水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

新緑の裏磐梯五色沼 その2

 旅で最も嬉しいことは、朝から晴れ間が広がり快適なそよ風が頬を撫でることではないだろうか。風景が一段と美しくなるばかりか心浮き浮き足取りも軽くなる。それとは真逆の、雨天では気持ちどころか体も乗らず浮かない。裏磐梯第2日目は、朝からそんな日になった。休暇村の窓ガラスを濡らす雨は風と相まって時に強く、窓外の風景を掻き消してしまう。 

 事前に立てた計画を再度練り直し、この日は近くの磐梯山噴火記念館(1998創設)を訪れ、磐梯山の噴火について勉強することにした。実の所、旅に出る前まで磐梯山とその周辺についてよく理解せず、ただ風景の美しい「裏磐梯五色沼」の名前につられて来てしまった。隣に3Dワールドなるものもあったけれどオーソドックスに記念館に決めた。折からの天候のためか来館者もあり、贅沢を言わなければ自然のジオラマもあってそれなりの展示である。磐梯山については詳しく丁寧に展示、解説され、特に1888年7月の噴火については数少ない当時の記録写真などを中心に展示されていた。磐梯山(特に裏磐梯)については、たまたまNHKの人気番組「ブラタモリ」を以前に見ており興味を持っていた。この放送の中では、歌に歌われている磐梯山とその周辺の自然・文化を「宝の山」として捉え解き明かしていた。山体崩壊、遠藤現夢は知らない名前や用語だったが、記念館でその内容を理解することが出来た。入場券を買う折に対応してくださったのは館長の佐藤氏(歴史と火山学;地形地質学の専門家)で、たしか「ブラタモリ」の案内役で出ておられたことを後になって思い出した。

 噴火時の様子を身近で正確にとらえ、以後に正しく伝えようとした人がいたことを知ったのもこの時である。その人は岩田善平という写真家である。1888年の噴火発生と共に現場に駆けつけ磐梯山崩壊やそれに伴う集落の被災状況を14枚の写真に撮り残している。岩田は喜多方出身で19世紀中頃日本に入ってきた写真に興味を持ち、下岡蓮杖(横浜)に師事しその門下生として活躍した。写真は現実をありのままに映し出し、見る人に状況を正しく伝えるツールとして最適の方法であると理解していたと思われる。

 何の苦労もなく簡単に被写体を写すことが瞬時にでき、何処へでも直ぐ送れる今のデジカメや携帯電話と違って、重くがさばるカメラと機材を運び、被写体を選び、足場の悪い現場で設営し、アングルを決め時間を要して撮り納めることを想像すると、彼の14枚の写真の価値や意味が大変大きなものであることがわかる。記録の重要性と自分の生き様の表現として写真を考えていた岩田の信条を幾分か理解することが出来た。

 記念館ではこの常設展示と同時に企画展示として東北の写真家五十嵐健一氏の風景写真展が開催されていた。時代は変わっても写真家として東北(奥会津磐梯山)の自然の持つ四季折々の美しさ儚さ、自然の作り出す形、姿の価値を自分の足で探しだし、「時間」との戦いに向き合い作品化する姿にはただただ敬服するだけである。その瞬間、すぐに形、姿を変える自然がある一方で、何十年、何百年姿を変えない自然の生業がある。その場、その時間を探し求めカメラに収める姿はある面、岩田に通じる精神、東北魂、自然に対する心を垣間見る彼の作品であった。