水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

映画雑感

 今年も、後残すところ10日余りと押し詰まりました。悲喜交々いろいろあった戌年、ブログの作成も今年の後半は、いろいろ大変でなかなか書けない日が続きました。

 もう2か月前の話になってしまいます。定年退職後、自由な時間に近くのシアターでロードショウ劇場では公開されない映画を見ています。普段なら単館映画館で短い期間だけ公開される名画を選んで上映しています。ここで10月25日、「英国総督 最後の家」判決、ふたつの希望」を見ました。前者はインド独立に際しての最後のイギリス総督の物語、後者は、現在紛争の激しい中東レバノン、パレスチナを舞台とした宗教と移民の問題が関係する物語でした。

 インドの最後の英国総督はマウントバッテン卿。近代世界史をもう一度勉強しなおしました。マハトマ・ガンジーやネール首相の名前は昔から聞いて知っていましたが、インド独立に関連しての世界情勢や独立への歩み・経緯の中で考えたことはありませんでした。

 映画のストーリをチラシから抜粋します。

 第二次世界大戦で国力が疲弊したイギリスは、植民地インドを去ると決定。主権移譲の為、任命された新総督のマウントバッテン卿、その妻と娘は、首都デリーの壮麗なる総督官邸にやって来る。大広間と迎賓室がそれぞれ34室、食堂は10部屋で、映写室も備えた大邸宅に500人もの使用人が使える。そこでは独立後に統一インドを望む国民会議派と、分離してパキスタンを建国したいムスリム連盟によって、連日連夜論議が闘わされた。 独立前夜、混迷を深める激動のインドで、歴史に翻弄された人々を鮮やかに描いた感動の人間ドラマ。 

 

 現在も中印国境は国の対立の火種、パキスタンは東西に分かれ東はバングラデシュ、西は今も中国、ロシアの動きが見られ、内政的にも過激派集団の動向が広がるパキスタン、火種が付きません。

もともとヒンデュー教とイスラム教徒の宗教に関連して統一インドの独立が成らず、宗教を基本として分離独立する背景が、この映画では浮き彫りにされ、その中で最後の植民地を手放すイギリス、一つの国として纏めようとするイギリスの苦悩が、総督の使用人も巻き込んで描き出されていました。国境設定に伴う宗教と関連した人々の移動(今のミャンマーとバングラディシュ間の難民にも関連)、難民・移民の悲劇も盛り込んだ英国領インド最後の6か月を浮き彫りにする真実の物語です。70年以上経過した今日でも、依然として国同士の対立、火種が燻る問題です。

 英国王室チャールズ皇太子は、マウントバッテン卿の甥の息子でこの映画の制作に関わっています。「事実は小説より奇なり」、「縁は異なもの味なもの」を地でいく作品でした。

 

 同じ日に、もう1本「判決、二つの希望」も見ました。この映画も難民、移住民、宗教の違いを背景とした作品でした。2人の男(1人はレバノンに来たイスラム教徒のパレスティナ難民の配管工、もう1人はレバノンに住むキリスト教徒の自動車整備工)が自分の家の周りの工事に関係して口論となり、次第に問題が複雑化し社会問題となり国・民族問題を含めた裁判沙汰に発展してしまう物語でした。

 ここでも日常のコミュニティーの姿が些細な一言から崩れ、対立し苦悩する様子が浮き彫りにされています。人種、宗教、国、仲間、日常生活など色々な視点から考えさせられる問題です。決して他山の石、他国の話ではないと思います。

 先日、労働力不足を補う外国人労働者の就労に関する法律を決めた日本。これまでの技術研修生制度の中で外国人労働者を迎え入れて来た、いろいろな業界、団体、会社内における日本人と外国人労働者との間で、この映画と似た問題は少なからずあったのではないか、 国や宗教の違いによる区別(差別)、習慣の違い、考え方の違い、個人と集団の違い、人間の本質は何?

 このような状況を考えると決してこの映画は見逃せないテーマだと感じました。

 あなたならどうする? 大変深い問題を含む考えさせられる映画でした。

 

この映画を見た10日後に、それ以上の悲惨で惨めで悲しく切なく辛い現実が待っていようとは。

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今年も吊し柿

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 お待たせしました。最近で、最後のブログが10月17日付でしたので、1か月のご無沙汰でした。大変激動の1か月でした。今年は夏の暑さの影響や秋の深まりの遅さで、味覚の秋も少々異常の様でした。例年なら10月下旬に済ましていた渋柿の皮剥き、ことしは11月に入ってしまいました。慌ただしい最中の貴重な一日を使って、100個に及ぶ柿の皮剥きをしました(写真参照)。

