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水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

東海道五十三次 今・昔  その四

その三では、東神奈川宿から藤沢宿までの道程を報告しましたが、今回は藤沢宿から大磯宿までの様子をお伝えします。その三は横浜の丘陵地に懸かり、また三浦半島へ続く地形的な特徴があり、鎌倉から三浦半島へ延びる丘陵を横切るように東海道があったため、権太坂や入り組んだ谷戸の出入りで保土ヶ谷、戸塚宿は景観的にも地形的にも複雑な街道景観であったように思います。

 藤沢宿に出ると一転、遠く丹沢山塊があり、北から南へ流れる幾つもの川の沖積平野は相模平野となり、西には次第に富士山が大きく見えるようになってきました。藤沢宿から小田原宿まで東海道はこの平坦地を東西に延び、海抜12-15mほどの海辺地帯を通ります。

 この日は藤沢宿の伊勢山橋から8時にスタート、大庭丘陵を過ぎ引地川を渡り、右に左に緩やかなカーブを描く街道を歩きました。沿道には広い屋敷を持った旧い地付きの家が散見され、東京都心の道とは違って街道らしさが感じられました。遠くに見える丹沢山塊には有名な丹沢大山が見え、往時は大山阿夫利神社の「講」に詣でる人たちが行きかった大山道東海道の合流点がありました。茅ヶ崎市に入ると旧道には松並木が残されたり再生されて、地名にも示されているように松林(しょうりん)と海近しのクロマツの風景です。茅ヶ崎村、真っ直ぐに伸びた十間坂(電柱が地中化され見通しと見晴らしの良い通り)を過ぎ千川、小出川を渡り、ほどなく行くと川の上、中、下流で呼び名が違う相模川(上流は桂川中流相模川下流は馬入川)になりました。相模川の源流域は甲州山梨の猿橋とのこと、流域圏が大変に広い河川で、昔も洪水には難儀をしただろうと思いながら渡り終えました。馬入川を渡るとすぐに平塚宿、藤沢宿から平塚宿までは13.3km、3里半で丁度3時間ほどかかって着きました。平塚宿にも当然本陣、脇本陣がありましたが、今ではその面影を残すものは殆ど無く、跡を示す表示杭も見当たりません。最も平塚宿は今は「平塚七夕祭り」がこの街道で行われ、商店街が様変わりしてきたので致し方のないことと思われました。ただ見附跡は江戸、上方共にあって往時の宿場を思い出させます。

 平塚宿は西、真近にポッコリした高麗山を眺めることができ、広重の絵そのものといった景観です。金目川地図では花水川)畔で昼ご飯とし、すぐそばの高麗山と川淵に黄色い帯のように連なって咲く菜の花を眺めながら休みました。橋を渡ると2kmほどで大磯宿はすぐ傍、高麗山に連なる山が迫り出して街道の景観は狭く押される感じと雰囲気でした。平塚宿から大磯宿までは4km、27町でした。

 この日の歩いた歩数は37500歩、13時15分に終了、行程5時間の行程となりました。帰途、JR東海道線で大磯から藤沢まで戻りましたが、この歩いた区間は電車で何と15分でした。300年前は・・・・・