水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

六会・湘南校舎の今

状況報告

 

「六会」それは昔の日大農獣医生にとっては、懐かしい農場実習の場所、東京・三軒茶屋から校舎が移った後は、授業校舎でしょうね。六会に移転してからのキャンパス内の環境は年々大きく変化していきました(詳細は私の退職記念誌に)。学科名も植物資源科学科から現在は「生命農学科」で、近年1,2号館が新築され昔や以前の姿形は全くありません。

 今日は毎年恒例の「学部祭:藤桜祭」でした。訪れた卒業生の方には「今浦島の様」と感じられたことでしょう。昔の面影を残すものは木々の姿のみ、その背景をなしていた建物はありません。全く新しくなってしまいました。オオシマザクラ、ケヤキの高木はおそらく昔のキャンパスを知っているでしょう(添付写真参照;1は昔の5号館が後ろにあったところ、2は雁行していた旧1号館の南側通路と北側の現在の姿、3は旧1号館正門近くの南側)。

いつか時間がありましたら「湘桜みどり会;造園緑地研究室の同窓会組織)の例会(年に1回総会があります)にお出かけください。昨日(29日)、今日も研究室の卒業生が訪ねてくれました。ありがとうございました。

 

 

f:id:nu-katsuno:20161030221813j:plain

f:id:nu-katsuno:20161030222701j:plain

f:id:nu-katsuno:20161030221637j:plain

ライン下流域でのヨシ・アシ帯におけるヌートリアの影響

先に書きましたNRW州の機関誌掲載記事で後日報告と案内しました「水辺の動物ヌートリアに関する植生研究・影響調査報告」です。

調査対象地は、FFH指定地域(Flora-Fauna-Habitat保護地区)であり自然保護地域にしてされているBienener Altrhein, Millinger u.Hurler Meer それとEmpeler Meerです。水位変動帯における植生変化は微妙な立地変化(水位、水流、水質など)それに関連する動植物の変化が生き物の生存(生息・生育)に大きく関係してきました。

この報告は主としてヨシ帯の草本類とそこに生息するヌートリアの関連を調査して報告したものです。希少種の草本類の変化がほかの生き物とどのように関連するかについて長年調査してきたものです。

 この地区は野鳥保護地区(Unterer Niederrhein)の一部にも指定され(国際、州レベルで)希少種の営巣・生息場所でもありラムサール条約保護地域(1983)に指定されています。

低地ライン川と関連し水辺陸域を含め3つの重要なビオトープタイプ(生物多様性=種の多様性保護)が存在しています。

この場所は15年前までぐらいは水位変化のある、広い静水域と推移帯(陸域を含め)を伴った場所で多様なビオトープがあり、1969年から絶滅危惧種Nymphoides peltataChlidonias nigerが保護対象となっています。ライン下流域における自然の水辺の状態(旧流路、静水域)がよく残っている地区で、1995-1997年と2015年に広いヨシ帯の調査がKleve自然保護協会の手で行われています。

それを見るとヨシ(Phragmites)は増大しましたがウシノシッペイ、クサヨシ、ガマ類;Glyce,Phalaris,Typha)は80-90%が減少していると報告しています。このヨシ帯はツバメ類*の営巣地・繁殖地として重要と指摘されています。ヨシ帯の衰退に何が原因なのか(水位変化、水質の変化の他にガン・カモ類やヌートリアの食害)調べられました。

 そこで、2015年の春から1m角のフトン籠(5cm目)を30個使った実験が行われ(設置は2014.9)、フトン籠の中にはガマ類(Typha latifolia,--- angustifolia)が植えつけられました。

結果、ヌートリアによる食害が顕著にみられ、フトン籠によるヨシ帯、ガマ類の復元の効果が示されています。

原著者と問い合わせ先; Mr.Achim Vossmeyer

info@nz-kleve.de

日本の河川にも最近、ヌートリアの生息が広がっており、具体的な水辺植物の食害や堤体の被害は報告されていませんが(侵入以前のデータが無いので比較できない)、有害外来野生動物として考えることもあり得るかもしれません。

ドイツを見習い着実で地味ながら堅実なデータ集積が各地で強く望まれます。

 