 20個ずつ皮を剥いては2個を紐を結ぶのですが、始めのうちは快調でした。でも半分過ぎには右手手首が攣り、痛くなってきましたが我慢してなんとか剥き終りました。剥き終り紐を掛け終わった柿は、例年通り、2階のベランダ軒下に吊るしました(写真参照)。

 1週間もすると黄橙色だった渋柿が赤茶けて最初の大きさから2/3位に小さく縮まってきます。秋の乾燥した快晴日が続き徐々に吊るし柿らしくなって来ています。

 岐阜の弟の所は剥いた柿の実の消毒を兼ねて剥き終った柿を焼酎に着けて干すと言っておりましたが、わが家では何もせず、そのまま天日に干すだけです。年明けに表面はしっかり焦げ茶色に変わり、萎びて表面に白点が浮かんできます。

 ドイツの友人に毎年遅れたXマスプレゼントとして送っていますが、大変珍しく、また好評でそのまま食べる以外に料理やお菓子作りに使って味を満喫してる、とあります。

手作りの「干し柿=王禅寺産」は今年も順調に進んで、100個もあっという間に無くなることでしょう。我が家には1割も残りません。毎年恒例の干し柿づくりです。

 

 

 

古木・巨木の再利用

 台風被害の記事を書きましたが、その趣旨でもう少し説明したいと思い、ドイツの事例と日本のスナップを含め写真で纏めました。

 

 1枚目は、ドイツの庭園博が、都市の公園緑地拡大整備において重要な役割を持ってきたことは、つとに有名ですが、開催テーマで既に1980年代から都市内緑地・自然の緑の重要性が大きく取り上げられていました。さらに、生物多様性や種の保護、生き物に配慮した整備と人々との協働、加えて自然素材の有効活用が強く求められて来ています(現在もなお一層)。

 公園緑地内の施設整備においても、自然教育的視点から動植物はじめ自然素材を時代性(時間的要素をどのように取り入れるか、残すか)と合わせ積極的に活用してきています。

添付写真は、その一端を示していますが、2005年の国際庭園博(ドイツ・ポツダム市)や地方中核都市の公園において、いろいろな手法でその動きが活発になっています。

 2枚目は、古木、巨木を切り倒すことへの皮肉を込めたイラスト、その再利用を探るいろいろな試みがされていることと、現実的に自然素材が、人の利用に上手く合っていることを示す状況(新宿御苑のヒマラヤスギ)です。「人工素材で中身や様相を変え得る、モダンな形が時代の先端を行く」等として年を経た事物が消失することは、見直した方が良いのではないでしょうか。身近な所で積極的に活用できるはずです。

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台風被害

 先日(9/30-10/1)の台風24号風台風だったようで、わが家も夜半から猛烈な風で家を揺さぶられ、屋根が吹っ飛ぶのではないかと心配しました。ドッ!ドッドッ、と間を置きながら猛烈に吹き付ける強風に合わせて揺れる家を、寝ながらに感じ暫くの間、眠ることが出来ませんでした。

 

 朝方、台風が過ぎ去って静かになり、夜が明け空が明るくなってきました。いつもより早く起き出し家の周りの点検を始めました。案の定、目隠し(遮蔽)として台所の出た所を囲っていました葭簀(ヨシズ)は、見事にバラバラに崩れ倒れていました。ポリバケツや植木鉢もあちこちに吹き飛んで散り散り。無残に折れ崩れた葭簀は短く切り刻んでゴミで出せるように纏め、幾らかでも使える部分は残して、新たな葭簀1枚(180cm×180cm)を買い求め、元の形に繋ぎ合わせて遮蔽葭簀を修理しました。壊れたヨシズの整理から修理完了まで2時間。大変な一日の始まりでした。

 

 数日後、校庭の緑管理で関係している日大付属藤沢小学校の玄関前校庭が気がかりで出かけ見てきました。こちらも案の定台風の影響があり、5年前(当初)に植栽しましたオリーブが風で倒されていました。さもありなん、普段の管理が良くなくヤブカラシ、ヘクソカズラ、トコロなど蔓植物が樹冠を覆い尽くし、重く圧し掛かっていました。絡んだ蔓直物を取るのも大変なため、オリーブの上部をバッサリ切り戻し剪定をしました。それからが大変、3m位でサッパリした形になったので、簡単に上げられると思いきや、どうしてどうして。余りの重さに口アングリ。荷造り紐を二重にして支え綱とし、少しずつ引き上げる始末。根鉢を整え、やっとの思いで一人で樹木を元に戻しました(後日談;足腰が痛くてホトホト困っています)。

