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映画、戦争 そして私

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 2月は一年で最も寒く、しかも最も日が少ない月。あれよあれよという間に節分、立春、ヴァレンタインデー、雨水、春一番(東風)と暦や自然に追いまくられて過ぎてしまう。外に出る時間が少なくなり運動不足になりがちな月でもある。社会もそれに沿って、人を外へ連れ出す企画や催しを出してくる。私が住む川崎市麻生区には映画大学もあり、映画公開に関する独自の企画を持つセンター(川崎市文化センター;アルテリオシネマ)もある。今月も戦前の外国映画を最新のデジタル修復版で公開している(昔ならできなかった事)。2月の作品の中に、フランスが生んだ不朽の反戦名画大いなる幻影が公開され、それと関連して(反戦映画)「永遠のジャンゴ」がプログラムにあり、早速鑑賞することにした。

 

 大いなる幻影は1937年フランス映画(白黒)。稀代の名優・ジャン・ギャバンが主演する第一次世界大戦を舞台にした反戦映画・不朽の名作と言われている。

 私がこの世に生まれる前に造られた、しかも20世紀、世界で予想だにしなかった2度にわたる世界大戦を舞台にしたものである。

 日本の教育課程(小中学校や高校の歴史)では授業時間数と歴史内容の点で近代や現代の歴史(明治以降)を詳しく学ぶことは少ない。まして世界史で近・現代における内容の詳細まで授業時間内に詳しく触れられない。

 この映画の監督はジャン・ルノアール(父は世界的に有名な画家オーギュスト・ルノアールで、彼はその次男)。ストーリーは第一次世界大戦*のドイツ捕虜収容所を舞台としている。ジャン・ギャバンはフランス飛行隊のマレシャル中尉、俳優ピエール・フレネーはボアルデュー大尉、そして無声映画の名優エリッヒ v.シュトロハイムは収容所のラウフェンシュタイン大尉(所長)を演じ、中尉は別として二人の大尉には敵対するもお互い貴族出身で友情が結ばれ、時代風潮に抗することなく潔く生きる「貴族」を誇り、信条として演じている。収容所には連合国側(イギリス、フランス、ロシア等)の将校を中心としていろいろな人間が捕虜となっており比較的恵まれた捕虜生活が描かれている。それでも「自由」を求め脱走を企て実施し失敗、収容所がスイス国境近くの古い城に変わるも脱走を計画・企て自由を獲得するストーリーである。

 この映画は、1937年に製作され1939(昭和14年)に日本公開が上がったが当時の社会情勢から日本での上映は保留になった。監督のルノアール自身、20歳で第一次世界大戦に騎兵少尉、偵察隊パイロットとして参戦している。

 *映画の舞台になる第一次世界大戦は、1914年6月、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボをオーストリア皇帝フランツ・フェルディナンド大公夫妻が訪れた際、反オーストリア運動のセルビア人により射殺された事件が発端である。事後27ヶ国の連合国側と4ヶ国の同盟国側が4年間にわたり戦って、900万人以上の戦死者を出し1918年11月に終わった戦いである。この大戦は戦術(塹壕戦)、兵器(毒ガス、戦車、機関銃など)でそれ以前の戦いと大きく異なったことが特筆され、より大量の戦死者が生まれた。

 

 二つ目は、同じ週に時代や背景、ストーリーは違うものの戦争を舞台にした人間の生き様と人間の価値、自由の大切さを表現した「永遠のジャンゴ」を見た。

 ジプシー生活の中で生まれ、継がれたロマ音楽とスウィングジャズを融合したジプシースイングを作り上げた天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの実話を元にした映画である。全編に響きわたる素晴らしいジャズ演奏(主演はレダ・カテブ、劇中のジャズ音楽はローゼンバーグ・トリオ)。第二次世界大戦のフランスにおける音楽家(著名なギタリスト;ジャンゴ)が占領するドイツ軍下で強制され制限される中で音楽演奏を続け、仲間や家族の自由との引き換えで行い、その間、占領下での国外脱出を考えスイス国境沿いの地へ移動しながら友人の助けを受け、家族を残し自ら決死の覚悟でアルプスを越えた物語である。この映画は2017年、第67回ベルリン国際映画祭のオープニングに上映されている。

 偶然にも時代の相違はあるものの、戦時下で自由を求めドイツ軍の圧政から脱出する映画2本を見た。

 

ジャンゴ・ラインハルトは1910年ベルギー生まれ、18歳の時、火事でやけどを負い右足不自由、左手薬指と小指に障害が残った。それでも練習により独自の奏法を生み出しフランスやイギリスで活躍、29歳イギリス滞在中の1939年に第二次世界大戦が勃発した。彼はドイツ軍に占領されたフランスで音楽活動を続け、クラッシック(ラヴェルやドビッシィ)にも関心があった。大戦後、デューク・エリントンの招待でアメリカを訪れ演奏ツアーを行っている。40代にはヨーロッパを中心に活躍し、1953年(43歳)にはビング・クロスビーが彼をスカウトにフランスを訪れたが会えず帰国している。彼はその年の5月、若くして友人宅で死去した。 

