水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

湘桜みどり会・令和元年

 元号が平成から令和に変わった年、例年開催される日本大学生物資源科学部造園緑地科学研究室関連の「湘桜みどり会」(日本大学;農獣医学部農学科・造園学研究室、生物資源科学部植物資源科学科・造園学研究室、緑地環境計画学研究室、生物資源科学部生命農学科・造園緑地科学研究室)が来月開催されます。

 すでに研究室のNU研究室メールや研究室HP(藤崎先生担当)でお知らせが入っているかと思いますが、私からもお知らせします。令和元年の「湘桜みどり会・令和元年交流会」が来る6月29日(土)に湘南校舎で開催されます。日本造園学会のCPDの案内(黒田さんも学会の幹事で担当)でお知らせがありますが、同日、会の年度総会の後に交流会として研究室卒業生2名の方の講演があります。講演してくださる方は、河村光則氏(横浜市役所)と鈴木 光さん(一社:減災ラボ)です。卒業生の皆さんよろしく!

 月末の土曜日で、卒業生の皆さんには何かとお忙しいかと思いますが、私も参加しますので万障繰り合わせてご参加ください。懇親会もあると思いますので皆さんと旧交を温め、懇談できればと思います。

 皆さん! 湘南六会のキャンパスで久しぶりに会いましょう!

国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅 展

 「芸術新潮」、久しぶりにこの月刊誌を買い求めました。その昔、私が東京大学大学院を受験する頃、当時、東大大学院博士課程の院生であった丸田先輩(後に日本大学造園学研究室助教授から千葉大教授になられた丸田頼一千葉大名誉教授)に、「造園を志す者は芸術分野への幅広い知識、教養、意識、理解を持たなければならない」と教えられ、この雑誌を目にし、手にしたことを思い出しました。

 今年(平成から令和に移った年)、京都東寺の秘宝展が催され(3/26-6/2)、芸術新潮も5月号でその記事(東寺:オールアバウト)を特集しています。

 雑誌の特集に先立って3月31日と4月19日の2回、上野国立博物館(平成館)における展覧会に足を運び ”立体曼荼羅”を見ました。大感激しました。

 現地、京都駅近くの東寺は、学生を連れて庭園見学実習で何度も京都をを訪れたことがありましたが、寺院を訪れる機会と時間がなく、塔を遠めに眺めていただけでした。

 前に映画「空海」をみてこのブログに書いたこともありますが、その折には東寺までに考えが及んでいません。今回の展覧会を見て、数多くの国宝仏像があること、それが空海により生み出された「曼荼羅の世界」を現世に立体的に表出されたものであること、は恥ずかしながら全く知りませんでした。

 2枚の曼荼羅図(胎蔵界金剛界)もさることながら、東寺講堂の立体曼荼羅を上野に再現した空間(第4章 曼荼羅の世界)は圧巻。東寺では像を全角度360度、しかも近くから像を細かく身近に見ることができないのに比して、この会場では堂の雰囲気も個々の仏像の表情も見ることができました。菩薩坐像(4体)、明王立像(4体)、持国天増長天立像、それに帝釈天騎象像。どれもその表情に感動、圧倒されました。

 

 怨霊を撃退し平安を祈る場としての雰囲気、祈りをささげる佛の世界を描いた図を作り出した時代(空海が表そうとした世界)、時が下ってその信仰を広く世に広げた時代、そして今の時代とこれからの世。人のの中にある何か、常に変わらぬの何かを1200-1300年変わらず示してきています。それに感動し感激し奪われる人、時代は変わっても人の求めるものは変わらないのでは、と思われる今回の展覧会でした。

 

そうだ、 東寺へ行こう!

 

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FNEC 今と今後

 

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日本大学生物資源科学部の付属施設の一つに、富士自然教育センター(FNEC)があります。これまで、植物資源科学科、生命農学科両学科の在校生、卒業生の皆さんのうち、造園学、緑地環境科学両研究室、造園緑地科学研究室で実習を行った学生諸君にとってFNECは、記憶と印象に残る施設です。夏の暑い日や雪の降る寒い2月の実習で辛い思い出とともに楽しい記憶に残っている施設ではないでしょうか。

 先日、久しぶりに施設を訪ねてみました。丁度、造園緑地環境科学実習の平成30年度(平成31年2月)の実習が終わった後でしたし、他の学科の新入生オリエンテーションが済んだ時でした。現在のFNECの建物周りの様子は添付しました写真の通りです。

 宿舎から眺める「富士山」は何一つ変わっていません。FNEC内の様子もそれほど大きな変化はありません。しかし、昔のトンガリ帽子の実習棟屋根や遠く離れた宿泊棟で実習体験をした卒業生の皆さんにとっては、現在の施設の素晴らしさと美しさ、住み心地良さは実感できないかもしれません。

 新しい実習棟(昔のトンガリ帽子の実習棟の改築)は2階建て(1階は実験室、実習室、図書室、管理室;2階は宿泊部屋、シャワー室)になりましたし、宿泊施設もより充実した形になっています(添付写真参照)。

 FNECの玄関周り(車回しの植栽アイランド)にありましたシャクナゲやミツバツツジは一部なくなりましたが、新たな植栽がされています(この部分の植栽は実習でやりましたね)。

