水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

東海道五十三次  今・昔  その20

 朝、目が覚めて最初に気になるのはその日の天候です。カーテンを開けると幸い雨は降っておらず曇り空、遠くの空の一部は青空で一安心でした。ホテルのレストランでバイキング形式の朝食(7時)。しっかり十分に味わって食べ、荷物を整理してリュックサックに詰め出発しました(8時)。この日の行程は水口宿~石部宿(14,4km)、石部宿~草津宿(9.7km)の24.1km。朝ゆったりと出発しましたので休憩を入れて7時間後の15時過ぎには草津に到着の予定で進みました。事前に草津でのホテル予約を試みましたが、生憎連休の3日、どこも満室の様で宿泊地の当て無しで歩き始めました。最悪の場合、JRで草津から弟のいる岐阜池田(JR大垣経由)へ廻ることとしました。

 水口宿から西見附を過ぎると道沿いに街並は無くなり、水田地帯を真っ直ぐ西に延びています。北脇縄手と言われ2kmもの直線が伸び遥か彼方まで続いていました。4km先の泉の一里塚(9時)を過ぎ、かっての横田の渡し場跡の広場には巨大な常夜燈(写真A)が建っており、昔の渡し場が説明されていました。現在は国道1号線に掛かる横田橋を渡って対岸の旧道に続くことになります。ここからは野洲川とJR草津線に沿って草津まで道が伸び左手には猿飛佐助の故郷で知られる三雲城址や八丈岩のほか、扇状地的地形の証の天井川があり(大沙川や由良谷川)東海道と交差する形の隧道(川が上で道が下)が現存していました(写真B)。そのうちの一つ大沙川隧道(1884建設)の上、堤上には弘法大師の謂れと関係する樹齢750年の大杉(弘法杉)が聳えていました。ここで草津市内のホテルに電話し宿泊客のキャンセルが無いか尋ねましたが全く無く諦めて弟の家に行く事にしました。

 

 石部宿中央で道はクランク形に曲がりますが、その角には田楽茶屋があり、少し早いお昼(月見うどん)をこの茶屋で取りました(写真C)。店の店主夫妻と道中話に花が咲き、小半時(30分)を過ごしました。石部宿から草津へは野洲川に沿って寺社を横目に歩き、途中福正寺(国の重要文化財指定の地蔵菩薩立像)や和中散本舗(道中薬「和中散」のぜさい本舗=大角家庭園;小堀遠州作で国重文;写真D)肩たがえの松、上鈎池(第9代将軍足利義尚の鈎陣跡)などで休憩したり覗いてみたりし、出発から7時間かけて24kmを踏破しました。草津の市街近くでは草津川も天井川だったようで、河川の付け替えに因り、かっての河川敷が公園や駐車場となり土手は遊歩道となっていました。かっての橋はそのまま、昔風にいうとトマソンで水の無い川に奇妙に橋だけ架かっていました。午後3時過ぎに東海道中山道の分かれ道、追分辻に辿り着き、この日の歩きを止め、岐阜へ行くことにしました。JR草津から米原経由して大垣まで、大垣から近鉄揖斐線に乗り池田駅まで移動し出迎えの弟と再会し彼の自宅で泊まることになりました。

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