水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

墓地に想う

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 私は間もなく73歳になる。以前から一家の主として「墓」について意見を求められてきた。高校を卒業し岐阜の田舎から東京に出て家を構えた。今は亡き父が生前、私の墓をどうするか考えていたようで、故郷に「墓地」を持たせたいと考え、用地を確保していた。それは、「墓地」を介して、時がたてば「郷里に戻ってくるだろう」、「歳を取ると故郷が懐かしいものだ」との「親の子に対する希望」考えがあったと想像する。家族(妻や娘ら)は、その考えや実態に戸惑い躊躇してきた。主(私)が亡くなった後、遠く岐阜の田舎まで墓参りをすることを考えるのは、止むを得ないことでもある。

 日本では、いまでも東京や首都圏への人口集中が止まっていない。社会が高齢化(高齢化を迎えている人達は、日本の素晴らしい経済成長を支えてきた地方出身の人達)し、どのような形にしろ「終活」を迎え、その亡骸をどこで、どのようなものにするか、重要なテーマになって来ている。現実的には首都圏や周辺都市が居住地である人々に対し「墓地開発、墓苑整備」は、これまでにも地形を無視し緑を剥ぎ取って大規模に進められてきた。これまでの整備には「緑を造り出し育てる」発想は全くない。樹林地を開き多くの樹木を伐採、失くして作り出した広大な墓地を、石やコンクリートだけの空間にしてきた。墓区の一つ二つを削ってでも緑を造る場所にしてこなかった。墓苑面積の1/50、1/100でも空地(くうち)を設け、前に在った樹木の稚苗を植えていたら、緑多く、夏の暑さを和らげ秋の美しい紅葉も造りだせるものを、と私は考える。儲け中心、信心衷心欠如は今も変わっていない。公営墓地の管轄は「公園緑地局」ではなく「経済局」なのだろう。

 大学時代に学生の卒論指導で、こういった面的な開発(墓地や駐車場、墓地、団地など)に緑を幾らかでも増やせないか、と調査研究、提案(郷土種緑化・デザインも含め)したこともあった。公営の墓地整備計画で緑の充実を提案したこともあったが当時はその提言が早すぎたようである。叫ぶ声が小さ過ぎたか、提案・アイデアが余りに先走りすぎ非現実的だったのかもしれない。そのことは時代が下って現在、或る住宅建設会社の計画・設計(緑や自然・生き物を重視し季節感あふれる落ち着いた住宅)を見ると頷ける。理解を得るためには時間が要るのである。

 ドイツを中心に海外緑地事情を調べる中で、墓地を訪れたことも少なくないし、その都度、樹木や草花が豊かでゆったりした墓地が都市の中で重要な緑地空間を構成していることを羨ましくも思ってきた。さらに「墓地」の管理が行政的に「造園部局」の管轄下にあることにも驚きである。社会の高齢化は洋の東西を問わず進み、土葬中心のドイツではこれまで以上に「墓地の用地確保・整備」は重要なテーマになってきている(例えばハンブルク市・海外研究参照)。わが国でも住宅同様、緑や自然豊かな墓地・墓苑が「再生・再考」されることを待つばかりである。 

 少しずつ緑豊かな「墓地」が注目され、用地の活用形態や墓区の在り方から樹木を中心とした形(樹木葬、自然葬)が注目されてきている。豊かな緑の在り方や墓地、墓苑に対する考え方が少しずつ変わってきているのであろうか。しかし、まだまだ都市の中では緑空間の大きな塊としての「墓地・墓苑」は見られない。せいぜい、用地の縁辺部に僅かに樹木が残されるに過ぎない。

 

 自分の墓はどうなるのであろうか。自分ではあまり興味が持てないが、家族はそう感じていない。「主が亡き後、もしも主を慕って、偲んで誰かが訪ねられた時に、お連れする場所が無いと言えない、まして小さな家ではとても来てもらえない、どこかに墓地を見つけなくては」とは連れ合いの言い分である。