水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

我が家の黄色いポスト

 我が家のポストは2代目か3代目か。とにかく自分で今の地に我が家を立てたのは1976年頃だと思います。100㎥足らずの狭い土地に目いっぱいの家を建てました。建蔽率は60%、庭と言えば家の周りに少し取り巻く空地程度です。この家の初期の姿はこのブログの「我が家の庭の歴史 1;2017.8」に書いたので覗いてみてください。研究室の卒業生が参加して手作りの庭づくりをしています。あれから43年、長い時間が過ぎました。

 家は半分注文住宅、半分は既成の建売住宅でした。土台ができていた段階で買いましたので間取りや部屋の造りの変更で少し注文を出しました。

 出来上がった家には、今は亡き父が(最初で最後)母と二人連れでやってきて間取りや設えを見ていきました。同時に新築祝いと称して、最初の手作りポストにペンキで住所と住人(私の家族)の名前を書き入れてくれました(添付写真1;1976.5.30)。その白色のポストは子供が成長するのを見ながら長く門前に立ち続けてくれました(我が家の庭造り 1;2017.8.のブログ写真参照)。

 2代目は垣根の色と同じように「緑色」として、ほぼ初代と同じくらいの場所に建てました。垣根が年々大きく成長するのに合わせて、ポストの足も長くなり、1m程度で立っていました。小さな庭に実生苗(コナラ)が育ち、大きくなりすぎて伐採を余儀なくされ、その材を使ってポストの支柱に活かしたこともあります(添付写真2

ポストは20年以上強い日差しや風雨にさらされ、近年では後ろ側から取り出すことも難しくなり、前からのみ出しています。また、材があちこち朽ちて来て形作っている釘が効かなくなってきていました。

 それやこれやに関連し、この2代目ポストにも暇をあげることとしました。長い間、音信連絡、新聞情報などの受け渡しに精を出してくれました。少し家を空けるときは連絡票を張り出して、別のボックスに入れてもらったこともありますが、それ以外は毎朝、毎晩、昼も夜も同じ方向を向いて受け取ってくれました。春夏秋冬、暑い夏の日の下や雪降る寒い冬の夜、何十年と立ち通して我が家を見守ってくれました(添付写真3)。

 

 昨年の悲しい一件から半年過ぎ、思い立ってポストを新しく作り替えることにしました。大きさは前とほぼ同じです。集成材を設計図に合わせて切ってもらい、細かい部分は自分で日曜大工よろしく切り出し、組み立てました。組み立ては釘とボンドを使い中に雨水が入らないように工夫し、屋根部の板をつける前に外側と内側の塗装をし、最後に屋根部を付けて完成させました。色は今までから一変して黄色です。ポストを支える支柱と台座は2代目を記念して前の物を利用することにしました(添付写真4)。

 

 新旧ポストの取り換えは娘の月命日と決め、これからの老後の私と家族と共に世の中の移り変わり、日々の家の周りの変化を見ながら、いろいろなものを受け取り、繋いでくれるでしょう(2019.07.04設置)。この家が無くならない限り。

 

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