水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

運慶展で仏像を見る

 

 

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 わが国で最も著名な仏師といわれる運慶の特別展が、この秋、国立博物館平成館で行われていました。(9月26日から11月26日まで)。大変な人気で11月22日現在で入場者は何と50万人を超えたと報道されています。私は11月16日の週日に訪れましたが入場券売り場はそれほどの列ではなかったのですが、会場の平成館入り口部分では大変な長蛇の列(4列並びで200m位)で、待ち時間も1時間くらいでした。快晴の為、日差しが強く雨傘が日除け傘として希望者に渡される有様でした。

 

 天才仏師、運慶は1150年頃?生れたとされており、生年不詳になっています。父親は良慶で、宇治平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像を制作した定朝から続く仏師集団3派(院派、円派、慶派)のうち、奈良仏師の系統を受け継ぐ慶派を興しています。康慶は7人の弟子があり快慶もその一人、運慶には子供が6人おり、湛慶、康運、康勝、康弁、運助、運賀いずれも仏師です。家族はじめ多くの弟子や仲間達が多くの仏像の修理、新造に携わっていたようです。これまで私が知っている運慶・快慶の代表作で有名なものは東大寺(奈良)の南大門金剛力士阿吽像だけですが、今回の展覧会では運慶中心に彼を取り巻く人達の作品37体(近畿、関東の12の寺などから)が一堂に会して展示されていました。普段では見られない仏像を至近距離、見方(例えば裏表、横側)で目近かに見ることが出来、大変貴重で素晴らしい体験でした。

 運慶を生んだ系譜---康慶から運慶へ、---運慶の彫刻、その独創性(第一会場;第1-2章

では大日如来坐像(1176;奈良・円成寺、26歳)、仏頭(1186;興福寺、36歳)、毘沙門天立像(1186;伊豆・願成就院、36歳、添付写真右)、不動明王毘沙門天立像(1889、浄楽寺、39歳)、地蔵菩薩坐像(六波羅蜜寺)、八大童子立像(1897;金剛峯寺、47歳聖観音菩薩立像(1201、愛知・瀧山寺、51歳)そして最も見たかった無著菩薩、世親菩薩立像(1212頃、興福寺、62歳)が第一会場に展示されていました。

 八大童子は小像でしたが、それぞれ8つの異なった姿をし、何かを見据えるような眼差しが印象的でした(添付写真の赤い像はその一つ)。聖観音菩薩も素敵でした。優しく柔和なお顔、ふっくらした体躯、良く残った色彩に魅入ってしまいました。

 展覧会の案内や解説がいろいろな新聞やテレビで紹介されていましたが、その折に最も見たい像として二菩薩(無著、世親)がありました。像の前に行き、そのお顔を見、表情を凝視していると胸に熱いものが込み上げてきました。誰もいなくて一人なら涙する思いの感激でした。特に無著菩薩の姿、顔の表情には言葉が見つかりません。運慶62歳の作で2mにも及ぶ大きな像ですが、物悲しげで、それでいて全てを受け入れて包み込んでくれる雰囲気が出ており、しばし見とれて立ち尽くしていました(添付写真左)。

 無著・世親菩薩は兄弟で5世紀北インドに実在した高僧とのこと、無著菩薩は老年(静)、世親菩薩は壮年(動)を表しているといわれています。世親の何とも物悲しげで遠くを見る尊顔は何を訴えようとしているのか、何を救おうとしているのか考えさせられ、無著菩薩のやや憂いを含んだ、それでいて毅然とした尊顔は心の静けさを感じました。法衣を纏って立ち尽くす姿からは、運慶の他の仏像に見られる動きのある体の線、筋肉の力強い表現は鳴りを潜め、堂々としていました。素晴らしいの一言でした。

 運慶風の展開---運慶の息子と周辺の仏師(第2会場---第3章)では息子の湛慶(毘沙門天、吉祥天立像など)、良弁(天燈鬼、龍燈鬼立像)の作品がありました。良弁の両鬼立像は餓鬼を踏んづけた作品で小品でしたが力感溢れ素敵な像でした。父、運慶の血筋が脈々と流れ、技量をしっかり持って仏像に受け継がれ、注がれていると感じました。

 

 運慶の作品は、12世紀後期(1176)から13世紀初期(1223)に作られたものです。26歳から73歳まで、平安時代後期から鎌倉時代初期、貴族社会から武家社会へ移り変わる動乱・激動の時代に生き、仏教界や政界の実力者と密接に関係しながら製作し続け造り上げたものです。彼はこの動乱の世、移り変わりの激しい時代に、京の貴族社会と東国(鎌倉中心)の武家社会の間にあって作品と共に社会を見つめ、寺院、仏像を通して一般の市民に来世のこと、導いてくれる如来、菩薩、観音の姿を具現化することに力を注いで生きた人なのだろうと感じました。写実を重視して形を作り像を仕上げる姿はイタリアルネサンスに活躍したミケランジェロに匹敵、あるいはそれ以上のものと思います。もし運慶が作品を作る過程でスケッチ集やデッサン画を残していれば、人の躰の細部の動き、在り様が細かく描かれていることに間違いはないでしょう。

 わたしもこの11月で同じ73歳になりました。彼の造り上げた作品もさることながら、生を受け支えてくれた父母(康慶)、家族を支えた妻(阿古丸)、周りの人達とともに73年にわたる人生、人となり、時代と環境をより知りたくなりました。