水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

クリムト その2

 クリムトやシーレが活躍した19世紀末については、その1で触れました。今回の展覧会で、クリムトの作品では、初期の寓話をモチーフにした寓意画、各種の習作と素描、ウイーン分離派創設時のポスター、そして有名な恋人エミーリエ・フレーゲ肖像画写真撮影可)です。

 

 クリムトの活躍した時代は他の芸術分野でも素晴らしい時代のようです。モーツアルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、マーラーなど、有名な音楽家が活躍しています。クリムト展でも、絵の中にモーツアルトが描かれたり(ウイーンのフリーメイソンのロッジ1785)、シューベルトが描かれています(W・A・リーダーの作曲家フランツ・シューベルト1875)。また、クリムトの初恋の人アルマ・マーラーは音楽家グスタフ・マーラーの妻になり、夫グスタフ・マーラーは、クリムトのベートーベン・フリーズ(ベートーベンの交響曲No.9を物語にした巨大壁画;1902)の公開日に「交響曲No.9 4楽章」を演奏指揮しています。このベートーベン・フリーズの絵の第4楽章を表す部分(歓喜)では F・シラーの詩「歓喜よ、美しき神々の花火よ 全世界にこの口づけを」を表現した男女が抱擁し接吻する姿を描いています(今回の展覧会には出ていません)。

 クリムトは独身を貫いたようですが、14人の子供がいたとされています。女性の美しさを追い求め、「自画像より他人、特に女性に興味がある」と言っています。彼の絵にはいろいろな女性の姿が描かれています。素描にも女性のいろんなポーズの裸婦があり、取り巻く女性の中にアトリエでのモデル(マリア・ティンマーマン)もいました。

しかし、最愛の女性は、クリムトを最後まで傍にいて支えたエミーリエ・フレーゲでしょう。この展覧会でただ1枚撮影が許された絵;エミーリエ・フレーゲの肖像(添付写真)は素晴らしい絵でした(エミーリエ・フレーゲはクリムトの弟エルンストの奥さんの妹;二人は当時ウイーンで有名なファッションサロンを経営)。

 ウイーン分離派創設時からのポスター(クリムト他)も素晴らしいものです。ポスターの絵とデザイン、字配り(名称や開催日・場所などの位置、余白とのバランス)、文字のレタリング等々。どれ1枚とっても見飽きることがなく、見惚れてしまいました。特に第1回目のポスター(1898)はモチーフの絵の描写(男性の陰部)が風紀を乱すとして検閲で引っかかり、その部分を隠して再検閲を通った2枚が出ています。当時の風紀基準が社会や時代の関係でまだ厳しい時代であったことが伺われます。(ギシシャ彫像の男性像などどのように解釈されていたんでしょうか。画家も大変苦労したことでしょう。クリムトの絵の中の黒い長方形も、それの対抗策でしょうか

 

この展覧会ではウイーン工房の作品も見どころでした。現在の世に出しても全く遜色のない優れたデザイン性、美しい機能美、単純さと描き出す線のシャープさ、素材の美しさなど、どれも秀逸です。同じ頃のユーゲントスティールの波と相まって素晴らしい作品がオーストリア ウイーンにもあったことがわかります。 さらに、絵画の額縁にも素晴らしいものが多く、その素材が果樹材であることには感心しました(材の太さ、長さと彫の素晴らしさ)。

 

大変たくさんの作品を見終わって3時間、あっという間のようにも感じました。途中、休むことなく見続けて会場を出た時には足腰が急に痛くなってしまいました。感動の余韻を胸に家路につきました。

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