水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

AI全盛、人と人の繋がり・絆やいずこへ

  AI なんでもすべてAIがやってくれる喫茶店が誕生しました。コーヒー豆を炒る所から熱湯を注ぎそれぞれの銘柄に合った淹れ方でカップに注ぎ、注文した客の前に出てきます。それらすべてをAIが操作し、機械が居座る無人のカウンター内から皿に乗っかったコーヒーカップが運ばれます。これはSF映画ではありません。先日テレビで放映されたニュースの一コマです。接客業の分野でも、ここまで来てしまったか、の感があります。

 最早、夢だ御伽噺だ、などと言っている場合ではありません。全て我々の身の回りにAIが押し寄せてきています。好むと好まざるとに関係なく社会では新技術、新方式が広がって来ています。AI抜きにして現在の社会で生きていけません。別の意味で全世界が半導体に振り回され、抜き差しならない状況に来ていることがはっきりしています。社会の隅々まで、AIを使った技術、半導体を伴った生活が広がっています。コンピューター、家電製品、自動車、携帯電話、etc。病気に対する診断・超精密な手術・療養から宇宙空間への拡大、進出まで、留まるところがありません。

 AIとは 英語でatificial intelligenceの頭文字から来ています。人間の能力の補完、強化、意思決定システムを助けるために1956年頃に生み出され、1980-2010年には機械学習として、さらに2010年以降は、より深化したディープラーニングの為として進んできています。

 将棋の藤井棋聖の防衛戦で丸山名人が打った「桂馬」に対し藤井棋聖は「桂馬」を打って応戦(放送ではAIが選んだ最善手;普通では打たない桂馬と表現)。ここでもAIが指摘した最適手が取りざたされています。

これまでのあらゆる戦いの棋譜(データ)が機械にインプット(収納)され分析され基礎的データとして蓄積され、勝負の一手として何が最適か選び出します。将棋や碁、チェスやオセロの世界でコンピュータと人間の勝負が取り沙汰され、どちらが強いか引き合いに出されました。結果の云々ではなく、データを整理し作り出すのは人間ですし、データをいつ、どのように用いるか判断するのも人間です。MLBも同じでしょう。

 NHKの番組に「プロフェッショナル」があります。6月15日放送の番組には「孤高の陶芸家」としてその半年に及ぶ生活を紹介していました。この番組を見て、このテーマ AI とは真逆の世界・人と生活だと感じました。1947年生まれの74歳、奈良の山奥ですべての家屋敷、窯を自ら作り、作品を ”作ることが生きること” として、淡々と生き作品を作る姿は職業としての陶芸のプロフェショナルと言うより、人生の達人・哲学者・仙人のように映りました。作品は、世界的にセレブの恋人と言われており、ニューヨークのメトロポリタン美術館はじめ欧米の多くの有名美術館に収蔵されています。

 その人の名は、辻村史朗。AIとは全く別の世界で生きている人と言えます。作品を通して自らの考え・感性を表わすことの素晴らしさを教えてくれます。人と人の繋がりやその作品の間に生きる絆の大切さ、意義が、物を介して細々でも息長くお互いの間に生き続けられること、伝わり続くことの素晴らしさを教えてくれました。

 AIが全盛になっても、その中で人の繋がり、人と人との絆がそれぞれの人生において

大切であることは間違いないでしょう。自らの手で書き、言葉で伝え、その間を繋いでくれる人に心したいと思います。

 

追)私の胸には、今年の春先からACCOLADE MRI EL DR Pacemakerが入っており、常にAIにより管理される生活をしています。AI様様、無しでは生きていけませんね。