水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

4月1日 エイプリルフール・嘘? 忘れること? 

 新年度が始まりました。平成最後の年、平成30年、2018.4.1、いろいろな物が新しくなる年度初め、学校に通う人は入学や進級、社会人の新人は新しい世界が始まります。

  前年度の最後に来て、それ以前に受診した定期健康診断(人間ドック)で問題点が指摘されてしまいました。再検査、精密検査の必要性を指摘され、年度末に大腸検査を受けることになりました。初めてです。胃の内視鏡検査で数年前までは鎮静剤を打って後に内視鏡検査をする方式で、何の苦しみもなく済ませていました。しかし、昨年から鎮静剤使用が断られ、鼻か口から差し込む方式での検査となり、咽喉部の感受性が人一倍強い私はカテーテルを差し込んで検査、撮影診断することが、それはそれは苦しく地獄の検査となりました。

 胃での体験を想像して大腸の内視鏡検査にも一抹の不安を持って臨みましたが、経験者・弟の「胃検査ほどでもないから大丈夫」に期待して受けました。実際、検査は胃のように嘔吐はありませんし、特段の違和感は無かったので安心しました。大腸検査は最初に大腸の最深部まで入り込み、カテーテルを手前に戻しながら腸内部の壁を撮影し問題のある箇所を見つけて計測したり処置をするなりして検査は終了します。腸内を空気で膨らませながら診察、撮影、治療しますのでお腹は当然膨らみます(膨満感)し、随時外へ空気が出ます(膨らんだり凹んだり;昔、子供の頃、田んぼでトノサマガエルを捕まえて麦からでお腹を膨らます悪ふざけを思い出しました)。

 私の検査では、問題点が部位毎にいくつも出てしまいました。最深部の盲腸、上行結腸部は問題なし、横行結腸と下行結腸では部分的に小さなポリープや憩室*が散見されました。私のS状結腸は普通の人よりやや長く曲がりが大きいとかで、カテーテルの出し入れに手古摺ったと言われました(私の性ではありませんが)。このS状結腸に正常より多く幾つもの憩室が点在し問題であるとのこと。最後に直腸部位には1cm程のポリープがあり、入院して摘出、再検査(病片検査)する必要があるとの診断になりました。

 憩室とは大腸の壁の一部が袋状に外側に飛び出した状態のことで、その中に老廃物が溜まり、強く息むと最悪の場合、壁膜が破け腹膜炎になる危険性があるとの事。

 全く予期せぬ出来事、状況でこれからの対応(再診)に新たな悩みとなりました。「嘘」であってほしいと思いましたが、写真で示されれば疑う余地無しでした(冷汗・涙)。

 

 忘れること。人間に備わった脳の働き。人は常に新しい物事に直面し、瞬時に判断して対応を決めて進まねばなりません。新しい情報を取り入れるために情報の重要性(軽重)を考慮して不必要なもの、古いものは消去して行かねばなりません。印象の深いこと、強いものはいつまでも頭に残っていて思い出します。重大な事件や悲惨な事故、体験等のように、忘れようとしても忘れられないことが沢山あります。先の大戦の最中や大きな地震・火災災害の現場など身の回りには数限りなく存在します。人によって状況は異なりますが、忘れていかなければ先に進めないのも事実でしょう。忘れられず悩み悲しみ苦しみ押しつぶされそうになるでしょう。心では決して忘れてはいけない、忘れられないと決めていますが、そのことだけに執着しているわけにもいきません。日々の暮らしを過ごして前に進んで行かなければならないのです。時の流れの中で記憶が薄れ忘れていくように。

 「忘」は字のごとく、心が亡びる、心を亡ぼすことでしょうか。心を鬼にして亡ぼしていかなければ先に進めないことなのかもしれません。「忘却とは忘れ去るものなり」は有名な語りですが、人生の中で苦しみや悲しみ、辛さから逃げ出すための一つの方法かもしれません。「忘れた」と、嘘をつくのは嘘なのだと思います。

 

 歳を取れば取るほど物忘れは多くなり、周りに迷惑をかけることになります。できることなら迷惑を掛けない、忘れて良いことだけの生活でありたいと思いますが・・。