水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

電柱と景観

 先日(11月10日)の読売新聞に写真家、港 千尋氏の記事が掲載されていた。記事のタイトルは「考景・2017、電柱」であった。見出しに「異常な多さ、日常風景に」とあった。見慣れてしまっている電線のある光景に何の疑問も持たずに生活している人には、添付されていた写真は、これ日本?と異様に映ったと思う。

 写真は、港氏自ら東京都内で撮影したもので、電柱に無数の電線が絡みあい、蜘蛛の巣か縺れた糸溜りのような光景を写し出していた。氏の文章は11月10日が何の日か聞くことから始まり、3つ並ぶ「1」を電柱に見立て、それが「0」になる、すなわち「無電柱化の日」として風景を考えるべきではないかと提唱している。彼の主張に触れてみる。

 全国で無電柱化された道路比率は、僅か1%、今年9月に無電柱化推進条例が制定された東京都(23区)でも、たった8%だという。海外ではパリ、ロンドン、香港で100%、シンガポール、ベルリン90%、ニューヨーク80%、冬のスモッグで知られる北京でさえも30%を越えているという。外国人観光客が極めて多い京都でも僅か2%で、おそらく日本人にとって、電線の織り成す異様な光景は、もはや見えていないのか、あるいは話題にしても意味が無いと諦めているのかもしれない。

 無電柱化の為には地中化で対応が図られるが、それには莫大な費用が掛かること、台風や風雨の多い日本では地中化(上下水道など社会的インフラとの共同溝)による災害対応や維持管理の面倒臭さが危惧され、積極的に進まない理由なのかもしれない。

 港氏は「無電柱化民間プロジェクト」として写真コンテストを行っていると書いている。電柱が無かったら良いのにという風景、地中化されたことで美しくなった風景の写真を集め「風景を考える」運動をしている。氏は記事の最後に、「1」を「0」にする道は、遥か遠いかもしれないが最後の1本がどこに残るか想像しながらシャッターを切ることは誰にでもできるだろう、と結んでいる。

 

 われわれ造園家は、緑豊かな生活空間を考える人種である。街路樹の緑が都市の緑として重要であるという認識でその充実を叫んで来たし、電柱に代り街路樹が人にも車にも良く、潤いのある都市景観を作り出すものと考えている。電柱の殆どが道路端にあり、道路景観を占拠し緑(街路樹)と常に軋轢を起こしてきている。無電柱化が進んだ先進諸国の都市の街路景観では街路景観がすっきりしており、街路樹のある所では樹冠が道を覆って緑豊かな都市景観を作り出している。また一方で、中小都市や田園地域では伝統的、歴史的に意味ある老大木並木などを積極的に残し風景を保全している。

 日本ではこれまでに道路整備(拡幅や新設)で多くの並木や古木が取り除かれたり、都市では道路面を覆わない細い街路樹が育成されたり、樹冠を作らないように毎年整枝剪定され盆栽化したりして電線を邪魔しないようにしてきた。これでは都市の中に豊かな緑のライン(軸)を作り出すことは到底できないし(法的にできなくなっているが、法律は変えればよい)、都市の中に豊かな緑の血管網(緑のネットワーク)を張り巡らすことはできない。日本でも遅ればせながら大都市の中心市街地部で無電柱化が徐々に進められてきており、今後、道の緑の充実と合わせ、都市内の美観向上に期待するところ大である。

 

 この港氏の記事を読んで、私も彼が提唱する醜い電柱景観、美しくなった無電柱景観を探し、その写真を撮り集めてキャンペーンに参加しようと思う。

 街路樹の整備は言わずもがなである。