宿泊棟(全室富士山の見える3階建て)の東側(富士山側)の植栽も木々こそ大きくなっていますが、殆ど変わっていません。

 プレハブ棟は今、宿泊利用としては使われていませんが現在もあります。園内の緑の維持管理施設・機材も充実していますし、場所、広さは変わらずとも整然と変わっていませんし、環境系の実習教育のための自然素材は、一段と良くなっているように思います。いままで学科の枠を超えて実施されて来ている、フィールドサイエンス実習(2泊3日)では人工林での間伐実習、樹木の移植・剪定実習、土壌調査実習、木材加工実習、バードウオッチング、植生調査実習など自然を対象とした具体的な体験型実習が行われてきました。原体験のない学生諸君にとっては、丸ごと自然の中での意義ある実習です。それ以外にも関連学科での特別な実習(例えば食品生命科学科、暮らしの生物学科など)でも利用されてきています。 

 こういった実もある益もある体験型実習ができるのは、環境時代と言われて久しい21世紀、平成の時代、本当に先見性あるカリキュラムであると誰もが認めてきていますし、この意義は21世紀、令和の時代でも何ら変わらず、否、これまで以上に必要不可欠な科目、カリキュラムであるといえます。園内の自然は実習を通して着実に成長してきていますが、それを計画管理、活用する機関、人の考え方が変わってしまう危険性も無きにしも非ずと思います。

 

 今、これを支える施設の存続・浮沈がかかっている元号の変り目です。今一度、施設、FNECの学生への教育効果、学部の教育・指導理念を考えておくべきであると思いますし、さらにFNEC施設がより積極的に、他学部の学生や卒業生の利用も含め十分に熟慮・検討され、積極的な情報公開が行われ、充実した利用・活用がされることを期待したいと思います。

 

(ご質問、ご意見の有る方は、次のアドレスにお願いします。biber1122@mri.biglobe.ne.jp)

 

 

 

 

 

都市近郊の緑地 2

 平成最後の週、天候が安定しないのは残り少なくなった平成を惜しむかのようです。4月25日に横浜市新治の森へ、そして29日には町田市薬師池公園へ出かけてみました。

新治市民の森は、以前のブログに書きました寺家ふるさと村同様、横浜市で東京都町田市との市境域に残された雑木林と谷戸水田を中心とした広大な緑地です。面積は67.2ha、市内で最も大きな緑地です。朝から蒸し暑く、霧雨が残る週日でした。緑地の北端にある新治里山公園にいはる里山交流センターは、平成12年3月に開園した市民の森の中心施設で、20年以上にわたる時間をかけた地味で着実な活動の拠点として整備されています。JR横浜線十日市場駅から徒歩15分くらいの所に位置しています。横浜市緑の7大拠点の雄としての規模があり、近接して「三保市民の森」、「ズーラシア横浜動物園」、「横浜動物の森公園」、「県立四季の森公園」と繋がる緑の回廊ともなっています。

 幾つもの谷戸から成っており、南北に連なる「マンゴー」型をした森です。南北に連なる尾根へ入り込んだ多数の谷戸(穴谷戸、旭谷戸、むじな谷戸、鎌立谷戸、満倉谷戸、常見谷戸、菖蒲谷戸、池の谷戸、稲荷谷戸、西谷戸)が東西に大小入り組んで複雑な微地形を生み出しています。谷筋の低地は以前まで水田として利用されていましたが、現在は次第に少なくなり(場所的には、谷戸田を守る会によって保全活用されています)所によって湿原、ため池など昔の低湿地が蘇っています。

 低い丘陵台地は雑木林が主でスギ・ヒノキ林に混じって常緑広葉樹の自然樹木が残っています。この時期、落葉広葉樹の芽吹きと合わせ、大変美しい若葉が茂り一段と美しさを見せています。林内では陽射しが日増しに弱くなりはじめ、林床で落ち葉掻きや低木伐採が行われていて木漏れ日の下では、キンラン、ギンラン、エビネなどの野生ランが咲いています。雑木林の二次林では、この林内、林床管理が大変重要です。

 湿って陽があまり射さない谷戸頭の斜面にはイノデ(羊歯)の一大群落も見られます。表土が薄く乾燥し人の踏み付けがある尾根筋の道筋では、ヒノキの根が浅く広く伸びている状況も見ることができます(添付写真参照)。 

 谷戸奥の湿地(水田跡)には、水が溜まり、開水面とショウブ、キショウブなどが生育するアシ原が見られます。こういった環境(ビオトープ)では、生き物として両生類や水生昆虫、トンボはじめヘビ類、爬虫類の生息も容易に想像ができます(添付写真参照)。

 この森の起伏に富んだ微地形、変化に富んだ園路などは四季折々に多様な自然を観賞することができ、さらに先に示した隣接緑地とのネットワークを使った散策ルート、ハイキングコースとして位置付けられます。

 この日も雨模様の天候にも関わらず「歩く会」や「自然と植物を観賞する人、楽しむ人」など多くの人たちが訪れていましたし、NPO法人の人達、谷戸田を守る会の人達が日常の活動を行っていました。

 森の成り立ち、あるべき姿を身近に見聞きし感じ取って、いつまでも維持され利用されることを祈るばかりです。いろいろな希少植物、この時期しか見ることができない植物を見ることができた一日でした。

 

 4月29日は、町田市の薬師池公園に出掛けました。10連休の始まりで人出は余りないのでは、と想像して行きましたらドッコイ、自家用車での家族連れや高齢者が多く、また折からのボタン園、エビネ苑では花の見頃と相まって賑わっていました。