巡礼、秩父観音34ヶ所札所巡り 2

春の秩父の札所巡り第2日目。秩父の札所は秩父の地形に合わせたように分布しています。1-10番までは記事の1で書いた通り秩父盆地の市街地(群馬・長野と接する秩父山系三国山、三峰山に発する荒川は山を深く削り秩父市街地で北に方向を変え流れる)の東地区、盆地中央地区、荒川左岸西地区、そして西部山間地の4つに分けられます。札所の11-19番は秩父市街地に、20-30番は荒川左右岸に沿った河岸段丘にあり、31-34番は市街地から西に大きく離れた山間地谷筋の奥まったところに位置しています。

 2日目、市街地地区での札所巡りは、札所の寺々が南北に分布して纏まっていますが、街中では建物が建て込んだり細かい道筋が入り組んでいて札所を探して巡るにはそれなりに大変でした。

 十二番は仏道山野坂寺で重層の楼門造山門は一見の価値があり、境内の花ハスの鉢植えも多く花の寺としても名を馳せています。十三番旗下山慈眼寺、十四番長岳山今宮坊、十五番母巣山少林寺、十六番無量山西光寺、十七番実正山定林寺、十八番白道山神門寺、十九番飛淵山龍石寺、それぞれにこじんまりした本堂で敷地規模は小さめですが、本堂の勾欄や天井の絵、彫刻、絵馬にも素晴らしいものが多くありました。お昼は道すがらに持参弁当を食べ、札所巡りの先を急ぎました。

二十番法王山岩之上堂は、まさに傾斜のある段丘斜面に位置し場所の素晴らしさが際立っていました。寺院の日本庭園の良さの条件の一つに場所、位置があります。この寺は昔から旧家の屋敷で後に堂守になったとあり、先人の偉大さがよく理解できます。周りの風景に見事に調和した本堂、その園路配置と動線、視線の先の遠景の素晴らしさなど、どれも地の利が効いています。周りの自然の変化に合わせて四季折々、本堂や庭は違った美しさを作り出すと想像しました。二十一番要光山観音寺、二十二番華台山童子堂は台地平坦部の田畑に隣り合い、二十三番松風山音楽寺、二十四番光智山法泉寺はいずれも秩父盆地を見下ろし武甲山を眺める景色の良いところにありました。二十五番岩谷山久昌寺は谷頭の一部を堰き止め大きな池を持ち山門、観音堂は崖の下に残されたように建っていました。

札所の寺院は夕方5時には納経の受付を終えて閉まってしまいました。それ以後はご朱印帳に書いてもらえないこともあり札所めぐりは終了となります。

3日目は26番から30番。順番を逆に巡ることにして秩父鉄道に乗り白久駅へ。沿線の最も奥に位置する30番瑞龍山法雲寺は駅から15分、山間にあり静かな佇まいで霊感が漂う雰囲気がありました。29番笹戸山長泉院は入口部のシタレザクラの古木が有名らしいのですが参拝時はまだ桜の開花には早すぎました。本堂正面欄間の板額にあった、有名な葛飾北斎の「桜花の図」も少しだけしか見ることが出来ませんでした。二十八番石龍山橋立堂は、20番と対比できる素晴らしい位置にある札所です。すなわち武甲山を背に高さ120m、幅200mの切り立った白い断崖、自然の岩壁の下に建てられた赤色の本堂は息を呑むスケールと風景でした。二十七番龍河山大淵寺も山裾にあり後ろに琴平ハイキングコースで二十六番萬松山円融寺とつながっています。札所めぐりを逆走したために二十六番目には起伏のある山の尾根をハイキングコースに合わせて走破しました。その先には尾根の頂に岩井堂なる懸崖造りの観音堂が出てきました。これは26番目の円融寺の奥の院で山の下への石段は三百余段、下に位置する本堂は間口八間もある大きなものでした。

山形県山寺の建物を思い出し当時の人の信心の深さ、畏敬の念の強さに感嘆し、わが身も含め現生の人の心の在り方を考えさせられました。

ここまでが春の巻、残りの山深く位置する札所は秋の秩父路巡りとしました。

 

 

巡礼、秩父観音34か所札所巡り 1

地方、地域の歴史と文化を訪ねて歩くことは、素敵なことです。自由に気の向くままに、時間と空間を自ら楽しむことが出来ます。巡礼という行為は、すでに室町時代からあったとされ、江戸時代、多くの庶民に受け入れられて全国各地に巡礼道が整備されたとあります。