 

 大いなる幻影では、白黒映画独自の美しさ、陰影(光と影)が作り出す画面の深さや面白さ、屋外情景の画面構成、面白さは秀逸であったし、白黒画面の単純さ(色の無いことの深み)の良さを再確認した(黒沢明監督の白黒作品を思い出した)。「永遠のジャンゴ」ではジャズ音楽の素晴らしさ、ストーリー(脚本)の良さを味わった。両作品とも画面では、戦いの酷さ、醜さを扱っていないが全体に流れる戦争の悲惨さ、空しさ、自由の大切さを表していた。

 

 三つ目は見たかったのに残念ながら劇場鑑賞は見逃した戦争映画(2015年デンマーク、ドイツ合作)、ヒットラーの忘れもの;Land of mine」である。

 第二次世界大戦でドイツが破れ、ヨーロッパからソ連(現在のロシア)まで出征していた兵士が捕虜となって母国へ帰還するまでの中での実際にあった話(実話)から脚本化され映画化されたものである。

 デンマークの西側長く続く海岸線(浅瀬や砂浜、砂山)に200万個以上敷設されたヒトラー時代の地雷を、捕虜となったドイツの少年兵(15-18歳)が取り除くことを課せられ死と背中合わせで苦難に立ち向かうことが主題。地雷除去を徹底させ指揮するデンマーク軍軍曹と悲惨な捕虜生活の中で常に死と隣り合わせで探索、除去する少年兵達の心の葛藤を描いている。戦争捕虜の処遇については筆舌に尽くし難い話が幾多ある。戦後の物資が全くない時代、かっての敵兵に食わせるものなど無い、あっても食わせない、という風潮であった。来る日も来る日も砂浜に這いつくばり、数10cm間隔で敷設された膨大な数の地雷の信管を抜く、身の危険・死の恐怖が震える指先に描かれている。過労と睡魔、空腹が体力を弱め、18歳以下の少年達に課せられた死と背中合わせの生活、統率・指揮するデンマーク軍の軍曹も一人の人間として時間の経過と共に過酷な任務を和らげようとする。任務を遂行するうちに国境近くまで進み事態が急変する中、遂に軍曹は残った数人の少年兵の国境越え脱出を助け、物語は終わる。

 

 四つ目は漫画家:ちばてつや氏の18年ぶりの漫画(ひねもすのたり日記;小学館)での告白である。日本がアジアへ拡大(侵略でもある)を始めた第一次世界大戦でのドイツ領割譲後、そして第二次世界大戦満州から中国大陸内陸部、更には東南アジア、南方諸島へと際限なく侵略拡大し、そして敗戦、自国への帰還を余儀なくされ例えようの無い悲惨で過酷な、筆舌に尽くし難い苦渋に満ちた引き揚げ生活を描き出した作品。当事者、関係者が頑なに語ることを拒んできた事のほんの少しが、これまでのちば作品のどこにも描かれ語られなかった氏の生い立ち(漫画家になるまでの)の中で知ることが出来、人間性を変えてしまう戦争の悲惨さ、惨たらしさ残虐さ、哀れさ、そして無力感を感じた。

 いま、最も近いアジアの国、韓国、北朝鮮、中国の動向と今後の様相を想像する時、これまで人間が行ってきた、国が取ってきた施策が繰り返されることのないことを祈るばかりである。昭和19年生まれの私でも、戦争の惨たらしさ、非情さを家族、親戚で直接伝え聞いていない中で、どう考え行動して行けばよいか分かっていない。

 これまでの戦争で、是否はともかく幾多の新しい技術、製品を生み出し新しい社会を推し進めてきた。今後のそれではもはや万死、地球破滅こそあれ、それ以外何もないのではないだろうかと思う。

 

 私の叔父さん(父の兄弟)すべてが今回の映画の主人公でもあったような気がする。第二次世界大戦に従軍した3人の叔父たちは、それぞれ部隊、所属が陸海空違っても4人中2人は戦地で亡くなっている。一人は家族を残し、海軍の戦艦に乗りフィリピン、レイテ湾で、もう一人は独身のまま陸軍に所属し(戦死の場所は知らない)亡くなった。戦場に行けなかった父は、兄弟の戦死をどのように受け留め、戦後家族と生きてきたのだろうか。

 一連の反戦映画や戦争に関わる事象を見、聞きするたび、今は亡き人たちの気持ちを考えると現在の我が身に照らし合わせ考え込んでしまう。