水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

春の野を歩く 都市内のふるさと景

 ソメイヨシノの満開宣言が出た平成31年3月27日、くしくも先に行われた大阪春場所で10勝をあげた関脇・貴景勝大関昇進が決まりました。「貴景勝」には、とりわけ大きな印象があります。最愛の娘を亡くした昨年の11月、大相撲九州場所が行われており「貴景勝」は初優勝をしました。娘の戒名が明信女で、野の旧姓「勝」を入れればまさに貴景勝なのです。初場所は残念な結果でしたが、大阪春場所に好成績を残し、大関昇進を果たしました。これからも永く大きな声援を送っていきたいと思います。

 

 そんな小春日和で少し風のある、快晴の一日、「川崎市早野聖地公園」と「横浜市寺家ふるさと村」に春の息吹を求め知人と散策を楽しみました。首都圏の地勢図を見ると、武蔵野台地や立川台地から成る多摩丘陵を構成するローム層台地が北西から南東方向に流れ、多摩川と並んで長い鶴見川流域により丘陵地と沖積低地が入り組んだ複雑な地形を構成しています。ジオパーク的に言えば数千万年前に、今の相模川の解析崖、海が内陸に深く入り込んで複雑な地形を作っていたようです。その後幾度も浸食と隆起を繰り返し陸地化して今に及んでいるようです。そういえば丹沢山系の山も巨大な海の隆起により成り立っています。

 50年前までくらい、この地域も複雑な地形(入り組んだ谷戸と丘陵)からなり、関東平野の南西、鶴見川流域低湿地を包み込むように存在する雑木林の丘が繋がっていました。東京オリンピック(1964)以後、東京周辺部の開発動向として南側から時計回りに都市化が急速に進行し、農耕地や背後の雑木林;「ふるさとの森」は宅地開発されていきました。郊外に伸びる私鉄沿線では、その波がとりわけ激しく「杜」は「昭和」と共にかすかに残るほどとなってしまいました。

 横浜市は、比較的早くから身近な緑・樹林や農耕地の価値を感じ取り、郊外や行政界部に「緑の拠点」の確保を進めてきました。この「寺家ふるさと村」はその一つです。典型的な里山風景を残す、まとまった地域で「農」と共存する緑として長く愛され、利用されてきています。

 「里山」は農業と深く関連し、稲作や畑耕作と共に地域景観の保全がされてきています。例えば水田の畦や隣の水路、隣接樹林の裾、畑と林の境、草地、低湿地など農業の営みと並行して、その維持管理が常に行われてきています。この「ふるさと村」や「聖地公園」でも樹林縁辺部の取り扱いは、昔からのやり方(樹林の裾刈)で進められてきています。

 

 そんな「境目の場所」は、春、ちょうど桜の開花と並行するように、陽の光を浴び春植物が目を出し葉を広げ花を咲かせます。管理がされなければアズマネザサや低木、蔓植物が繁茂し覆い尽くしてしまいます。アオイスミレ、タチツボスミレ、コスミレ、アカネスミレ、シロスミレ、ナガバノスミレサイシンなどスミレ類、キランソウ、オオイヌノフグリ、ツルボなどが地表を彩っていました。少し木漏れ日のある湿地、水途があるところにはヤマルリソウ、ニリンソウなどの花も咲いていました。ヤマザクラの大木も花盛り、キブシやモミジイチゴの花も目立ちます。

 

 春の足音は、ひっそりとやって来るようですが、足取りは、結構早く、変り目も、晴れ間が3-4日も続くと様相は一変。草花の顔ぶれはすぐに変わってしまいますし、美しい花は消え、緑一色になっていってしまいます。林床も入りずらく薄暗くなっていきます。 その頃になると、水田の田起こしが始まり、生えていたナズナ、タネツケバナ、ケキツネノボタン、コオニタビラコ、スズメノテッポウ、ホトケノザ、カラスノエンドウなども土の間の藻屑となります。そして、水が入り田植えが始まります。

 

 水田の横の畦の陽だまりや木漏れ陽の下のテーブル・ベンチでピクニックをしたり休んだりする面白さや楽しみ、快適さは、お金で買えない時間と雰囲気を与えてくれます。昨年の早春、娘と春の息吹を求めてピクニックしましたが、この春は、あれから丸5カ月、周りの自然は全く変わっていませんが一人足りません。

これからも、春夏秋冬、身近に自然と触れ合えるそんな場所と雰囲気を大事にしたいものです。

f:id:nu-katsuno:20190403212532j:plain