読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

東海道五十三次 今・昔  その六

f:id:nu-katsuno:20170429225058j:plain

 大磯発ち(大磯から歩き始め)に倣って早朝4時起床、小田急線下り始発電車(5:12)に乗って本厚木へ、本厚木で急行小田原行が待っており乗車し終点で箱根湯本行に乗り継ぎました。湯本に6:45着、手洗いを済ませて6日目の行軍を開始しました。駅から早川に懸かる三枚橋への途上、東の空に神の降臨を思わすような光の筋が雲間から差し込んでいて、思わず神々しい朝の出発風景となりました。前回の続き、旧東海道三枚橋から早川を渡り畑宿を目指す幅の狭い街道です。道の両側に山が迫り、箱根の山は天下の剣、函谷関もものならず、と謳われる様相を今に示しています。山肌は今盛りとヤマザクラが満開、落葉樹の若葉が萌える柔らかな小緑色、それに針葉樹のスギの深緑が加わって美しい春の山を作り出していました。

 箱根国立公園の観光メインルート(温泉ルート)は湯本から早川の流れに沿った塔ノ沢、宮ノ下、大平台、強羅、小涌谷を上る道です。新春恒例の箱根駅伝のルートでもありよく知られていますが、旧東海道の道は須雲川に沿って畑宿までは民家や旅館があるものの、景観は箱根山塊が迫る狭い谷筋の風景で、やや脇道的存在です。山の斜面は足元から急に切り立って尾根へ伸び、道沿いの僅かな平地に民家や寺院が散在しています。この旧街道は湯本と関所のある元箱根を結ぶ最短の道で、湯本から畑宿までは家並みがぱらぱらと続きますが、畑宿より上の山間地に民家はなく、石畳の狭い山道だけが森の中に伸びています。歌の文句に出てくる「昼なお暗い石畳道」。途中の大天狗山神社で休憩、おにぎりで腹ごしらえし、須雲川の鎖雲寺では仇討で有名な話に登場する初花・勝五郎の墓に参りました。この寺院には8:30に着きましたが畑宿まで1700m、元箱根まで6700mの表示があり、先はまだまだの様相でした。この先で須雲川を渡り「女転ばし坂」から国指定の史跡石畳道に入り、割石坂、大澤坂を登って畑宿に入りました。

 石畳道が整備されたのは江戸時代(延宝8年(1680)敷設、文久3年(1863)14代将軍家茂の上洛に合わせて全面補修とある)とあり、それ以前は竹が敷かれてはいたものの、一雨降れば泥んこ道で、通る人たちは難儀をしたことでしょう。石畳道になって通行人には快適となり喜んだことが想像できますが、そんな石畳道でも現代人にはデコボコの道で、歩き難いことこのうえなし、江戸時代からの史跡として感激して歩くほかありません。それにしても、この石畳道を参勤交代の長い隊列はどのように通ったのでしょうか、全く理解できない道のスケールです。

 畑宿守源寺(1661年創建)で県道と別れ石畳の山道に入りましたが、この上に民家はなく草木が茂る山道です。守源寺の隣に大きな一里塚跡の小山が道の両側にあり目立ちます。山道坂道でいろいろな名前がついています。七曲りの西海子坂、橿木坂、階段と石畳道の混ざった狭い山道です。県道は多くの曲坂を車が何度もぐるぐる回り上りますが、旧東海道は直線的で距離的には短く山間を上っていきます。猿滑坂、追込坂、笈の平、於玉坂、白水坂、天ケ石坂(写真)を登っていよいよ峠となりました。箱根馬子唄碑(箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川)の場所からは下二子山、上二子山が目の前に現れ感激、芦ノ湖を見ながら権現坂を下り芦ノ湖畔の杉並木に入りました。樹齢何百年と言われる元箱根の杉並木、巨大な杉木立には今につながる時間の長さと、それを物語る30mを越す杉の巨樹に圧倒されました。芦ノ湖に突き出した県立箱根恩賜公園を横目に見て箱根関所に入りました。江戸口から京口へ素通りしバス広場でこの日の旧東海道箱根越は終了しました。時刻は丁度11:30になっていました。ここまで4時間半、箱根上りの歩数は24.500歩になっていました。 

12:15発の小田原駅行きのバスに乗り、駅伝ルートに沿って小涌園から大平台、宮ノ下を経由して箱根湯本に出、小田急線に乗り変え、早朝来た途を我が家に向かい15時に柿生に辿りつき終了しました(疲、苦、笑)。次はいよいよ三島への下りだ!