水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

カンボジア・見聞記 No.1

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日本では節分や立春が過ぎても寒くなる2月、かねてより計画中であった東南アジアの発展途上国世界文化遺産に指定された「アンコールワット」で知られたカンボジアシェムリアップ市を訪れました。カンボジアへは、最近全日空が直行便(成田~プノンペン)を就航させ訪れる人が多くなっている様子。今回の訪問に際し、選んだ空路は往路が羽田・・・・ハノイ~1~シェムリアップ、復路がシェムリアップ~2~プノンペン・・・・成田で、・・・・区間全日空、~1はベトナム航空、~2はカンボジア航空でした。往路のハノイ行は羽田発で朝9:00発、ハノイ乗換で2時間待空港内待機、日本とは2時間の時差があり、夕方;現地時間17:00にシェムリアップ空港に着きました。滞在1日目の夜は簡単に済ませ就寝(と言っても日本時間では夜半)でした。

滞在2日目:カンボジアの気候は乾季(11-4月)と雨季(5-10月)に分かれています。2月は最も雨が少ない月で、風景的には乾いて草木にやや精気が乏しい月でもありました。しかし、人々の生活には活気があり、朝の街中の風景は通勤でごった返すオートバイやタクシーのような客台を引っ張るバイク群(テュクテュク)の流れが途切れることなく数珠繋ぎの状態です。そこに加えて車、トラックがありものすごい行列状態です。この光景は常時、何処でも見られますが、特に都市内では主要な移動交通手段となっています。50cc程度の小さなバイクに一人で乗っている人は殆ど無く、2人は普通、場合によっては子供を含め2~3人乗せて走っています。この日は日曜日で休日。アンコール遺跡を訪れる外国人観光客が多く(近年急激に旅行者が増えてきている模様)さらに市民も加わって遺跡へ通ずる幹線道路は大渋滞でした。その渋滞(来訪者の流れ)を避け、午前中に訪れる人の少ないバンティアイ・スレイ(Angkol-Watの北40kmにある)に向かいました。この遺跡は「女の砦」と謂れ、10世紀後半に建てられたとあります。建物全体が精緻で素晴らしく細かな彫刻で飾られ、とりわけ壁面、柱頭、出入口上部の装飾壁(レリーフ;浮彫彫刻)のそれは見事の一言、とても1000年以上も前に造られたとは思えないものでした。当時の人々の信仰心の篤さと寺院の引き付ける力の偉大さを感じました。寺院建築の部分である軒先(?)にある彫刻に、日本にある鬼瓦を思い浮かべました。

 バンティアイ・スレイから市内に向け引き返し、バンティアイ・クディの外にある巨大な池の畔で焼鳥(一度蒸した後、調味料をつけて焼いたもの)料理の昼食、デザートはココナツのアイスクリームだった。家族総出で客の応対。大人が調理し子供達が接客、配膳、清算をする有様でした。日曜日のお昼で人出が多く岸部の席は満席、仕方なく内に引っ込んだ高床式の建物での食事となりました。食後はタ・プロム寺院を見ました。この寺は12-3世紀にジャヤバルマン7世が母を弔うために建てた寺院と言われ、19世紀後半に発見されるまで自然のなすがままの状態で、想像を絶する巨大なガジュマルの根が遺跡の回廊や塔に食い込んでいる様相は奇怪、異様、脅威、驚愕の何物でもありません。表現に困る景で自然の恐ろしさ、時間の長さでしか理解できない状態です。このままでは遺跡自体が自然に、巨木の根で絞め潰されるためか、遺跡建物に直接覆いかぶさっている巨樹の枝・葉を切り落とし(樹木の15m上)樹木を枯らす方向で管理されていました。今後どのように変わっていくのか、良いのか悪いのか、よく分からないのではと思いました。

この日の最後にアンコール遺跡の中心であるアンコール・ワット(Angkor Wat)を見ました。これについては見聞記 No.2へ引き継ぐことにします。