 このオリーブの根元を見て驚きました。害虫が入っていて、オリーブ自体が虫の息。本当に皮一枚で生き残っている様で腐った部分を取り除きましたが根元全体に及んでおり、駄目かもしれません。昨今、サクラを中心として外来害虫(クビアカツヤカミキリ)の被害が広がっています。カミキリムシに特徴的な幹に入り込み喰い潰し枯らすので、このオリーブの木もそれに因る被害ではないかと思います。何とか助からないかと心しています。

 

 小学校校庭を後始末管理したのちに、学部に回りキャンパスでの様子を聞きました。学部も同様、台風の強風の為、大木が倒れて道路を塞ぎ、通行ができない状況。倒れた樹木は、あの6・7号館西側のヒマラヤスギ1979年入学生から湘南キャンパスで一貫教育に入りましたが、その前から建築整備されていた校舎周りの常緑針葉樹)でした。当時、研究室は東京三軒茶屋現在は日大危機管理学部キャンパスになっています)から湘南に移転が進められた時代で、校舎整備に合わせ、道路に接して並木が造られました(1982年までの4年間は2地区を行ったり来たりの時代)。植えられたヒマラヤスギは植栽効果(建物とのバランス?)を出すため高木並木、既に樹高10m程度あり、樹齢も数十年はあったと思います。植栽されてから40年。数回、剪定はされましたが殆ど当初のままでした。その内の1本が倒れたのです。樹齢はゆうに60-70年以上でしょうか。根元周で1,5-2mはありました(後日、切り口の年輪を見て来て報告します)添付写真参照。

 7号館の3~4階に研究室があった頃は、窓からヒマラヤスギの木の間に見え隠れする富士山を見ていた思い出があります。

 倒れた樹木はどうなったのでしょうか?

 たまたま、キャンパスの緑を維持管理している業者が倒木を小さく(1m長)切断し排出する車に巡り合いました。太さは雄に直径1m以上、数塊載っていました。私は気になって、「その木はどうするの?」と聞いたら「ゴミとして処分するように指示されています」との返事です。私は空いた口がふさがりません、「どうして広いキャンパスなのに残しておかないのか、他にいろいろ考えて再利用しないのか、小中学校や大学の学部(生物資源科学部)の性格、時代特性(グローバル社会、環境重視時代、生態系保全再利用社会、環境エネルギー時代等々)を考えてもゴミ廃棄は無いだろう、と思いました。 (古木再利用 参照)

 例えば、小学校の校庭の一部で自然素材(現場発生材)を活かした遊具として。大学キャンパスでメモリアル樹木として。木材の再利用実習の素材として。キャンパスのどこかに学部モニュメントとして残し利用する考えは出ないのでしょうか。

 しかし、それも後の祭り、学部執行部や関係教職員の中に、再利用まで意識したり動く人、時間的余裕のある人がいなかったのです(残念デス)。

 図らずも業者の人に、「勝野先生みたいな人がいないし、先生みたいにいろいろ考えて言ってくれる教員や職員がいないんだもん」と。

 走り去る運搬車を、やるせない気持ちで暫く見つめ見送りました。直ぐ後で携帯で写真を撮っておくことを忘れたことに気付き、地団駄を踏みました。

 

 かねてから、日本では緑の既存資産(時間)をあまり意識せず、価値を理解せず、切る人より何倍もこの世で生きてきた大木を、何のためらいもなく切り倒し、切り刻み処理することに違和感を持っていません。これまで頼まれた講演では、毎度その重要性を強く言ってきたはずでしたが。

 

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平成最後の藤桜祭

 研究室卒業生の皆さんへ。既に造園学研究室並びに緑地・環境計画学研究室に所属されていた方とはNULA(研究室のメール)でご案内されていると思いますが、来る10月27-28日に藤桜祭が開催されます。平成最後の藤桜祭。例年、学部祭に並行して、研究室紹介があり、現役学生諸君による造園科学研究室の紹介も行われます。学科名称も新しくなったり、研究室の状況も大きく変わって来ています(製図準備室が無くなりました。研究室は大澤教授と藤崎専任講師の2人・2室に縮小、かっての緑地・環境科学学生実験室は無くなりました)。

 学部祭は土日に開催されますので、お忙しい卒業生の方々でしょうが、久しぶりに湘南藤沢へお出かけいただき学生諸君の活動、並びに学部(湘南キャンパス)の変貌をご覧いただければと思います。因みに研究室の場所は以前と変わっておりません。

