水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

クリムト その1

 ウイーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」の展覧会に行きました。世紀末と言う用語と画家クリムト、シーレの名に誘われて、東京乃木坂にある国立新美術館*を訪れ、19世紀末のウイーン画家集団(ウイーン分離派:1897創設)の作品を見てきました。

行く前に美術情報誌;プレミアム美術館・愛蔵版クリムトを買い求め、クリムトウイーン分離派についての情報を得ることにしました。映画「ヴィクトリア女王」の時も多少、書きましたが19世紀末から20世紀初頭は、世界的にも時代的にも大きく急激な変革期であり、そんな時代の生活、文化、社会、世界に魅かれるものがあります。

 場所はヨーロッパ、時代は19世紀後半(1850)から20世紀初頭(1920)、時代が激しく変化し技術が大きく展開、進歩、発展した時代です。イギリスでは産業革命が進展、工業化、経済力、軍事力が増強し帝国主義が興隆します。フランスではナポレオンが皇帝に付く一方(1804)、欧州諸国では各国が帝国の覇権をめぐり各地で革命や戦争が頻発した時代です(ナポレオン戦争1803-1815、トラファルガー海戦1805、フランス7月革命1830、阿片戦争1841-1842、1848年革命1848-1849、クリミア戦争1853-1856、アロー戦争1856-1860、など)。

 アメリカではゴールドラッシュ時代(1848のカルフォルニア最大)、インディアン戦争時代、南北戦争1861-1865)が続いた時代、多くの移民(1840-1920間に3700万人)がアメリカ全土に広がった時代です。 

 日本も江戸末期から明治開国に掛かる時代(国の周りに世界の列強国が現れた時代で、国内外が大変騒がしい時代:ペリー浦賀開国;1853、日英和親条約;1854、 日露和親条約;1855、大政奉還1867)に当たります。また、日本の国の姿(地図・領土)が記録され対外的視点が重要になった時代でもあります(伊能忠敬日本地図作成調査;伊豆、陸奥1801、出羽・越後1802、東海道北陸道佐渡1803、伊勢・紀伊・山陽・山陰1805巡険図化、近藤重蔵エトロフ島1802、間宮林蔵カラフト探検1808、シーボルト事件1828など)。

 

 クリムトは、こんな時代(1862)にウイーン郊外のバウムガルテンで金細工師の長男(7人兄弟)として生まれています。14歳(1876)でウイーンの工芸美術学校入学、弟と芸術家カンパニーを設立(1833)、35歳でウイーン分離派を結成し翌年展覧会を開き、この頃から有名な金箔を使った絵画を描いています(36-46歳)。52歳の頃(1914)第一次世界大戦が勃発、55歳の時、脳卒中で倒れ、スペイン風邪に罹り肺炎を併発し亡くなりました。

 

 この展覧会はこの時代の流れに沿って、①啓蒙主義時代のウイーン、②ビーダーマイアー時代のウイーン、③リンク通りとウイーン、④1900年・・・世紀末のウイーン、に区分されて展示され、その内容は多岐にわたり、各項目が細分化されています。

 ①では、啓蒙主義時代のウイーン、フリーメイソンの影響、皇帝ヨーゼフ2世の改革

 ②では、ビーターマイヤー時代のウイーン、シューベルトの時代の都市生活、この時代の絵画、ヴァルトミュラーの自然を描いた絵画

 ③では、リンク通りとウイーン、画家ハンス・マカルト、ウイーン万博(1873)、ワルツ王ヨハンシュトラウス

 ④では、世紀末のウイーン、近代建築の先駆者O.ヴァグナー、クリムトの初期作品、ウイーン分離派の創設、素描家クリムト、ウイーン分離派の画家達、ウイーン分離派のグラフィック、エミーリエ・フレーゲクリムト、ウイーン工房の応用芸術、同グラフィック、エゴンシーレ表現主義に分かれ400点にも及ぶ絵画、家具、調度品、設計図、模型、カード等が展示されています。

 

クリムト;人と作品については、別に書くこととし、この時期を造園、緑地的視点から見てみます。

  ③にあるウイーンの市内のリンク通り(かっての城壁の跡)は、この時、取り壊された城壁の跡でウイーンの環状交通幹線として整備(1858-1872)され、街路樹の若木が多く植栽され、以後21世紀の今日まで世界の代表都市ウイーン市内の重要な環状緑地を構成しています。また、1873年に開催された万国博覧会の会場は、ドナウ川運河河畔の広大な敷地で開催され日本も初参加(岩倉具視視察団が視察)、万博後プラター公園として市民の重要な都市公園として今日に至っており、その流れは1世紀後の1974年に開催された国際庭園博(IGA)会場(市の南部;私はドイツ留学中に参加)へと拡がり公園・緑地を広げ、繋げてきています。

 

*今回の展覧会では近代建築の先駆者O.ヴァーグナーによるリンク通り沿い建築群設計や市中心部整備に関わる

建物設計図、透視図、模型も展示されています。現在、有名なウイーンの環状緑地はリンク通りとなっています。

 

国立新美術館:東京・六本木にある美術館(国内最大)、別名「森の中の美術館」、黒川紀章最後の作品。

美術館の写真は「その2」に添付しました。