 この公園も多摩丘陵谷戸地形と文化財(薬師堂や古民家)があり、地形を生かした開花植物(アジサイ、ツバキ、ウメ、モミジ、ツツジ、フジ、ショウブ、ボタン・シャクヤクなど)の配置で四季変化に富んだ公園になっています。斜面の雑木林にはキンランが沢山開花していました。

 少し離れた「エビネ苑」では、色々な花色と花型のエビネランが集められ、スギ・ヒノキの林床に植えられ定着し、沢山美しく開花していました。高松宮殿下から贈られたキエビネコーナーがあったり、今では絶滅危惧種となった「クマガイソウ」の区画もありました。同好の人たちによる維持管理の参加がどの公園・緑地でも行われるようになってきており、頼もしく感ずると同時に、そのグループをリードし、コーディネートする人の重要性が脳裏をかすめました。

 

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都市近郊の緑地 1

 

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  都市近郊の二次林、雑木林、故郷の林、いろいろ例えられる林。40-50代の考え方が少し変わってきています。時にには、静かに自然の中で本を読んだり家族と共に時間を感じ取ったり自由な時間を過ごしたいと、そんなことのできる場所を求めてきています。まして家庭を持った20-30代の若者家族の人生観も少し変わりつつあるようです。

  仕事か家庭か、決まった無味乾燥な時間か、自分で変化に富んだ時間か。

 週末になると、車を駆って郊外や少し離れた農村へ自然や静けさ、地域文化を求めて出掛ける傾向が生まれてきています。4月6日の読売新聞に、都市と農村「2拠点生活」の記事が載っていました。都市と農村などに生活の拠点を2か所持つ「デュアルライフ=2拠点生活」を始める人が増加傾向にある。2018年には171.000人、2011年の倍近くに上るとありました。以前は避暑地や別荘地のスタイルが中心だったのが、最近はサーフィン、農業など趣味や子育てを楽しむために居住環境を考える人、自然が多い環境で家族そろって生活する傾向が増えているとしています。

 都市周辺で昭和の農村の佇まいや自然が残る場所は、「超工業化都市社会」では掛け替えのない場所になっています。遠出のできない人でも身近に自然や昔の農の風景が残っているところは、気分が落ち着きます。なんとも言えない安心感や心の安らぎが得られるように思います。そんな場所では思いがけない時に、思いがけない事象が迎えてくれます。それは「自然であり・いろんな動植物たち」でしょう。

 

 桜は葉桜に変わりましたが土手には春を告げ、謳歌する草花が一斉に花を咲かせています。先日、春植物の便りを書きましたが、4月中旬から寒さも無くなり、野の草花は競うように花盛りです。寺家ふるさと村では、ニリンソウが花盛り。木漏れ日のあるうちに花を開き実を結ぶのに一生懸命な植物です。この頃、暖かい日が2日も続けば雑木林の中は、あっという間に樹木の葉が芽吹き、展葉し林を覆ってしまい、林床に陽が差し込まなくなってしまいます。

 寺家ふるさと村へ1週間ぶりに足を延ばしてみました。丘陵斜面樹林裾の草地では、ホウチャクソウが一斉に茎を伸ばしていましたし、いろんな野草が我先に丈をのばしています。樹林の中では、落葉樹の葉が広がり始め、明るさが少し減ってきています。谷戸頭のようなところは少しじめじめしていてニリンソウAnemone flaccida)が開花しています。白い小さな可愛い5弁花です。白が良いんです。白だから良いんです(黄色だったらガッカリです、私見)。

 

 日曜日の午前中、薄日が差す中、多くの人が散策していました。老夫婦、若夫婦、犬を連れた老人、子供と犬を連れたお父さん、カメラを担いだ男性独り、ハイキング姿で歩く一人のご婦人、みんなそれぞれの思いを持って散歩しています。地鳴中のウグイス、静かな立ちんぼのサギ。木々を揺らせて林を渡る春風。みんな満足そう、楽しそうです。

 

 週末の都市郊外の雑木林やその中を伸びるトレイル(径)には、どこもこんな風景が見られるでしょうね。景色を楽しみ、春の風情を感じ、想いをめぐらし、自分の境地に浸っているようです。樹木や草花の名前なんか二の次。この雰囲気を、風景を楽しんでいるのです。

 少し歩き疲れたら、陽だまりの草地に座って、持ってきたお菓子か🍙を食べるのも良いでしょう。座った周りにも花をつけた野草は、青、白、黄色色々ありますよ。

 

 

 

海外雑誌でのニュース 4

 定期購読していますドイツ、ノルトライン・ウエストファーレン州自然・環境・消費者保護研究所(Landesamt fuer Natur Umwelt  und Verbraucherschutz NRW)発行の機関誌(Natur in NRW)2019.1が来ました。 

  本号の報告記事は、①リッペ川;2018/2019の河川景観、②オルソイヤーライン川蛇行部プロジェクト、③農業地域での自然保護、④自然樹林(Naturwald)での土壌生態的研究、⑤テレメーターを使ったワシミミヅク調査研究、⑥自然保護、環境教育における世代交代 の6編が中心です。その内容を概説しておきます。記事の内容の詳細にご興味お持ちの方は、ご連絡ください。原文(ドイツ語)をコピーして送ります。

 

報告①: 2018/2019年の河川景観;リッペ川(Lippe:Flusslandschaft des Jahres 2018/2019)    著者:Dr.Margret Bunzel-Drueke、 Dr.Svenja Storm

