水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

梅、桜、春の花

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 「梅は咲いたか、桜はまだかな」の唱の文句で取りざたされる如く、微妙な天候、陽気です。ひと頃暖かい日が続いたと思っていたら、急に冷え込み遅咲きの梅が満開、早咲きの河津桜や寒緋桜が満開を過ぎようとしています。菜の花も満開を過ぎても花が残り、やや色褪せた部分もありますがまだまだ黄色の絨毯を見せていました。

 3月2日、暖かな日差しが一杯の朝、陽気に釣られ思い出したように梅林散策をすることにしました。近在で最も有名なのは小田原、曽我丘陵別所の曽我梅林。凡その位置は知っていましたし、歩くことは全く厭わないので取り敢えず小田急線新松田まで急ぎました。「曽我の梅林」へのアクセスはJR御殿場線下曽我駅が近くにありますが、御殿場線の本数が少なく最寄駅へのアクセスが余り良くないので車やバスが殆どの様です。そこで新松田駅前からバス小田原駅行)に乗り下曽我駅口で下車し歩き始めました。この地区は曽我梅林別所地区、北の端には字は異なりますが「宗我神社」があり早速お参り。鳥居の脇に「尾崎一雄の文学碑」が建っており碑文には富士山についての一文が刻まれていました(著作;虫のいろいろ*)。

 尾崎一雄(1899-1983)は宗我神社の神主の家に生まれ、芥川賞(1937)文化勲章(1978)を受章した作家でこの曽我の地を愛し、病に伏せった折にはこの地で療養し、その後の作品では身近な自然を対象にして多く書き残しています。

 宗我神社は曽我郷六ヶ村(上曽我、曽我大沢、曽我谷津、曽我岸、曽我原、曽我別所)の総鎮守で、1028年に曽我播磨守保慶の建立とありました。           「曽我」と言えば日本三大仇討話**で有名な曽我兄弟の仇討***があります。

 

 曽我別所の梅林は丹沢山系、箱根山系から大磯丘陵に延びる丘陵に沿って、西に広く緩やかに傾斜した斜面地から酒匂川左岸沖積低地に広がる土地にあります。酒匂川は富士山東麓に水源があり、そこから発して静岡、神奈川の県境より下流域で丹沢山塊からの河川と合流し足柄平野へ流れ下っています。酒匂川の流域は広く山地も多いため、昔から中・下流では洪水が頻繁に発生したとあり、特に富士山の宝永大噴火(1707)では大量の火山灰が流域に降り積もり、中・下流では大雨のたびに洪水が起こっています。

 二宮尊徳(1787-1856)は、この足柄平野の栢山の農家の長男として生まれ、生い立ちの中で彼は幼少から青年期(30歳頃)まで一家を支えて勤勉に働き家計を助けたり借財を建て直したり、地域の農業の発展に大変な努力を重ねたとあります。度重なり来襲した風水害で酒匂川の氾濫・洪水が起こり田畑が荒廃して大きな被害に見舞われる中で辛苦の生活を厭わず立て直しています。曽我の郷はそんな暴れる酒匂川の左岸地区で砂礫が多く土も水利も悪い地区で農業でも大変な所であったようです。

二宮尊徳(金次郎)と言えば、薪を背中に背負い手に本をもって読み、常に勉学に励んだという逸話の持ち主。事実、その思想(報徳仕法)、行動(経世済民)で多くの藩の財政や家督を立て直し55歳で江戸幕府に召し抱えられるまでになり、天領や日光奉行でも功績を遺したとされています。

 

 緩斜面の梅林は国道255号線を挟んで上下域に広がり、西に雪を抱いた富士山を望む桃源郷ならぬ梅源郷が緩やかに延び、素晴らしい景色を作り出していました。実を取る梅と花を愛でるピンクの枝垂れ梅、白梅がその殆どを占めていましたが枝垂れの桃色梅も見事でした。

 梅の花園で花と景色を十分に堪能した後、バスでJR下曽我へ出て松田(新松田)に行き、大井松田みかんの里・内藤園へ回りました。折から早咲きで知られている河津桜が満開、樹下に植えられた菜花(菜の花)も満開で多くの人が山の斜面を登り訪れていました。昼下がりで、まだ時間も十分あったこともあり徒歩で15分のガーデンを訪ねました。園は南に面し開けた急傾斜地、基本はミカン園、隣接してハーブ園や桜の園、菜の花や草花の園と展望、休憩施設があります。標高もあり西に富士山、眼下に酒匂川、足柄平野からその先遠く相模湾、果ては大島までが望める見晴らしの良いところでした。

春の陽射しを受け、梅と桜と菜の花が満開の里を訪ね歴史と文化を知る充実した花見の一日となり、歩いた歩数は15600歩となりました。 

 

*富士は天候と時刻によって  身じまひをいろいろにする  晴れた日中のその姿は平凡だ  真夜中 冴え渡る月光の下  純く音なく白く光る富士  未だ星の光が残る空に  頂近くはバラ色  胴体は暗紫色にかがやく暁方の富士 (尾崎一雄;虫のいろいろ)

**赤穂浪士忠臣蔵伊賀上野の仇討 そして曽我兄弟の仇討

***曽我兄弟(兄;十郎祐成と弟;五郎時致)と仇(工藤祐経)の物語。

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