 私も日曜(28日)のお昼に合わせて出かける予定にしております。久しぶりに卒業生の方々と再会、お話しできる機会を楽しみにしております。

 

 今週末から現役学生は、造園研究分野での恒例のカリキュラム;造園学実地演習で京都の庭園見学実習に出ている模様です。私も例年同様に誘われましたが、都合がつかず不参加ですが、毎年恒例の関西日大造園研懇親会(在京の吉田博宣先生;元研究室教授はじめ在阪の卒業生有志が参加)が開催される模様です。

 

わが家の生き物

 数日前、家の周りのサツキの刈込にアオダイショウが来ていました。我が家の庭で初めて目にするヘビでした。これまでにヘビは全く出なかったので、どうした風の吹き回しなのかなーと思っています。

 家を取り巻く猫の額ほどの緑は、以前にもブログでご紹介しましたように今から42前に苗木を植栽し時間が経っていますので、狭い場所に大きくなった樹木や生垣が枝葉を広げています。最初に植栽したヒメシャラは20cm位の苗木でしたが今では6mほどの木に成長していますし、後に実生から育ったアラカシも立派な高垣になっています。ドウダンツツジの生垣は高さ1m、厚みが30cm近くです。生垣の根元にはサツキツツジがあって毎年綺麗に花を付けます。

 そんな茂みの中をニホンカナヘビニホントカゲがチョロチョロ走り回っています。2軒隣の家が立て直しをして古い家屋を解体し、隣家(同じ時期に建売で住んでた家)が家を売却したためその家も解体されたためか、その直後にネズミの侵入騒ぎが起こりました。いろいろ駆除対策をしていますが、先日、アオダイショウを見てからはパッタリ、ネズミの形跡や音も無くなりました。どうやらアオダイショウがネズミを追っ払ってくれたようです。

 ニホンカナヘビニホントカゲは依然として植木周りを出たり入ったりしていますので、まだヘビの餌食にはなっていなくて、上手く逃げ回っているようです(喜)。

 秋が深まるのと合わせ、玄関門燈周りや家の中の天井近くの窓際上の方にニホンヤモリも顔を見せるでしょう。

 秋の気配が感じられ、少し涼しくなってきた最近、シジュウカラが庭の木に戻ってきました。グジュグジュ、チチッチと枝を渡り歩いています。いよいよ餌を木の枝にぶら下げる季節になりそうです。スーパーの精肉コーナーで脂身(ラード)を貰ってきてアワ・ヒエの実を練り込んで餌ボールを作る準備を始めなくてはと思っています。

 こうして次第に木々の葉が少なくなっていき、秋の深まりに合わせて猛暑に耐えた生き物たちが戻ってきます。 

 そんな彼岸の入り、彼岸花マンジュシャゲ)も満開に近づいています。

 

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外来生物 余話

 私の以前の勤め先、日本大学生物資源科学部生命農学科(前;植物資源科学科、旧;農学科)造園科学研究室(前;造園学研究室、緑地環境計画学研究室)にも、外来生物に関係する調査研究が以前からあります。

 その外来生物は、カミツキガメやミシシッピーアカミミガメ、タイワンリス、アライグマ、セイタカアワダチソウ等です。造園学研究室は、本来、公園や緑地、所謂オープンスペースの計画に関する研究をするところですが、私がドイツでその調査研究の視点として野生動植物の生息空間(ビオトープ保全・保護・再生創出を参考にして以後、我が国における緑地計画の量的研究もさることながら質的研究も同時並行して行う必要があるとして、生き物を対象にしたオープンスペース(OS.=緑地)の調査・研究をし始めたことによります。

 かなり以前から緑地と生き物(動植物種)との関係を考えていました。セミの抜け殻と緑地、クモ類の生息・造網と緑地などがありました。生き物ではカエル(両生類)を指標にして大澤先生が、ネズミ類を指標にして黒田先生が、カメやカエル、カミツキガメ、トウキョウサンショオウオ等を対象に天白牧夫さんがそれぞれ博士論文を纏めました。

 タイワンリスを対象にして鎌倉市内の緑地で生息調査を進められたのは葉山嘉一先生です。 沢山のデータを集められましたが残念ながらいろいろな仕事に忙殺され論文にされませんでした。

 研究室の卒業生諸君の中にも、卒業研究の一環で、これらの生き物(野生の動植物、希少種、絶滅危惧種等)を対象として緑・自然・景観を考え、調査し卒研にまとめた方も少なからずあると思います。希少種・絶滅危惧種を対象としたとき、その減少の原因に外来生物が関与していることも多々あり、注意を喚起した卒研がありました。