 リッペ川はバードリップスプリンゲからルール地域を東西に220km西に流れ、ヴェーゼルでライン川と合流する河川です。ルール川と共に工業地域の重要な河川(以前は工業地域の工場排水が流れ込み汚染がひどかった。並行してヨーロッパ最大の運河があります。)です。工業化時代にコンクリート護岸化と河床掘り下げ、直線化が進み、緑や自然からかけ離れた河川でした。

 2000年以来、「河川景観年」が2年ごとに指定され、周辺景観や地域住民を守るため、河川の生態的、経済的、社会文化的視点からの見直し、再整備(自然化)が行われてきています。そのため、これまでのやり方の欠点を見直し自然に配慮したレクリエーションサイクリング、ハイキング、釣りなど地域を目指し、河川の持つ本来の姿として再自然化対応Renaturierungsmassnahmen;動植物への配慮、土手の整備) の計画を進めています。

河川管理者、民間団体(自然保護、レクリエーション(サイクリング、ハイキング、水上スポーツ)、幅広い団体での共通の意識、認識。単なる河川空間での再自然化事業ではありません。

なぜ河川の再自然化を進めるのか。欧州議会でのNatur 2000プロジェクトに基づく計画作り、それから20年後の状況が報告されています。

 リッペ川上流部の川底は砂礫、下流部は砂の堆積があり、地区的に一部岩礁地区があるものの最下流部は再び砂礫になります。1980年代、このルール地方は人口集中が進み、河川整備ではコンクリート護岸化、河床掘り下げ・直線化が進められましたし、褐炭採掘により河床が沈み、地区によっては高い土手盛土(17m)が余儀なくされていました。 しかし、再自然化事業の進展に伴って水質の改善、河床や水辺で自然化が進められ(魚類や野鳥、野草の回帰・回復)自然が戻り、河川環境が良くなっています

 リッペ川(Bad Lippspringe)から(Wesel)までの間、河川220kmの間で10か所、再自然化事業を展開、具体的な近自然工法での整備が進められています。ほぼ半分(110km)の上流部で7か所、下流部Hamm市から合流地Weselまでの区間で3か所進められています。事業については用地買収から工事遂行まで、NRW州政府はじめ自然保護、郷土保護、文化財保護等の財団により支援を受け、各市・郡で2000年以後、今日まで再自然化工事(堰の取り壊し・改善、護岸の改良・自然化など10地点で)進められて来ています。改修工事では関連する社会インフラ(道路、河川)、隣接土地利用(農耕地など)と連携を持ち総合的(本来の自然豊かな水辺空間の整備)に進められています(詳細は原文)。

 

報告②: オルソイヤーライン川蛇行部プロジェクト( Life+-Projekt  im Orsoyer Rheinbogen)

 河川高水敷を生息域とする絶滅危惧、希少種の保護のためのプロジェクト

著者:Regina Mueller 

 この報告は、欧州自然保護地区網(Europaeichen Schutzgebietnetzes Natura 2000)の一つであるオルソイヤーライン川蛇行高水敷での典型的な危機に瀕する生息動植物について、Wesel生物調査所が行った「欧州Lifeプロジェクト」に基づく対策の5ヶ年(2013-2018)の報告です。

 ライン川河川敷を含む801ha(内397haはFFH地域;Fauna-Flora-Habitat;欧州Lifeプロジェクト)はライン川下流部の蛇行高水敷(10kmにわたる水衝部と堆積部)。高水敷の土地利用は止水域(池沼)、過湿樹林低地(5.6ha)、野草種の多い草地(17.3ha)、鳥類が生息繁殖する粗放的管理牧草地、水際放牧部(65ha)から成り80%は公有地です。野草地内では、これまでに各種の種子が蒐集され、すでに7種の希少種が播種され野草の回復が図られてきています。また、カエル類の確認もされており、2018年にはレッドリストの野鳥類各種(ケリ類、シギ類などの仲間等)の生息、繁殖が見られる牧野にもなっています。2016-2017年、現場で色々な対応策、実験的措置、詳細計画が検討され進めれれています。

 

報告③:農業地域での自然保護 :Naturschutz in der Agrarlandschaft

著者:Heiko Schmied、  Christiane Baum

 この報告では、農業における生物多様性(Biodiversitaet)が農業形態変化、農地の減少、気候変動等により危機的な状況になっているとして、ライン地域文化景観財団、ウエストファーレン地域文化景観財団、そして農家と連携し、生物多様性保全、エコシステム保全を目的とした自然保護対応措置(Naturschutz-massnahmen)を検討しています。

 農業地域でも21世紀に入って種や生物多様性に関する問題がより大きくなっています。いろんな昆虫類の激減(西ドイツでは1989-2016年の間、飛翔性昆虫の75%が消失*)が報告され、また、生態的サイクルで野生あるいは栽培植物の受粉に携わる昆虫類の重要性が見直されています。NRW州では多くの野生ミツバチ種が危機に瀕しており、近い将来、絶滅が心配されています。農地ではヨーロッパヤマウズラの生息を守るため適切な対策が求められています。そんな中、ブンブンラインランド プロジェクト(Summendes Rheinland)として、3種の対策が行われています。1)郷土種の混播による耕作、2)農地縁辺部の野生草地の創出(多年生地元種:郷土種から成る草花帯)3)受粉支援箱の設置(野生ミツバチ用の巣)です。

この地域には野生草種27種が合うとされ、15種の園芸種も用いられています。このプロジェクトでは既に50kmにおよぶ草地が新たに創出され、面積では450haに及んでいます。2015-2017年の間には蝶と野生ミツバチによる調査結果も報告され、対応策の効果が示されています。

