水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

展覧会巡り  北斎再び

 昨年に引き続き、展覧会巡りを続けています。昨年同様、葛飾北斎への注目度は依然として高く、いろいろな会場で展覧会が行われてきています。一つは鎌倉国宝館における「北斎と肉筆浮世絵;会期2018.01.04~2018.02.04」もう一つは昨年秋から続く上野国立西洋美術館における「北斎とジャポニスム;会期2017.10.21~2018.01.28」です。

 前者は1月24日に、後者は会期終了間近の今年1月25日にそれぞれ見に行きました。

 1月21日から本土の南、太平洋沖を弾丸低気圧が通過、同時に北の猛烈寒波が日本上空へ張り出し、22日には関東地方で久しぶりの大雪になりました。終日降り続いた雪は20cm以上の積雪となり都市の交通は大混乱。当初、23日に計画していました鎌倉国宝館の北斎展鑑賞は1日延ばし24日、閉幕が迫っていた西洋美術館の北斎展訪問は次の25日にしました。

 鎌倉国宝館の北斎特別展は「氏家浮世絵コレクション」全て画家が直接描いた肉筆画で

版画と違い細かな筆遣いや見事な色彩を目の当たりにすることが出来ました。北斎のそれは11枚。5幅の掛け軸図(桜に鷲、若衆文案、雪中張飛、三番叟、阿縟観音)、どれを取っても素晴らしさは凄いの一言でした。扇面に描かれた「波に燕」は瞬間的な浪間の燕の姿が見事に生き生きと描かれており、また、「小雀を狙う山かがし」の屏風絵(小振りの屏風)では小雀、蛇(ヤマカガシ)いずれもその精緻な筆致、構図、色彩(配色)から成っており、見とれて暫く絵の前から動くことが出来ませんでした。

 鶴鸛図は2曲1隻の屏風絵。鶴と鸛が飛びゆく様を、飛翔する鳥の姿で大きさを変え(遠景は小さく)近景から遠景へ描かれており、西洋の遠近法(画面は鳥だけしか描いていない)の様式を使っている様でもありました。さらに「酔余美人図」の見事さにも言葉がありません。小卓にしなだれ崩れ寄りかかる女の姿、着くずれた衣服の流れる線、着物や帯の柄、色合い、どれをとっても素晴らしいの一言です。他には歌川広重歌麿菱川師宣などの肉筆浮世絵もあり、大変充実した展示でした。同館内では「鎌倉の仏像」の常設展も同時に見ることが出来、鎌倉期の運慶派の彫像を鑑賞することが出来ました。鑑賞のプロローグとして、駅から段蔓を通り三の鳥居を潜って舞殿を経て急な石段を登り、八幡宮(上宮)に参拝し干支絵馬を求めてから国宝館に入りました。

 

 1月25日の西洋美術館「北斎展」は、終了3日前でしたが多くの人が鑑賞に訪れていました。この展覧会の趣旨は、葛飾北斎の作品が、いかに西洋絵画界に影響を及ぼしたか、を作品の対象展示を通して比較することにあるようです。いろいろ報道されていましたが、予期したよりはるかに多くの関連作品が出品されており、その数の多さに驚きました。

 作品区分で言うと、西洋作品220、錦絵・摺物(全て北斎)40、版本(全て北斎)38。その数は膨大で作品の所蔵美術館も大変多岐にわたっており、その点からも北斎作品の衝撃を受け、影響を受けた芸術家の多さを実感できました。

 19世紀後半から20世紀前半(1850-1910)頃、西洋絵画に新鮮で強烈な印象と強く大きく影響を及ぼした「日本」、さらに葛飾北斎の作品を始め多くの浮世絵、版画など、この時代の西洋絵画作品を生み出した芸術家達の作品が所狭しと展示されていました。

 良く知られた芸術家を列記してみると、エドガー・ドガ、アンリ・ロートレック、クロード・モネ、カミーユ・ピサロ、グスタフ・クリムト、ポール・ゴーギャン、ヴィンセント・ゴッホ、ポール・セザンヌ、オーギュスト・ロダン 他にスーラ、クールベなど錚々たるメンバー、更にはガラスや陶器の作品としても、エミール・ガレやドーム兄弟、ルイス・ティファニーなど。

 展示法としてテーマを設け比較展示されており、1:北斎の浸透、2:北斎と人物、3:北斎と動物、4:北斎と植物、5:北斎と風景、そして6:波と富士、とそれぞれ区分され北斎作品の該当部分と並べて比べることが出来ました。

 北斎漫画は以前にも見ていましたが、富嶽三十六景や富嶽百景、諸国瀧廻りの錦絵、墨摺は余り見たことが無く、これも同時に見ることが出来て感激しました。

展示作品数があまりに多く、じっくり比較しながら北斎の良さ、斬新さを眺め、参考にして作品を生み出した西洋の芸術家の作品を味わい、鑑賞時間はあっという間に3時間半たってしまっていました。

 見終わってホッとして気が付いたら空腹に襲われ、持参した食べ物をロダンの「考える人」の前でゆったりと味わい、言い知れぬ満足感に浸る午後となりました。

 

追記)2月7日付の読売新聞朝刊に葛飾北斎研究の第一人者、永田生慈氏の死去が報じられていました。良く訪れる原宿の太田記念美術館の設立に関わられたり、国内外の北斎展覧会の企画監修に尽力された方です。ご本人が集められた数多くの北斎に関する資料、蔵書などが以前は島根県津和野町にある葛飾北斎美術館(2015年まで)で公開されていましたが、現在は1000点以上ある物、全て島根県立美術館に寄付されたとありました。 したがって、機会を造りできるだけ早くこの美術館に足を運びたいと思っています。