水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

緑滴る秩父・三峰

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 世の中の動きを知るのに新聞、テレビ、ラジオなどいろいろな媒体がありますが、ゆっくり、じっくり考え、味わう上では新聞が一番でしょうか。季節の便りや今が旬の記事に誘われてその場所を訪れることも度々あります。

 今回は春の美しい花の便りでお馴染みの「芝桜」に注目し、同時に初夏の滴る緑と合わせ鑑賞できる場所を探しました。 ありました! 新聞にもカラー写真付きで紹介されました。それは秩父羊山公園、そして新緑の秩父の山や渓谷でした。

 秩父の札所めぐりは、昨年春、歩き回って走破満願達成しましたが、山の奥に鎮座して霊魂新たかな秩父三峰神社までは辿り着いていませんでした。

 4月23日早朝自宅を発ち、朝ラッシュが始まる前に池袋駅から西武鉄道の特急レッドアロー号

に乗り西武秩父駅を目指しました。所沢、入間市を通り飯能へ、飯能からは列車の走る方向が逆になり車窓の景観も急に山と谷が迫る山間景観、暫くすると西武秩父駅に着きます。

 今回は、最初に秩父の奥、「秩父・多摩国立公園」に鎮座する「三峰神社」を訪れました。神社を訪れるルートには二つあり、一つは、西武秩父駅から急行バスで神社下まで行くルート、もう一つは西武秩父駅秩父鉄道に乗り換え、終点の三峰口まで行き、そこから山を2時間ほど登って神社に至るルートです。今回は①の急行バスルートを選択しました。西武秩父駅前から三峰神社下までは70分ほどかかり、途中、切り立った山峯、深い荒川源流の渓谷沿いを走り、二瀬ダム湖畔からは、まさに霊場三峰神社まで狭い上りの山道。バスは対向する下りの自動車を気にしながら山腹の曲がりくねった道をノロノロ駆け登ぼりました。道沿いの樹林は常緑針葉樹の植林が多く、林床も良く手入れされ綺麗になっていました(その理由は想像ですが、後に分かりました)。

 前日までは4月にめずらしく快晴の暑い日(真夏日)が続いていましたが、23日は曇り。秩父の山は雲が懸かり全貌は見えません。山を登るほどに霞とも霧とも分からない状態。北からの冷たい空気が関東地方に流れ込んで南の暖かい空気とぶつかる内陸山間部は霧が発生したようです。とりわけ標高が高くなる三峰神社(1100m)山塊では気温が低く長袖、セーターやヤッケが必要なくらいでした。駐車場上のビジターセンターに立ち寄り展示内容を見てから神社に向かいました。

 参道の入り口に「三つ鳥居」(両脇の小さめの鳥居と真ん中にしっかりとした鳥居)があり、その前、両側に狛犬ならぬ「狛狼」が阿吽の形相で見下ろしていました。参道の脇には三峰講参加者が寄付した物を記した石碑が幾つも連なって立ち並んでいます。碑文に「桧苗三万本」とか「杉苗五万本」などとあります。実物かその金額か定かではないですが、信者たちの神に対する信心が現れており、碑の建立年代は昭和4-50年台が多くありました。その苗木が三峰神社域の山の斜面に植栽され、現在の鬱蒼とした深い森を構成しているのだと感じました。

 参道は3方に分かれますが本殿の方に向かいます。霧の中に大きく綺麗な隋身門(昔は仁王門)が現れ、更に進むと本殿前に出ます。参拝者を見下ろすように樹齢800年以上と言われるご神木(大杉)が二本、本殿前の石段脇に「でーん」と聳えています。

大人4-5人、手を広げ繋いでも届きそうにない太さ。関東有数のパワースポットとして良く知られ参拝者が必ず「気守」を受けようと翳す掌の跡で、杉皮が明るい茶色に変色。いかに多くの人が救いを求め安らぎを得ようとしているか、よく分かります。御多分に漏れず私も両方の杉の幹に手を合わせ祈ってしまいました。鎌倉時代の武将畠山重忠が奉納し植えたと伝わりますが、さもありなん、と思わせる大木。その偉大な生命力、神秘性、そして時間の重みと風雪に耐えてきた自然の素晴らしさに感激しました。

 拝殿は建物軒下廻りの素晴らしい彫刻が大変美しく(200-2004大修理された)見事です。

全国神社巡りと絵馬集めを続けている私としては三峰神社の参拝記念に干支絵馬を授けていただきました。霧が前より一段と深くなりシャクナゲツツジが満開の参道を一巡り、日本武尊像前で一休み。霧の中に立って秩父の山並みを見上げる武尊はヴェールに包まれているようなお姿の為、余計に何となくリアリティーがあり、神々しくも見えました。

 交通の便が悪い(アクセスの仕方が無い三峰神社へは片道70分の急行バスか自家用車しか方法がありませんが道が狭いので混んだ場合はどのみち大変な渋滞が想像されます。

バスの本数も1-2時間に1本程度、この日は霧と肌寒い日でしたので比較的空いていたように感じました。

 

 市内に戻って第二の目的地;羊山公園の芝桜です。花が開花し始めてから満開の状態は過ぎようとしていて部分的に花が少なかったり他の野草が芝桜を凌駕して成長し見栄えが今一つの状態でした。それに背景となる武甲山が雲に隠れ雄大さを消していました。遠目には絨毯状のピンクや白のブロックも残っており記念写真を撮る人だかりが見えました。やはり快晴の青空がお花畑には最低限必要のようでした。

 三峰神社の歴史は景行天皇日本武尊の東征に関連しイザナギ、イザナミの国産み神にも関連して古くから皇室と深い関係があります。また、奈良時代淳和天皇弘法大師空海とも関係し空海が11面観音像を造ったとあります。東国武士や徳川家とも深く関係していますし修験者の山としても有名な地です。

 明治以降ではこの神社を文人達も多く訪れ、野口雨情は「朝に朝霧、夕に夕霧、秩父三峰霧の中」と詩作。宮沢賢治若山牧水も来ていますし、斉藤茂吉は「ここに居りて 啼くこえきけば相呼ばふ 鳥が音かなし 山の月夜に」としています。戦時中に疎開してこの地で生活した前田夕暮は、「木の花のにほふあしたと なりにけり 老いづき女をいたわらんとす 生くることかなしと思ふ 山峡はなだれ雪降り 月てりにけり」としたためていました(ヴィジターセンター解説文より)

 

 神秘的な三峰神社とその周辺へは、もう一度訪れてみたいと感じました。神社の歴史、自然の佇まい、そして霊気漂う神域に頭と体を晒し(身を置き)考えてみたいと思います。その時は下から歩いて登り、奥宮まで足を延ばしたいと思っています。