 このプロジェクトの遂行には農家の参画と研究者(昆虫学、土壌学、農業栽培学等)、行政の専門分野職員など色々な部署、関係者が関与し、時間をかけデータを収集し効果の検討がなされてきています。これは、NRW州の環境保全に対する方向を示すもので、その効果が経過報告としてあります。行政的に関連部局による指針・計画作り、指導と研究機関、参加農家の共同成果として実を上げていると思います。

 

報告④:自然樹林(Naturwald)での土壌生態的研究 Naturwaldzellen als Ort bodenoekologischer Forschung 

著者:Niels Hellwig  Mariam Hourani 他

 自然樹林としてのブナ林、ミズナラ林における土壌学的、生態的研究の報告です。ドイツでも減少の一途をたどる自然樹林で、ミュンスター地方のアメルスビューレン(Amelsbueren)の樹林を対象に、樹林内の腐食層(Humusform)の30年(1985-2016)経過を調べた報告です。 NRW州では1.575haの森林のうち75haが自然樹林(1970)。このAmelsbueren樹林は14.4haの小さな樹林でブナ・ミズナラ林です。樹林内の表層土壌の違い、腐食層の違い、その中に生息するミミズの仲間の生息状態を報告しています。

 

 報告⑤:テレメーターを使ったワシミミヅク調査研究:風力発電施設地区における生息域生態調査

 著者:Oraf Miosga,  Steffen Baeumer, Stefan Gerdes ら

 この報告は2014-2017年の、ドイツ7地区での調査結果に基づいています。風力発電施設(概ね羽根の及ぶ範囲を含め90-200mの高さ圏)のある樹林地での行動調査で、その結果、塔施設の範囲(90-200m)は飛翔しません。7地域(平坦地;5地区、傾斜・山地;4地区)の違い、地形構造(平たん地と傾斜・山地)の違い、ワシミミズク雌・雄の違いなどをGPSテレメーターを使い調査し、その結果を取りまとめたものです。

 ①ワシミミズクの飛翔は地形に沿っている。②ワシミミズクの採餌は空間がやや開けた農地・樹林(Kulturlandschaft)で行い、建て込んだ居住地、閉鎖的樹林内では行わない。③保護地には色々な大きさがあるが、行動は概ね営巣地から3km圏内である。④飛翔は1kmを越えず、まれに5kmの場合もあった。1回の飛翔時間は、190秒程度である。⑤飛翔は周りの状況に合わせ、短い区間飛翔し枝に止まったり、途中樹木で休息留まる。特定の留まるポイント(屋根、樹木、高所)が決まっている。⑥平坦な地区では地上50m以下で飛翔、樹冠より低く飛翔しない。⑦森林地区では、地上20-40mの間を飛翔。⑧開けた場所では地上20m以内で飛翔し、2か所ほどの止まり木を経由、戻りは長い距離を飛翔。⑨風力発電塔はワシミミズクには影響していない。

 高い風力発電塔では影響しないが、低い塔やプロペラの大きさなどによっては問題があること、生息・繁殖地近くの風力発電施設では衝突の危険性は避けて通れない、と報告しています。

 報告⑥:自然保護、環境教育における世代交代(Generationswechsel in Naturschutz und Umweltbildung)   著者: Eva Pier

 2018年11月、NRW州自然保護アカデミーで行われた会議が行われ、その際、このテーマについてワークショップで討議されたものです。ヒアリング、意見聴取の経過(流れ)は割愛し、参加者140名前後(若者から年金生活者まで)の考え方の違いが示されて、なかなか興味深いものがあります。

 ドイツにもベビーブーム時代があるようで(1950-1964生れ;54-68歳)を最年長BBクラス、1965-1980生れ;38-53歳)Xクラス、1981-1995年生れ;23-37歳)Yクラス、1996-2010年生れ;8-22歳)Zクラスに区分して、考え方、生きる上で重視する項目、モットーを示しています。

コメント】 

 「ヨーロッパLife-プロジェクト2000」欧州議会で決まり、関係国でこのプロジェクトが21世紀初頭から20年に渡って進められて来ていること、それを各国が具体的地域を設定し自然保護、環境改善(自然や緑に配慮した計画)の遂行をしてきていること、が素晴らしいことです(日本では地球的命題の環境対策を地球規模で計画作りを行っていません)。関係国それぞれが国内で、具体的な地域設定、課題解決のための措置・事業を進めてきています。ドイツでは、このプロジェクトの名のもとに、具体的テーマに基づいて都市内、都市周辺部、農村で新規事業計画を進めて来ており、その一端が今回の報告です。

特に、計画に基づき欧州の国の連帯を意識しながら、自国の自然保護、住環境整備、緑の計画、農林業の在り方等について、時間をかけ検討し、調査し、データを作りながら環境をより良くしようと実施、実現する動きが如実に表されています。

 

  報告⑥については時間が取れたら詳述したいと思います(独白=スミマセン)。

問い合わせ・連絡先メールアドレス;biber1122@mri.biglobe.ne.jp

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春の野を歩く 都市内のふるさと景

 ソメイヨシノの満開宣言が出た平成31年3月27日、くしくも先に行われた大阪春場所で10勝をあげた関脇・貴景勝大関昇進が決まりました。「貴景勝」には、とりわけ大きな印象があります。最愛の娘を亡くした昨年の11月、大相撲九州場所が行われており「貴景勝」は初優勝をしました。娘の戒名が明信女で、野の旧姓「勝」を入れればまさに貴景勝なのです。初場所は残念な結果でしたが、大阪春場所に好成績を残し、大関昇進を果たしました。これからも永く大きな声援を送っていきたいと思います。

