒業しても働く場所が無いことの指摘を生徒からされ、自分の役割を考えさせられたとのこと。そこで起業の必要性を感じ、世界文化遺産アンコールワットを有する街で、働き場として製菓業を立ち上げ軌道に乗せ進めてこられています。設立10年を経て、今は店を現地の人達に任せ、農村の個人事業者を育てたく市郊外に自ら40haほどの農地を買って熱帯地方の農業を軌道に乗せるべく日夜努力されています。さらにその先にはH女史同様、学校を作り人づくりをしたいと活動に燃えておられます。彼女を突き動かすものは「社会のために自分に何が出来るか」の信条にあると仰っていました。整備途上の農場を見学し、有機栽培の野菜、果樹生産を着実に始めておられる様子に感動しました。

Y女史:関係者とアンコール遺跡修復に関わる傍ら、現地で建築家として活躍されています。同時に日本の団体と連携を持ちながら、将来を担う子供たちの教育を支援する活動に力を注いでおられます。先に書きました2人の女性と同じく、カンボジアの若い力を長い目で育てることに努力されています。小学校の低学年の入学生徒数は少しずつ伸びているようですが、家族労働力として子どもの力がまだまだ必要な社会状況にあり、中学年での就学児童減少が起こり、高学年では中学校への進学の可能性が低くなる問題もあります。中学校自体が少なく、学校が遠くなると通学できない問題もあるのです。それらの問題解決に向け中学校建設を推し進めたり、さらに将来社会で活躍できる有能な人材を育成するための支援を続けておられます。

 限られた日数の中でシェム・リアップ市近郊を見て、社会的インフラの整備不足やそれに伴う生活水準のレベル、未成熟な産業構造を見るにつけ、日本に照らし合わせ大いに考えさせられました。物余りで、物を大切にせず、物不足に耐えられないだろう日本、「もったいない」が死語になりそうな日本。一方、カンボジアはこれまでの負の時代を背負って進んでいます。識字率の低さもこの歴史的な歩みの中にあり、一長一短、可及的速やかに社会の状況が変わるものではありません。そのため次世代を担う子供たちの教育は将来にわたって着実な発展を遂げる意味でも重要となります。発展途上国で「不足」を分かったうえで弛まぬ支援の努力を続ける信念を持った日本の人達に敬意を表し、今後もできる範囲での支援をしていこうと考える旅になりました。