5月の連休終了と共に、私の東海道徒歩一人旅も終了しました。思えば細切れの歩き旅でしたが、昨年2017年の3月にスタートした時点では、いつ全53宿踏破、満願に達するか分かりませんでした。昨年の日本造園学会(日本大学湘南キャンパス開催)の交流会で、可能なら2018年の同学会(京都大学開催)に合わせて、京都三条大橋の袂に立ちたいと言っておりました。それに向けて昨年は度々東海道を細切れながら10回に亘り歩き続けました。回数では通算11回、かかった日数は延べ26日となりました(実施状況;別表)。
旅の途中、各地でいろいろなものを見、風景や地方の文化・歴史を目の当たりにし感じ、考える所も少なくありませんでした。現在の日本が抱える問題と関連していたり、これまであまり考えなかったことや昔の人が作り出して残してきたものを、現場で見て確認することは大切であることを改めて感じました。歩きの旅を終えて、道すがら感じ考えたことを整理して纏めてみたいと思います。これからの旧東海道の在り方とも関係し、また道を取り込んだ地域づくりや街づくりについての私の思いが伝わればと思っています。
<保存か育成か>
まず最初に、旧東海道、街道筋といえば松並木の風景を連想します。広重の絵にも多くの宿場の景観要素として描かれています。今回、東海道を全線歩いてみてその歴史的な現場・景観が、日本の近代化に伴う車社会により、激しく大きく変わってしまったことを痛烈に感じました。それと同時に、どうしてこの松並木の成長した時間と人のつながりに、これまでの人間は心しないのかと痛切に感じました。沿道の随所で切り倒された切株や小さな狭い場所に押しやられ、枝葉を切り刻まれ不釣り合いな老松を見届けました(写真1-2)。かろうじて「まだ生きてるぞ~」と叫んでいるようでした。
一方で、残された松並木を大事に保護し育て、地域の歴史的な景観・時代の繋がりの証として保存しているところもありました。また沿道に位置する小学校で、卒業記念として松を植樹しているところもあり、まだ時代の継承として松並木を育てる気持ちのあることを知り嬉しく思いました。
道路でもあり歴史的な遺産でもある、松並木(行政的に道路部局だ文部部局だとの縄張り意識)の在り様には関係者の広い理解と総合的な街づくり、景観づくりへの視点と計画的対応が必要だと痛感しています。あるいはまた、旧道に接する個人の人達の考え方、心意気も重要であろうと考えます。日陰になる、根が邪魔する等々の意見があることは想像できますが、しかし人間どんな場面でも幾らかの我慢と協調が無ければ心安らかに過ごしていけないのではないでしょうか。
旧東海道で松並木の美しい場所は、茅ヶ崎市(小桜町~本村地区;隣接してその名も松林小・中学校がある)、三島市(初音ヶ原の松並木=写真3、藤枝市、島田市、袋井市、浜松市舞阪町、豊川市御油町(写真4)、岡崎市藤川町(藤川小学校の記念植樹や藤川松並木)、知立市今村などで確認できました。これまでの自治体はじめ関連団体(保存会や守る会、民間NPO)の活躍や活動に因るところが大きく、そのノウハウは他の地域の参考とすべき点ではないでしょうか。 保存・保全の諸活動は今後も継続されると同時に、時間を掛けて新たに松並木の復元・育成へ進めてもらいたいと思います。
<東海道グランドデザイン>
東海道を全部歩き終って感じることは、全体と部分という点です。全体を統一するという考えは思い浮かびません。それ以上に各宿場が独自で全体を意識しながら個性を打ち出すことの方が重要ではないかと思います。宿場それぞれの only one が大切であり大切にしたい点でしょう。各宿場が地域の計画づくりの中で、街並から地域景観まで意識しあるべき姿を造り出していくことが重要だと考えます。
つまり、関係する自治体で沿道の学校・郵便局・JA、JR、道路、商店街などいろいろな人々が旧東海道を意識し、町の背骨(重要ライン)として捉え、考えることでしょう。1-2の例として、道に接する郵便局で個別・特別の消印に東海道(名前やイラスト)をいれ発信したり、街沿いの空き家やスペースの活性化をJAと地元農家が直売所・交流市として利用を考えたり、商店街が道路標示の中に店の名前(昔の店の屋号や業種;関宿、金谷宿、石部宿など)と旧東海道の名前をいれる(四日市宿や石部宿などで実施)、など地域(自治体や諸団体など)協働で作り出していくことが大切だと思います。
つまり地域のトータルデザインのなかに宿場のラインを位置づけ、住民自らで作り上げていくことが必要だと感じました。美しい宿場景観を保っている自治体は、そのような仕組みができている(例えば関宿の伝統的建築物群指定、由比宿、蒲原宿・岡部宿など)と歩きながら痛感しました。