 

 そんな小春日和で少し風のある、快晴の一日、「川崎市早野聖地公園」と「横浜市寺家ふるさと村」に春の息吹を求め知人と散策を楽しみました。首都圏の地勢図を見ると、武蔵野台地や立川台地から成る多摩丘陵を構成するローム層台地が北西から南東方向に流れ、多摩川と並んで長い鶴見川流域により丘陵地と沖積低地が入り組んだ複雑な地形を構成しています。ジオパーク的に言えば数千万年前に、今の相模川の解析崖、海が内陸に深く入り込んで複雑な地形を作っていたようです。その後幾度も浸食と隆起を繰り返し陸地化して今に及んでいるようです。そういえば丹沢山系の山も巨大な海の隆起により成り立っています。

 50年前までくらい、この地域も複雑な地形(入り組んだ谷戸と丘陵)からなり、関東平野の南西、鶴見川流域低湿地を包み込むように存在する雑木林の丘が繋がっていました。東京オリンピック(1964)以後、東京周辺部の開発動向として南側から時計回りに都市化が急速に進行し、農耕地や背後の雑木林;「ふるさとの森」は宅地開発されていきました。郊外に伸びる私鉄沿線では、その波がとりわけ激しく「杜」は「昭和」と共にかすかに残るほどとなってしまいました。

 横浜市は、比較的早くから身近な緑・樹林や農耕地の価値を感じ取り、郊外や行政界部に「緑の拠点」の確保を進めてきました。この「寺家ふるさと村」はその一つです。典型的な里山風景を残す、まとまった地域で「農」と共存する緑として長く愛され、利用されてきています。

 「里山」は農業と深く関連し、稲作や畑耕作と共に地域景観の保全がされてきています。例えば水田の畦や隣の水路、隣接樹林の裾、畑と林の境、草地、低湿地など農業の営みと並行して、その維持管理が常に行われてきています。この「ふるさと村」や「聖地公園」でも樹林縁辺部の取り扱いは、昔からのやり方(樹林の裾刈)で進められてきています。

 

 そんな「境目の場所」は、春、ちょうど桜の開花と並行するように、陽の光を浴び春植物が目を出し葉を広げ花を咲かせます。管理がされなければアズマネザサや低木、蔓植物が繁茂し覆い尽くしてしまいます。アオイスミレ、タチツボスミレ、コスミレ、アカネスミレ、シロスミレ、ナガバノスミレサイシンなどスミレ類、キランソウ、オオイヌノフグリ、ツルボなどが地表を彩っていました。少し木漏れ日のある湿地、水途があるところにはヤマルリソウ、ニリンソウなどの花も咲いていました。ヤマザクラの大木も花盛り、キブシやモミジイチゴの花も目立ちます。

 

 春の足音は、ひっそりとやって来るようですが、足取りは、結構早く、変り目も、晴れ間が3-4日も続くと様相は一変。草花の顔ぶれはすぐに変わってしまいますし、美しい花は消え、緑一色になっていってしまいます。林床も入りずらく薄暗くなっていきます。 その頃になると、水田の田起こしが始まり、生えていたナズナ、タネツケバナ、ケキツネノボタン、コオニタビラコ、スズメノテッポウ、ホトケノザ、カラスノエンドウなども土の間の藻屑となります。そして、水が入り田植えが始まります。

 

 水田の横の畦の陽だまりや木漏れ陽の下のテーブル・ベンチでピクニックをしたり休んだりする面白さや楽しみ、快適さは、お金で買えない時間と雰囲気を与えてくれます。昨年の早春、娘と春の息吹を求めてピクニックしましたが、この春は、あれから丸5カ月、周りの自然は全く変わっていませんが一人足りません。

これからも、春夏秋冬、身近に自然と触れ合えるそんな場所と雰囲気を大事にしたいものです。

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ヴィクトリア女王 今昔

 

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   まもなく平成が終わろうとしています。元号の変更は、これまで明治以降は天皇陛下崩御に伴って進められてきましたが、平成天皇はご高齢になられ、グローバル化社会と関連してご公務の遂行が大変になったこととも関係しているように思います。

 象徴天皇として、そのご公務の大変さ(国事行為、宮中行事等々)は社会のグローバル化もあって庶民の考えの及ぶ範囲ではなく重要かつ激務であると想像できます。

 

 皇室の在り方について、例えとしてイギリスのそれと比較されますが、立憲君主国としてのイギリス王室も大戦以前までは、現在とはかなり異なっていたようです。

 

 先日、映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」を見ました。ヴィクトリア女王(1819-1901;1837-1901女王在位)は、世界が最も激しく変動した19世紀に、世界に君臨する大英帝国を統率した女王で19世紀最大の女王、イギリス王室の傑女と言われています。

この映画は、女王の晩年(68~81歳)の14年間の身近な姿を描いたものでした。映画の始まりにテロップで「この映画はほぼ事実に沿って作られた作品」と表示されていました。鑑賞後にウィキペディアで調べましたが、その時代背景、激動の欧州・世界(内政~外交)の中でイギリスを動かしていった傑出した女王であることがわかります。

