水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

東海道五十三次  今・昔  その18

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 今日は5月1日(火)メーデー。労働者の祭典の日。有給が取れる人は前週の28日(土)からの連休中日です。私はこの日が東海道2日目、四日市宿から石薬師宿(~11km:内6.5kmは前日踏破済)、庄野宿(~4.1km)、亀山宿(~9.3km)を目指す計画でした。ホテルは素泊まりの為、朝食無し。前日コンビニで買い求めたオニギリとお茶を持って6時発のワンマン電車に乗り内部駅まで行き、昨日の続きで駅前を6:30にスタート、歩き始めました。内部川は国道1号線の橋で渡り旧道を歩き始めました。直ぐに有名な杖衝坂に掛かり、芭蕉碑(1756建碑):「かちならば 杖つき坂を 落馬かな」1687年芭蕉はここで落馬したとのこと)の前で写真を撮りました。その先には日本武尊血塚社がありました(写真上の左右)。

 杖衝坂伊吹山で賊と戦い傷ついた日本武尊が剣を杖代わりに越えた坂で、血塚社は、その傷を封じた所、日本武尊は「吾が足は 三重の勾の如くして 甚疲れたり」と詠んだと説明書にありました

 いよいよ石薬師宿に向けて丘陵部に入り東海道は国道と付かず離れずして西に延び、鈴鹿市に入りました。石薬師宿東海道伊勢道では四日市宿や関宿が大きく、門前町の石薬師は小さな宿場だったようです。国文学者で歌人・佐々木信綱(夏は来ぬの詩で有名)の生家(8:00)がある宿で浄福寺は佐々木家の菩提寺、門前には信綱の父・弘綱の記念碑もありました(写真下左)。鈴鹿川沿いの水田を巡り土手をなす国道1号線を1km程歩くと庄野宿に入りました。庄野宿は東・江戸口と西の京口の間、2km程で中ほどには川俣神社があり樹齢300年と言われるスダジイの老巨木がありました。その見事さに思わずパチリ、そして一休みをしました(9:00-9:15)写真2A

 川俣神社は、このあたり鈴鹿川、椋川、安楽川の合流域で鈴鹿山系からの川が三筋四筋で合流していることに因るようです。それらの河川台地上を縫うように通じる東海道は、関西線や国道1号線と並ぶように位置し水田低地を縫って伸び亀山宿は再び丘陵台地の上に位置していました。亀山宿の江戸口門跡までは内部から18km、11:30を過ぎて辿り着きました。亀山宿は長さが2km程(西の京口迄)と大きくないのですが、古い宿場の街並みが遺され落ち着いた城下町です。城下町といっても丘陵台地の斜面に位置しており南に傾斜し開けた高台の上にお城(今は城跡)があって、街道・宿場は城の中程、東西に蛇行、雁行して延びています。江戸時代、城下町ということで参勤交代の大名も宿泊を遠慮したと伝えられ、宿場としては、ややこじんまりした規模の小さな町で、午後訪れた関宿とは比べ物にならない街でした。

 亀山宿の宿泊予定ホテルやJR亀山駅はさらに一段下の低地にあり、何処から下に下ったらよいか分からず宿場街道をウロウロしました(11:30-12時)。前日と同じように予定より早く亀山宿に着いた(13時)ので一旦、荷物をホテルに預け、午後を先の宿場への歩きに変えました。亀山へ戻ることも考えねばならず、交通の便を考えてJR関西本線に沿った先の宿場を決めました。地図を見るとJR関西本線は亀山から関まではほぼ東海道に沿って走っていますが、その先は東海道と離れてしまいます。そこで関宿までの6km(徒歩で1.5時間)を追加して往復することにしました。

 亀山のホテルに隣接してコンビニのセブンイレブンがあり好都合、飲み物を買って午後の歩きを始めました(13:30)。道は鈴鹿川に沿った田園風景で田植えの最盛期、水の張られた田んぼに風景が映り印象的な景観です。昔の旅人も、この時期に旅をしてこの同じ風景を見ていたのだろうな、と一瞬、感傷に浸りました。空模様は幾らか雲行が悪くなる様子、幸い陽射しも強くなく歩くのに適した天気でした。道に沿っては国の有形文化財の住宅や重文の仏像を本尊とする寺院(慈恩寺)などがありましたが、ゆっくり鑑賞して歩くことが出来ず先を急ぐ旅の為、外観を眺めるだけ。宿場の2km西に野村一里塚日本橋から105里で樹齢400年の椋(ムクノキ);国指定史跡)がありムクノキの巨木が聳え、とぼとぼあるくちっぽけな私の姿を見下ろし、元気付けてくれるようでした(写真2B)。

 1kmのまっすぐ伸びた大岡寺畷、桜川・小野川・鈴鹿川三川が合流する大岡寺畷橋の壁面には広重の宿場絵が描かれていました。道は小野川を渡ると国道1号線から分かれ丘の上に登って行きます。宿場の東口には「小万のもたれ松」があり一休み(14時)。 

 関宿の東追分に着いて驚き、桃の木山椒の木。電柱の無い素晴らしい関の宿場の光景が広がっていました。時代を一挙にワープし、江戸時代に遡り西に落ち行く太陽の陽射しを受け映える街並、夢か幻か否否、現実です。道に沿って並んだ家並みを、左右目をキョロキョロさせながら写真を撮りながら歩きました。

 関の宿場は旧い街並みが大変良い状態で残されており「伝統的建築物群」としての指定を受け美しい街並み景観を見ることが出来ました(写真2C,D)。街並みが東西に延びており、午後の陽射しから西向きでは逆光になり、江戸方向は順光で午後の静かで落ち着いた街並み景観を撮ることが出来ました。連休中ですがそれほど観光客はいませんでした。太陽に向かって宿場の半分、振り返って東半分の街並みを写真に収め旧本陣辺りで打ち止め、以西は明日の朝早く歩き始めることとし亀山宿へ(15時)。JR関駅に着いて驚き物語、JR関駅は最近関西本線の本数も少なくなり無人駅となってしまい、乗車の際車内で整理券を取って下車駅で清算する方式になりました。亀山駅で清算し次の日の早朝の上り列車時刻を確認し(6:07と6:40)ホテルに戻りチェックインしました(15:30)。低気圧の通過で5月2日は午後から雨が降るとの予報、隣のコンビニで簡易傘(500円傘;杖も兼ねる)を予め購入して明日の準備をしました。いよいよ明日は鈴鹿峠越えだ~~!

<写真2>

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