<スピード>
旧道は1970年以降の高度経済成長の中で道路を中心として大きく変わってきました。全て「発展」の名目の中で急速に形を変えてきました。東海道を歩いてみて、①国道1号線がそのまま拡幅整備された部分、②新たにバイパス道路等が旧道に並行して敷設され昔からの道がそれに沿って残っていることを知りました。①で生活の利便性の上から町の機能が新しい道路沿いに移り、②で旧道は昔の佇まいと静けさ(旧東海道と宿場の景観)を残しています。
②の宿場では住民の日常生活と観光客・旅行者の求めるもので違いがあることも分かります。車のスピード、街並や建物の景観(ファサード)、前庭の姿、電柱や広告等々、個々の問題としてではなく街並み全体として捉え考え計画整備することが重要であると考えますが(それが簡単・容易でないことは十分知っています)。
今回の歩き旅には八木牧夫氏の著作になる「東海道五十三次;山と渓谷社」初版(2014)を常に携帯し道を確認しながら歩きましたが、この本は氏の詳細な踏査、記述からなっており大いに参考となりました。世の中の移り変わりが激しく、沿道の変化のスピード(この5年間で)はこの本の記述内容を通してもよく分かります。
<連携・共同・協働・主役造り>
別表として沿道の関係県市町村を列記しましたが、行政の中でも街づくりとして総合的に対応されて来ていると思います。今後もさらに密接な関係を持って東海道を考えて行ってほしいと思います。社会の高齢化、少子化、それに伴う小規模化は避けられない問題ですが、これまで老舗の店を守り維持してこられている事例も少なくありません。地域社会を守る上で見出しの連携、協働、主役造りは大変重要なポイントでもあります。関係する人、団体みんなが<参加・活動・情報交換>して長い目で着実に進めていくことが重要だと、今回の「東海道五十三次一人旅」で改めて痛感しました。
1=鳴海・有松の街並み(伝建) 2=由比の街並み
3=関宿の街並み(伝建) 4=草津宿の街並み
<別表1> 東海道一人歩き旅日程
1.平成29年3月11日 江戸・日本橋 ~ 品川宿 7,4km
2. 3月16日 品川宿 ~ 神奈川宿 21.5km
3. 3月23日 神奈川宿 ~ 藤沢宿 22.3km 37.000
4. 4月02日 藤沢宿 ~ 大磯宿 17.3km
5. 4月16日 大磯宿 ~ 箱根宿(箱根湯本)33.5km
6. 4月23日 箱根宿 ~ 箱根関所 12.5km 25.400
7. 5月16日 箱根関所 ~ 沼津宿 20.6km 39.600
17日 沼津宿 ~ 吉原宿 16.4km
18日 吉原宿 ~ 由比宿 20.9km 33.600
19日 由比宿 ~ 府中宿(静岡) 24.4km 42.900
8. 6月14日 府中宿 ~ 藤枝宿 22.8km 41.900
6月15日 藤枝宿 ~ 島田宿 7.7km 25.700
6月16日 島田宿 ~ 掛川宿 20.0km
9. 10月24日 掛川宿 ~ 磐田宿 19.0km 38.500
10月25日 磐田宿 ~ 舞阪宿 24.1km 43.200
10月26日 舞阪宿 ~ 吉田宿(豊橋) 28.8km 45.000
10月27日 吉田宿(豊橋市内)
10. 12月12日 吉田宿 ~ 赤坂宿 13.4km 39.500
12月13日 赤坂宿 ~ 岡崎宿 20.9km 27.400
12月14日 岡崎宿 ~ 鳴海宿 24.5km 41.400
12月15日 鳴海宿 ~ 宮宿(七里の渡し) 7.7km
========== 伊勢湾: 揖斐川・長良川・木曽川 ======
11.平成30年
4月30日 (七里渡) 桑名宿 ~ 四日市宿 15.6km 39.076
5月01日 四日市宿 ~ 関宿 30.3km 43.033
5月02日 関宿 ~ 水口宿 27.8km
5月03日 水口宿 ~ 草津宿 24.8km
5月04日 草津宿 ~ 京三条大橋 25.8km 43500
<別表2> 東海道沿道関係市町:
東京都(中央区・港区・品川区・大田区)、神奈川県(川崎市・横浜市・大船市・藤沢市・茅ヶ崎市・平塚市・大磯町・二宮町・小田原市・箱根町)、静岡県(三島市・沼津市・富士市・静岡市・藤枝市・島田市・掛川市・袋井市・磐田市・浜松市・湖西市 愛知県(豊橋市・豊川市・岡崎市・知立市・名古屋市)、三重県(桑名市・四日市市・鈴鹿市・亀山市)、滋賀県(甲賀市・湖南市・草津市・大津市)、京都府京都市