 この時代のイギリス中心とした動きを箇条書き的に列記しますと以下のような点が挙げられ、帝国主義自由主義が躍る欧州中心の覇権争いの時代であると言えます。  

列強の思惑と対応する英国王室  君臨して統治する 大英帝国 → 初代インド皇帝

欧州・隣国との関係(フランス、ドイツ);ナポレオン家 宰相ビスマルク

欧州王室との姻戚 (ロシア・ロマノフ王朝、ドイツ;プロイセン王国

アフリカへの野望 (西、南アフリカ、エジプト)→ 喜望峰、スエズ運河、東インド会社

アジアへの進出  (アフガニスタン1838、インド、ビルマ、中国(アヘン戦争1840;清国)

アメリカへの移民 (名誉革命ピューリタン革命)

 

また、ヴィクトリア女王の経歴は以下の通りですが、19世紀、今以上に激動する社会で、世界に君臨する大英帝国を、女王の名において統治していくことは物凄いことで、普通人には到底、考えが及びません。

 

1819        生誕      1820頃、既にイギリスは西アフリカ(黄金海岸)へ進出

1837(18歳)  女王に即位

1839(20歳)  1840 ザクセンーコーブルク家、エルンスト一世の次男アルベルト(21歳)と結婚     

          1840アヘン戦争  南アフリカ(喜望峰;マゼラン)航路と陸路

1849(30歳)  1851 ロンドン万博    

1859(40歳)  1857 インド攻略    1860 北京条約  1861;夫  アルベルト死亡 

1869(50歳)  1875 スエズ運河(インド、アジアへの覇権進出)(1878年;二女アリス死去

1879(60歳)  1887(68)  在位50周年(小松宮 彰仁 出席)   1884年;四男レオポルド死去

       1888;イタリア、オーストリア、ドイツへの外遊 

1889(70歳)  1899(80)    1897(78) 在位60周年(有栖川宮 威仁、伊藤博文出席

1901(81歳)            死去        (1900年;二男アルフレッド死去、1901年に長女死去

 

 

 今回の映画は、晩年の女王(81歳で亡くなる)の生活の中での、女王の心の在り様を情感をもって描いた作品です。対外的には大英帝国の女王として君臨するため、国の政治、経済に深く関与し実権を握り、国を動かし引っ張っていかなければならず、彼女を取り巻く人との関係で、気が休まることは一時も無かったと想像できます。

 そんな中で在位50周年行事に関係しインドから献上品の従者としてイスラム教信者のインド人が送り込まれ、女王の目に留まり、従僕として働くことになるところから物語は始まりました。彼の真摯な対応と素直で心和む表現に女王は新鮮さと喜びを感じ、身の回りの世話をさせ、同時に自分の知らない世界を学び、人間らしい姿を表すようになっていきます。それは女王の寂しい晩年において唯一、心を許すことのできる時間であり、素直な自分と向き合うことのできる世界であったように思います。

 インド人侍従、名前をアブデュル・カリームといい、敬虔なイスラム教徒であることを女王に告げ、文字やイスラムの教えの本質を伝えます。女王も素直に真剣に新しい知識を吸収し新しい自分を見つけていきました(1887~1901)。この14年の間、周りは従僕を疎ましく思っていた中で、女王は決して自分を曲げることなく最後まで身の回りの世話をさせ、仕えさせたことは、自分の心の拠り所と彼の人柄、人間性も大きく関係したのだろうと思いました。

人間同士、お互いに心を通わせることの大切さ美しさは、何時の時代、どんな世界でも重要なことなのではないかと感じました。

 平成も残すところ、あと1カ月。次の元号が何か分かりませんが世界の王室や首脳の人々が新しい天皇の誕生(大嘗祭)出席のために来日されます。

 

【映画余話】

 この映画の主役・ヴィクトリア女王を演じた女優ジュデイ・デンチは、1997年制作のイギリス映画「Queen Victoria 至上の恋」でも女王役を演じています。背格好が女王に似ていることに因るのでしょうか(ヴィクトリア女王は身長145cmと小柄で、小太りのようです)。彼女は007の映画でも有名な女優ですが。

皇位継承

 皇位継承については、イギリスとドイツ、日本とでは大きく異なり、女性にも皇位継承権が存在するイギリスでは、欧州の中で幅広い各国王家との繋がり、交流、姻戚が重要であり、事実、政略的にも覇権拡大、維持のためにも子女が王室の維持、拡大に大きな役割を担ってきていました。ヴィクトリア女王も9人の子女をもうけ、長男以外は隣接国の王家と関係を作って20世紀へ向かっています。現在のイギリス王室(エリザベス2世女王)ではチャールズ皇太子はじめ、長男ウイリアム王子、ヘンリー王子なども民間から王妃を迎えています。わが国では皇族嫡男男子として皇室典範第1条・皇位継承に決められており、天皇家の将来について女性天皇,

女系天皇の考えも取り沙汰されてきています。

 

 

  

 

白濱神社・白浜海岸

 旅の楽しみは、この歳(74)になって初めて、少し余裕をもって見たり聞いたりできることでしょうか。若かりし頃は、目的・目標があり、時間が限られ、細かな点まで訪ねることができずに過ぎていきました。今では、時間的余裕もできて、今まで知らなかった地方の自然・歴史や文化財など訪ねることができます。老い先長くない歳となって、余計にそんなことが気になってきています。

