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都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

ヴィクトリア女王 今昔

 

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   まもなく平成が終わろうとしています。元号の変更は、これまで明治以降は天皇陛下崩御に伴って進められてきましたが、平成天皇はご高齢になられ、グローバル化社会と関連してご公務の遂行が大変になったこととも関係しているように思います。

 象徴天皇として、そのご公務の大変さ(国事行為、宮中行事等々)は社会のグローバル化もあって庶民の考えの及ぶ範囲ではなく重要かつ激務であると想像できます。

 

 皇室の在り方について、例えとしてイギリスのそれと比較されますが、立憲君主国としてのイギリス王室も大戦以前までは、現在とはかなり異なっていたようです。

 

 先日、映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」を見ました。ヴィクトリア女王(1819-1901;1837-1901女王在位)は、世界が最も激しく変動した19世紀に、世界に君臨する大英帝国を統率した女王で19世紀最大の女王、イギリス王室の傑女と言われています。

この映画は、女王の晩年(68~81歳)の14年間の身近な姿を描いたものでした。映画の始まりにテロップで「この映画はほぼ事実に沿って作られた作品」と表示されていました。鑑賞後にウィキペディアで調べましたが、その時代背景、激動の欧州・世界(内政~外交)の中でイギリスを動かしていった傑出した女王であることがわかります。

 この時代のイギリス中心とした動きを箇条書き的に列記しますと以下のような点が挙げられ、帝国主義自由主義が躍る欧州中心の覇権争いの時代であると言えます。  

列強の思惑と対応する英国王室  君臨して統治する 大英帝国 → 初代インド皇帝

欧州・隣国との関係(フランス、ドイツ);ナポレオン家 宰相ビスマルク

欧州王室との姻戚 (ロシア・ロマノフ王朝、ドイツ;プロイセン王国

アフリカへの野望 (西、南アフリカ、エジプト)→ 喜望峰、スエズ運河、東インド会社

アジアへの進出  (アフガニスタン1838、インド、ビルマ、中国(アヘン戦争1840;清国)

アメリカへの移民 (名誉革命ピューリタン革命)

 

また、ヴィクトリア女王の経歴は以下の通りですが、19世紀、今以上に激動する社会で、世界に君臨する大英帝国を、女王の名において統治していくことは物凄いことで、普通人には到底、考えが及びません。

 

1819        生誕      1820頃、既にイギリスは西アフリカ(黄金海岸)へ進出

1837(18歳)  女王に即位

1839(20歳)  1840 ザクセンーコーブルク家、エルンスト一世の次男アルベルト(21歳)と結婚     

          1840アヘン戦争  南アフリカ(喜望峰;マゼラン)航路と陸路

1849(30歳)  1851 ロンドン万博    

1859(40歳)  1857 インド攻略    1860 北京条約  1861;夫  アルベルト死亡 

1869(50歳)  1875 スエズ運河(インド、アジアへの覇権進出)(1878年;二女アリス死去

1879(60歳)  1887(68)  在位50周年(小松宮 彰仁 出席)   1884年;四男レオポルド死去

       1888;イタリア、オーストリア、ドイツへの外遊 

1889(70歳)  1899(80)    1897(78) 在位60周年(有栖川宮 威仁、伊藤博文出席

1901(81歳)            死去        (1900年;二男アルフレッド死去、1901年に長女死去

 

 

 今回の映画は、晩年の女王(81歳で亡くなる)の生活の中での、女王の心の在り様を情感をもって描いた作品です。対外的には大英帝国の女王として君臨するため、国の政治、経済に深く関与し実権を握り、国を動かし引っ張っていかなければならず、彼女を取り巻く人との関係で、気が休まることは一時も無かったと想像できます。

 そんな中で在位50周年行事に関係しインドから献上品の従者としてイスラム教信者のインド人が送り込まれ、女王の目に留まり、従僕として働くことになるところから物語は始まりました。彼の真摯な対応と素直で心和む表現に女王は新鮮さと喜びを感じ、身の回りの世話をさせ、同時に自分の知らない世界を学び、人間らしい姿を表すようになっていきます。それは女王の寂しい晩年において唯一、心を許すことのできる時間であり、素直な自分と向き合うことのできる世界であったように思います。

 インド人侍従、名前をアブデュル・カリームといい、敬虔なイスラム教徒であることを女王に告げ、文字やイスラムの教えの本質を伝えます。女王も素直に真剣に新しい知識を吸収し新しい自分を見つけていきました(1887~1901)。この14年の間、周りは従僕を疎ましく思っていた中で、女王は決して自分を曲げることなく最後まで身の回りの世話をさせ、仕えさせたことは、自分の心の拠り所と彼の人柄、人間性も大きく関係したのだろうと思いました。

人間同士、お互いに心を通わせることの大切さ美しさは、何時の時代、どんな世界でも重要なことなのではないかと感じました。

 平成も残すところ、あと1カ月。次の元号が何か分かりませんが世界の王室や首脳の人々が新しい天皇の誕生(大嘗祭)出席のために来日されます。

 

【映画余話】

 この映画の主役・ヴィクトリア女王を演じた女優ジュデイ・デンチは、1997年制作のイギリス映画「Queen Victoria 至上の恋」でも女王役を演じています。背格好が女王に似ていることに因るのでしょうか(ヴィクトリア女王は身長145cmと小柄で、小太りのようです)。彼女は007の映画でも有名な女優ですが。

皇位継承

 皇位継承については、イギリスとドイツ、日本とでは大きく異なり、女性にも皇位継承権が存在するイギリスでは、欧州の中で幅広い各国王家との繋がり、交流、姻戚が重要であり、事実、政略的にも覇権拡大、維持のためにも子女が王室の維持、拡大に大きな役割を担ってきていました。ヴィクトリア女王も9人の子女をもうけ、長男以外は隣接国の王家と関係を作って20世紀へ向かっています。現在のイギリス王室(エリザベス2世女王)ではチャールズ皇太子はじめ、長男ウイリアム王子、ヘンリー王子なども民間から王妃を迎えています。わが国では皇族嫡男男子として皇室典範第1条・皇位継承に決められており、天皇家の将来について女性天皇の考えも取り沙汰されてきています。