 「歩く」ことは、自らの健康に良いのですが、それ以上にその地その地の風景や生活文化、歴史の色、匂い、音などを感じ取れることが素晴らしいことです。

 長年、仕事であちこちを訪ねましたが自由気儘に過ごしたことはありません。退職して初めて時間に追いまくられることなく過ごすことが可能になりました。そこで、巡礼にならって各地の文化と歴史を訪ねてみようと考え、最初に秩父を巡ることにしました。

 秩父巡礼は、今年の春、秩父では春まだ浅い3月、2泊3日で始めました。まだ日が明けきらない早朝に自宅を出発、池袋から特急に乗り西武秩父に着き、すぐにバスで一番札所謡経山四萬部寺へ。そこから徒歩巡礼を始めました。地図を片手に野山を歩き、二番大棚山真福寺へ。山の中腹、樹林に囲まれた小さなお堂、ここでは納経が出来ず丘を下った光明寺でもらいました。

平地に下り西側丘陵麓にある三番岩本山常泉寺は東に開けた農地を控え、後ろは斜面の杉林、落ち着いたたたずまいでした。足は1kmほど東へ、四番高谷山金昌寺。ここも背後に樹林を擁し静かな佇まいのお寺です。最も感激したのは観音堂回廊の隅にある「慈母観音像」で大変色っぽい。大きさ僅か88cmの石像ですが一説に歌麿が下絵を描いた観音ともいわれ、大変艶めかしく魅力的で引き付けられる石像でした。

五番小川山語歌堂は平地、集落の道端。六番向陽山卜雲寺は小高い南向き斜面にあって、今は山容が変わるほど削岩が掘り進められているものの壮大な武甲山が正面に見えます。卜雲寺の本尊・聖観音は昔、武甲山山頂蔵王権現にあったものを移したとあり、武甲山と対峙する位置の意味がよくわかります。

七番青苔山法長寺、八番清泰山西善寺は共に秩父市街の東山麓、横瀬川沿いに位置し、九番 明星山明智寺、十番萬松山大慈寺、十一番南石山常楽寺は、シバザクラで有名な羊山公園に続く丘陵の周りにあって市街地の外延部に位置しています。

一日目は、この秩父市東側地区を巡り11ケ寺で足腰フラフラになり終わりました。とても歴史をたどり経を唱える時間はなくご朱印をいただき先を急ぐ有様。秘仏や寺の謂れをたどることなく慌ただしい一日目でした。

開局に当たって

 このブログを読まれる方、多くは日本大学生物資源科学部(旧農獣医学部)を卒業された方々が中心なのでしょうか。私がこのブログを始めるきっかけは、大学を去る時に多くの卒業生から、「大学に行っても、先生いないし、今後、交流の機会が少なくなりますね」と言われたことに端を発しています。辞めた時に盛大なパーティーを開いていただきましたが、その時にも同じことを聞きました。
 私自身も辞めた後に、何か自分でできることはないか、何をしたらよいか、いろいろ考えました。そんな折に、書きたい事、知らせたい事を自由に発信できるツールがあると教えられ、この開局になりました。どれだけ続けられるか、内容も身勝手ですが、それが多少なりとも見られた人・読まれた人に伝わればと思っています。

10月21日を開局日としたのには、深い意味はありませんが歴史や時事を紐解くと、この日が「灯りの日」(1981制定)であのトーマス・エジソンが京都産の竹を使って白熱電球を完成させた日(1879)のようです。また、今年もノーベル賞が取り沙汰されていますが、そのアルフレッド・ノーベルが生まれた日(1833)でもあります。今年のノーベル文学賞ボブ・ディランが選ばれましたが反戦歌「風に吹かれて」で有名になっていますが、その国際反戦デーでもあります。
 誕生日を象徴する花は「薊」で、野山に自生し多くの野生種同様、草刈にも強く他の生き物にも優しい美しい花です。
そんな事柄が該当する日に開局することができます。いろいろな意味で激しく「時代が変わる」時ですが、できるだけ無理せずに息長く「風に吹かれて」発信できればと思っています。

