水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

白濱神社・白浜海岸

 旅の楽しみは、この歳(74)になって初めて、少し余裕をもって見たり聞いたりできることでしょうか。若かりし頃は、目的・目標があり、時間が限られ、細かな点まで訪ねることができずに過ぎていきました。今では、時間的余裕もできて、今まで知らなかった地方の自然・歴史や文化財など訪ねることができます。老い先長くない歳となって、余計にそんなことが気になってきています。

 今回の伊豆の旅も、そんな気持ちで進めました。春の訪れが早い伊豆地方、今でこそ大変有名になった河津桜は、すでに葉桜でした。伊豆東海岸の傾斜が急な山の斜面は海に迫り緑は変わりないのですが、暖かい場所では山桜がちらほら咲き始めていました。

 伊豆半島ジオパークで売り出していますが(吉永小百合のJRの宣伝でも紹介)、東と西の海岸線は急な斜面が海に迫り、地形・地質的にいろいろな特色をもっていて、半島の南北を結ぶ動線(鉄道や国道)も狭く少なく、整備も長い年月、時間をかけてゆっくり進んでいるようです(国道135-136線)。

 地形の特色で陸を繋ぐ道より、海路の繋がり、海への意識が永く続いてきたものと思います。東海岸は朝日から上る太陽が、西海岸は西の方向(極楽浄土)・入り日に沈む太陽を生活のリズムに、生きる力として続いてきたのでしょう。

 切りたった山の端に抱かれた小さな入江は、それぞれに特徴ある港と湧き出る温泉とともに半農半漁の集落で構成され、今もその姿は明確に残しています。

  東海岸を下り伊東、川奈、熱川、稲取、河津の街と海岸を巡り、伊豆下田の白浜海岸で白濱神社に参拝しました。人づてに、是非行って見てくださいと勧められた所でした。

 

 白濱神社は、伊古奈比め命神社。訪れてびっくり。由緒ある神社で境内に立つ大きな石碑に、「伊豆の国・一ノ宮」と彫られています。東西軸に細長い神社敷地、本殿、拝殿は東、相模湾・大島を背に真っ青な海と大空、鬱蒼とした深い緑の森に囲まれ、境内には樹齢400年以上の柏槇(ビャクシン)2本(薬師と白龍;県指定天然記念物)が古色蒼然かつ凛として立っていました。神域の社叢にはアオギリの北限自生樹林国の天然記念物)もあり、歴史を感じさせてくれました。史料によれば白濱神社の歴史は古く832年に所見され、三島市にある三嶋大社と浅からぬ縁があるとされています。

 昔から「絵馬」蒐集の趣味があり(もう1000枚近い)、三嶋大社の絵馬は持っていますが、それ同様の伊豆一之宮「白濱神社」の絵馬は無く、早速買い求めました(苦笑)。

 神社のすぐ隣には大明神岩の巨岩があり、岩の上には真っ赤な海浜鳥居が立っています。快晴のこの日は、真っ青な空と海と波の碧さ、打ち寄せる波頭の白、隣接する長く続く白い砂浜。東から浜に吹き寄せる風は幾筋もの波を作りながら強く浜に打ち寄せ、大明神岩の上に立つには注意がいります。手すりは無く、落ちたら真っ逆さまで海の中。

 

 日本人はどこからきてどのように国中に広がっていったか、白濱神社の社伝(由緒書)や伝承、縁起(三宅記)には、南方から海を渡って伊豆に至り、伊豆七島を産み祀り、海の民が島伝いに北上し、伊豆七島はじめ伊豆の海岸に広がっていったようです。祭神の記述では三嶋大社三嶋神三島市)、その正后(阿波神;阿波命神社神津島)、後后(伊古奈比め命神社=下田市)との関係が示されています。

 伊豆半島は60万年前以前からフィリピン海プレートが移動、オホーツク、アムールプレートに潜り、せりあがり火山活動などで生まれた半島で、その様子はジオパークと名されるまでもなく、現在のジオサイトで地形・地質の様相をたどればよくわかります。

 

 帰路、伊豆半島のほぼ真ん中、国道414号を走り、河津温泉、天城峠天城越え、浄蓮の滝から修善寺を抜け主要地方道80号で山伏峠を越えて伊豆の東側に出て帰りました。

 また、次回、別のジオサイトを訪れてみたいと思います

 

 

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