水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

展覧会巡り  1

 水墨画と聞いて思い出すのは、昔、自宅の床の間に下がっていた掛け軸の絵である。墨絵と漢詩が混ざった静かな佇まいの風景を描いた軸が季節に合わせて掛けられていた。当時はただ何となく、その日本間の空間に合った物、装飾的な感覚で見ていただけで内容などあまり意に介していなかった。中学や高校の美術の授業で、水墨画について少しだけ習った記憶があり、雪舟等伯の名前は知っていたが、その程度であった。

 造園緑地の分野に進んで日本庭園の知識や日本文化との関係を掘り起こすことになり京都の名園や関連する絵画、書の歴史などの関係を学生に伝えることが必要となり、遅ればせながら少しずつ鑑賞の幅を広げてきた。しかし造園緑地の領域は広く、水墨画を取り巻く時代的な背景や作者や作品の時代的特徴まで深く掘り下げ日本庭園と時代文化の関係まで深く理解するところまで行けなかった。

 先月、購読している新聞に水墨画展覧会の案内記事があり、「日本の水墨画の足跡、「長谷川等伯雪舟」展、日本人の感性が発揮されていった水墨画の絵画表現の紹介(於:出光美術館)となっていた。この歳になってやっと水墨画を身近で感じてみよう、考えてみようと思い立ち、早速この展覧会へ行ってみた。

 雪舟等伯を代表とする日本の水墨画の歩み、その広がり繋がりを理解するうえでは格好の展覧会である。雪舟(1420-1506)は室町時代を代表する水墨画家で、備中岡山で生まれ京都の相国寺で修行、34歳で周防山口に移り47歳で遣明船に乗り中国へ渡り2年間中国各地を巡り主に宋、元時代の水墨画を研究し帰国(49歳)したとある。日本に帰ってからも各地を巡り風景を作品化している。今回の展覧会では「破墨山水図」(国宝)と四季花鳥図屏風(六曲一双)があった。破墨山水図は22×35cmで小さな絵であったが、墨の濃淡、筆致、全体の構図(空白部のスペース)から描かれている対象はとても大きく、広い世界が描かれており、その素晴らしさに感激。四季花鳥図屏風では、描かれたいろいろな花鳥の中で木の根元に何気なく描かれた万年青が印象的であった。以前、国立博物館での禅画展で雪舟の国宝「慧可断〇図」を見たが、それとは全く異なったものであった。雪舟水墨画同様、作庭も行っていて山口県島根県の寺院に残されている。いつか機会を見つけて鑑賞したいと思っている。

 水墨画は「無限の可能性を秘めた中国伝承の絵画表現」と言われ、「限られた空間の中に墨一色の濃淡で無限の世界を描き出している」有様は思索的で哲学的である。禅の考え方、捉え方、心に通じている。 

 もう一人の巨匠、長谷川等伯(1539-1610)は桃山時代から江戸初期に活躍した絵師で、二曲六隻二つの松林図(東京国立博物館蔵;国宝)は良く知られ有名である。等伯は幼児期より絵と深く関係しており、青年期は仏画肖像画を良くしている。京に出て狩野派と交わり狩野永徳と共に秀吉の下で多くの作品を残している、この時期に千利休と交流し始め、以後強く影響を受けている。利休を通じて京都大徳寺との関係もあり、利休が秀吉の怒りをかった大徳寺山門の天井絵(多くの龍の絵、等白の署名;1589)にも関与し、同時に大徳寺塔頭三玄院の水墨画(襖絵;1589)、旧祥雲寺障壁画(智積院蔵;1593、祥雲寺は現智積院で秀吉の嫡子鶴丸菩提寺)の松と草花図は等伯の最高傑作(国宝)と謂れている。この間、1591年に知己の千利休切腹し、1593年には長男久蔵を亡くしている。有名な「松林図」はこの頃(1593-95;等伯54歳)に描かれているが、彼の身の回りの悲しみと苦しみ、無常の気持ちを考えると黒一色、霧か靄に浮かぶ松の情景は分かる気もする。

 等伯徳川家康に乞われて江戸へ下向する折に病伏、江戸到着2日後に病没(72歳で)とある。 今回の展示作品は43点あり、雪舟等伯の他、室町時代水墨画家 玉澗、牧谿、雪村、能阿弥、伝周文、伝一之の他、江戸時代の絵師 池大雅、浦上玉堂、狩野探幽、尚信などの作品を見ることが出来た。その殆どが出光美術館所蔵で素晴らしい水墨画のコレクションであった。

 出光美術館は丸の内3丁目、皇居日比谷濠に面した帝国劇場ビルの9階にある。出光興産の本社で創設者、出光佐三の古美術コレクションで知られている。美術館休憩室は皇居外苑を近景に緑豊かな皇居が一望でき、一時、都市の喧騒を離れ時代をワープして日本文化の神髄、水墨画の巨匠二人の作品を鑑賞することが出来た。

 同じ日、同じ丸の内にある三菱一号館美術館で別の二人の巨匠展に足を延ばした。