 今回の伊豆の旅も、そんな気持ちで進めました。春の訪れが早い伊豆地方、今でこそ大変有名になった河津桜は、すでに葉桜でした。伊豆東海岸の傾斜が急な山の斜面は海に迫り緑は変わりないのですが、暖かい場所では山桜がちらほら咲き始めていました。

 伊豆半島ジオパークで売り出していますが(吉永小百合のJRの宣伝でも紹介)、東と西の海岸線は急な斜面が海に迫り、地形・地質的にいろいろな特色をもっていて、半島の南北を結ぶ動線(鉄道や国道)も狭く少なく、整備も長い年月、時間をかけてゆっくり進んでいるようです(国道135-136線)。

 地形の特色で陸を繋ぐ道より、海路の繋がり、海への意識が永く続いてきたものと思います。東海岸は朝日から上る太陽が、西海岸は西の方向(極楽浄土)・入り日に沈む太陽を生活のリズムに、生きる力として続いてきたのでしょう。

 切りたった山の端に抱かれた小さな入江は、それぞれに特徴ある港と湧き出る温泉とともに半農半漁の集落で構成され、今もその姿は明確に残しています。

  東海岸を下り伊東、川奈、熱川、稲取、河津の街と海岸を巡り、伊豆下田の白浜海岸で白濱神社に参拝しました。人づてに、是非行って見てくださいと勧められた所でした。

 

 白濱神社は、伊古奈比め命神社。訪れてびっくり。由緒ある神社で境内に立つ大きな石碑に、「伊豆の国・一ノ宮」と彫られています。東西軸に細長い神社敷地、本殿、拝殿は東、相模湾・大島を背に真っ青な海と大空、鬱蒼とした深い緑の森に囲まれ、境内には樹齢400年以上の柏槇(ビャクシン)2本(薬師と白龍;県指定天然記念物)が古色蒼然かつ凛として立っていました。神域の社叢にはアオギリの北限自生樹林国の天然記念物)もあり、歴史を感じさせてくれました。史料によれば白濱神社の歴史は古く832年に所見され、三島市にある三嶋大社と浅からぬ縁があるとされています。

 昔から「絵馬」蒐集の趣味があり(もう1000枚近い)、三嶋大社の絵馬は持っていますが、それ同様の伊豆一之宮「白濱神社」の絵馬は無く、早速買い求めました(苦笑)。

 神社のすぐ隣には大明神岩の巨岩があり、岩の上には真っ赤な海浜鳥居が立っています。快晴のこの日は、真っ青な空と海と波の碧さ、打ち寄せる波頭の白、隣接する長く続く白い砂浜。東から浜に吹き寄せる風は幾筋もの波を作りながら強く浜に打ち寄せ、大明神岩の上に立つには注意がいります。手すりは無く、落ちたら真っ逆さまで海の中。

 

 日本人はどこからきてどのように国中に広がっていったか、白濱神社の社伝(由緒書)や伝承、縁起(三宅記)には、南方から海を渡って伊豆に至り、伊豆七島を産み祀り、海の民が島伝いに北上し、伊豆七島はじめ伊豆の海岸に広がっていったようです。祭神の記述では三嶋大社三嶋神三島市)、その正后(阿波神;阿波命神社神津島)、後后(伊古奈比め命神社=下田市)との関係が示されています。

 伊豆半島は60万年前以前からフィリピン海プレートが移動、オホーツク、アムールプレートに潜り、せりあがり火山活動などで生まれた半島で、その様子はジオパークと名されるまでもなく、現在のジオサイトで地形・地質の様相をたどればよくわかります。

 

 帰路、伊豆半島のほぼ真ん中、国道414号を走り、河津温泉、天城峠天城越え、浄蓮の滝から修善寺を抜け主要地方道80号で山伏峠を越えて伊豆の東側に出て帰りました。

 また、次回、別のジオサイトを訪れてみたいと思います

 

 

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ヒヤシンスの栽培・その後

 ヒヤシンスの水耕栽培は小学校の理科の課題で育てた方も多いでしょうね。年末から新年、冬の期間、部屋の中や屋外に花が少なくなる頃、部屋の暖かさで育って2~3月に薫り高い綺麗な花をつけます。店先では花が少し見え始めた頃に店頭に並びます。3球位植え付けられたのが一般的です。早春の一日、スケッチしてみました(添付写真)。

 家の中で咲いた後、見ごろを過ぎた球根はどうされるのでしょうかね?

 私の家では、十分花を観賞した後、庭(露地)に下して次の年に期待します。今年も部屋の中で十分楽しませてくれた鉢植えヒヤシンスを庭に下しました(3月9日)。

 露地では2月下旬から少し頭を出し、3月に入って暖かさに誘われ葉が伸び、中心から丈の低い花房が上がってきました。丈の低い(寸詰まり)ヒヤシンスですが中旬、日増しの暖かさに合わせて花が咲き始めました(写真参照)。

 開花後の球根は夏までに子球を作った後、腐ってしまいますが出来た新球は半年かけて大きく太って次の春に花をつけてくれるようです。春から秋にかけての肥培管理(花柄摘みや水、光と栄養)が大切ですね。複数年の鉢栽培は葉は育ちますが花は付けず駄目なようで、地植えにしています。

 水耕栽培や鉢栽培で楽しんだ後は、一度試してみてください (インターネットに多くの栽培方法が掲載されていますよ)。

 ヒヤシンス(風信子、飛信子)は地中海東部・イランやトルクメニスタンの原産、日本にはオランダで改良されて(多くがダッチヒヤシンスといわれている)、交易により1863年に渡来したと書かれています。

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