水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

譲り合いの松 ---唐招提寺南門前---

 

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何時頃からか、都会人の心の中には「ゆとり」が無くなり「ギスギス」したり「とげとげ」した雰囲気が広がり始め、身近な挨拶や「微笑み」が消えそうになってきています。

 以前は当たり前であった、混んだ電車や待合室での席の譲り合いも、時間や場所が指定されるところとなり、それ以外は知らぬ存ぜぬのこと、ものとなってきています。

 「私」が主となり周りへの気遣いは無用、不要となりつつあります。

見えないのかもしれない、気が付かないのかもしれない、知らないのかもしれない。

それは反面、見たくない、気づきたくない、知りたくない、関わりたくないともいえます。面倒臭く煩わしいのかもしれません。

 人の周りに自然や緑が溢れていた時代や場所では、時に、その自然や緑に畏敬の念を持ち、心を寄せ暖かく見守ってきました。屋敷内の樹木や生垣、集落の木立や老大木などは住む人の息遣いに合わせ、時代を重ねた緑や自然として残ってきていました。時代や社会が変わって新しく進むにつれ、その気持ちや心配りは次第に消え、誰も意識しなくなり消えつつあります。

 先日、久しぶりに古都奈良の名刹を訪ねようと一念発起し、これまで訪れたいと永く思っていました寺院に足を運びました。唐招提寺薬師寺長谷寺室生寺高野山、などです。

 東寺の仏像展(立体曼荼羅の用語を初めて耳にし;ブログで既報)で密教の歴史、空海の足跡、歴史重要文化財を目にしたことも、今回の旅に大きく影響を及ぼしています。

 数多くの国宝や重要文化財を身近に見ることができたましたが、ここでは一つ、唐招提寺の参拝で感じたことを書くこととします。

 承知のごとく、唐招提寺金堂は8世紀に創建され、本尊廬舎那仏座像を真ん中に、右に薬師如来立像、左に千手観音菩薩立像、四方に四天王(増長天広目天、多門天、持国天)があります。南門を潜ると真正面に、759年鑑真和上により創建された寺院、荘厳優美な姿(金堂、講堂、食堂、鐘楼などの伽藍)が映り、参拝した朝の静けさの中、紅白の萩が咲き、砂波紋を曳く音と相まって大変印象深い境内でした。

 さらに印象的な点は、南門前の佇まいと使われ方でした。門の真正面外側、道に沿って生える1本の黒松。道幅4m程度の狭い公道。自動車の対面交通はできません。行き会った自動車はどちらかが道を譲って通るか、通させてから通過するかのどちらかです。これに似た「道と老木」の事例は全国にも数多くあったと思います。世間で騒がれた道・樹木もあれば、人知れず切り倒され道が広がったところもありました。

 世界遺産文化財の門前に位置する「松」は幸い、いまだ消え去ることなく人々の使われ方に助けられ残されています。ここを訪れる人(どれだけの来訪者が気が付くか)の目にも留まって、いつまで生きながらえることができるのでしょうか。それを決めるのは、我々「人」です。

 

願わくば、幾多の困難にめげず我が国に渡来し、仏教を広めた鑑真和上の意思と思し召しにより、これから先、未来に向け門前で見守り続けてほしいと思うばかりです。