お知らせ 湘桜みどり会

今晩は。研究室がよく利用する富士自然教育センター(通称:FNEC)の黒田さんから、きょう午後メール連絡が入りました。来月の最初の週末11/5-6にFNECでみどり会(研究室の同窓会組織:湘桜みどり会)の企画行事が開催されるとのこと、現役学生の就活、卒業生同士の懇親会、6日の朝?には葉山先生による野鳥観察(バードウオチィング)が計画されています、とのことです。参加希望の方は、研究室(0466-84-3623)、かFNEC(0544-52-1036:黒田さん)に問い合わせしてみてください。

卒業生にも学部の新装なった研修施設を見て宿泊体験していただき(普通、卒業生だけでは宿泊できません)たいと思います。きっと楽しい企画、思い出づくりだと思います。

 

 

お知らせ まもなく学部祭

大学の年中行事の一大イベントは、なんといっても学部祭でしょうか。在学生も卒業生も楽しみにしているお祭りです。前後に準備や後片付けが用意されていて全体で5日間にもわたるお祭りです。先生方はいつも、なんでそんなに5日間もいるの、とお嘆きですが現役学生諸君にとってはお祭りに参加しても、しなくても授業のないのが一番、といったところでしょうか。

卒業生の皆さんにとっても久しぶりに訪れる学部、学科、研究室ですよね。その後どうなっているのか、誰か知った人はいるのか、などなど。出かける興味や動機が湧いてきますよね。

私も、現役を辞してから既に2回目の学部祭になりますが、この間、学部も学科もものすごい勢いで変革が進んでいます。

2-3年前までの状況と今年の状況は大きく異なってきてしまっています。新1、2号館、建物の中も屋上も、その周りの風情も以前とは大きく違います。研究室も陣容はじめ室の数や広さ、実習室など変わっています。  

次週の週末、10月29-31日、久しぶりに湘南の六会に出かけてみませんか。もしかしたら日曜日、私も様子を見に行ってみようかと考えています。 ではまた、その折にでも。

野鳥保護に関する報告など

NRW州の鳥類保護に関する報告(機関誌;NRWの自然  No.2. 2016より)

先にご紹介したNRW州の機関誌のNo.2号には鳥類保護に関する報告が4件掲載されています。一つは、野鳥保護のため、宅地居住者にこれまでの伝統的家屋構造や屋敷周りに古くからある構造や営巣場所への配慮を進めようと提案したものです。二つ目は、野鳥保護に関する機関(州の生物生態センターと州の野鳥観察所)が共同でほかの団体取り込んでいろいろな活動を州全域ないしは広域的に進めようと呼びかけているもの、三つ目は、最近の近代的でモダンな建築物ではガラスが非常に多く用いられてきており、それと同時にガラス面に衝突する野鳥の飛翔事故や死亡が増えてきて、その対策が急がれること、4つ目はその飛翔事故がNRW州ではどんな状況なのかを伝えています。

個人でできる対策、諸団体が共同して対応する内容、州の調査研究機関は現状がどうなっているかの報告、どのような活動が今後重要か、について明らかにしています。

 

 

NRWの軍演習場跡地 その2

先に書いた記事は、機関誌のNo.3号(2016)特集記事ですが、ドイツにおける軍の演習場の自然資源については、すでにかなり以前から動植物の重要な生息空間として、また歴史的な文化景観(Kulturlandschaft=culture landscape)としてその取扱いについて自然保護的意義、自然資源ー景観保全の在り方として注目されてきています(専門誌;例えばNatur und Landschaft;=連邦環境保護研究所発行;ボン)。

これに関連して、この号の最初のページに小さな報告記事が掲載されています。それは、NRW州の新しい開発計画(旧計画は1995年策定)が州政府で策定を終わり州議会に掛けられるというニュースです。諸開発計画の用地確保の数値を1日平均、9.3haから5haに減らそうという施策で進めるというもので、この計画は州の空間秩序(Raumordnung)に関するすべての規則を法的に秩序化、拘束するものです。

これらを関連付けて考えると州全体の総合計画に基づいて地域計画的、広域的計画、市町村計画のすべてが体系的に整備されていることが理解できます。この「軍演習場跡地利用」も、州の西ミュンスター地域に3か所の生物生態的拠点を生み出そうとする計画で「自然遺産・文化遺産」として確保することが考えられています。私はその実現性はかなり高いと考えます。