 磯部達男、佐藤文俊、板垣一紀、芦澤航、増山貴一、今井洵子、浅田大輔、岡田昌也等々。学生の卒研調査を通して、いろいろな生き物、それと敵対する外来生物、環境要因など幾多の新たな知見を得ることが出来ました。

 現在もこの動きは研究室に流れていて、後輩の学生諸君が少しずつ続けてくれているようです。時代を先取りする研究に頑張ってほしいです。

 

外来生物との付き合い方

 先日、9月11日読売新聞の国際ページに街角ノートという欄があり、「悪役」ザリガニ名物料理、という記事がありました。冒頭の一部を再録してみます。

 「外来生物」への対応に苦心しているのは、世界中どこも同じ。ドイツ・ベルリンでは、公園の池で繁殖するアメリカザリガニの生態系への悪影響を懸念した市当局が今春、食用の捕獲許可を出した。地元レストランで売り出され、新たな名物料理となっている。 

 このアメリカザリガニ(学名;Procambarus clarkii ;エビ目・ザリガニ下目・アメリカザリガニ科、私の幼少時代(昭和30年代)子供仲間で田んぼや水路、川端で捕まえ茹でて尾部を食べた記憶があります。茹でると殻が瞬時に真っ赤に変わるのに驚いたものです。地域によって今も食されている所もあるでしょうが、都市近郊の水辺では殆ど捕まえることに興味や行動はあるのでしょうが、食べることは殆ど無いと思います。

 アメリカザリガニとは別に日本固有のニホンザリガニ(学名;Cambaroides japonicas)がありますが、1927年にウシガエルの餌用として外国から持ち込まれた後、アメリカザリガニが一般的に「ザリガニ」と言われているとあります。

 アメリカザリガニは「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」では要注意外来生物に指定され、飼育・販売が規制される特定外来生物ではありません。

しかし、水草(中には希少な水生植物)を切断したり水生昆虫(トンボのヤゴ等)を捕食するため駆除すべきだと思います。

 ザリガニに関する情報として、ドイツ・ウエストファーレン州では河川に生息する在来種( Astacus asutacus, Austropotamobius torrentium)と外来種Pacifastacus leniusculus他)の間でカニペスト(Krebspest)により生息域や生息数に大きな変化が起こっていることをe-DNA調査で明らかにしています。日本同様にアメリカから移入した種が拡大し問題化しており、それに対して新しい遺伝子調査で問題の実情を明らかにし警鐘を鳴らしているのは、さすがドイツの環境対応だと思います(私の購読しているNatur in NRW、2017・No.1.26-28)

 

 ザリガニ同様に問題なのはウシガエルLithobates catesbeiana)でしょうか。ザリガニの餌として入ってきたウシガエル(1918年に食用としてアメリカから導入)、かっては食用にもなったでしょうが現在では生息数、生息域が拡大して水生昆虫や甲殻類、魚、両生類など小型の動物を食べ、希少種、在来種を亡ぼす勢いです。2005年に特定外来生物(2015年には重点対策外来種に)指定され規制されています。昨今の人気民放番組 ”池の水全部抜きます” で外来種撲滅作戦をやって、この種も対象にされています。

 また水辺、田んぼといえば、スクミリンゴガイPomacea canaliculata)も厄介な生き物(淡水性大型巻貝)です。これと出会ったのは、私がまだ現役の頃、農村計画の現地調査で岡山地方に行った折、水田の稲の根元にピンクの大きなナメクジ大の卵塊を見た時と、台湾の農村を視察した折、水田や水路いたるところにこの卵塊が張り付いていたのを思い出します。日本ではジャンボタニシと呼ばれており、1981年食用としてジャンボタニシが台湾から持ち込まれたとありますが、今は要注意外来生物、さらに日本と世界の侵略的外来種100に指定されて規制されています。

 

 他にも外来種問題では、魚類(ブラックバス、ブルーギル、タイリクバラタナゴ、ソウギョなど)、哺乳類(アライグマ、タイワンリスなど)、爬虫類(グリーンアノール他)などがあげられます。その多くは食用やペット、釣り、愛玩用の対象として持ち込まれ、取り扱いを間違って野に放たれてしまった結果が現状を招いています。 ドイツでは食用として公園の池のザリガニ捕獲作戦を取っていますが、先の新聞記事の最後の部分を再度、再録します。

 ”公園では市の許可を受けた川魚漁師が、ザリガニを捕獲している。水草をかき分け、茶色に濁った池に腰までつかり、仕掛けた網を引き揚げる。(中略) 市は今後、繁殖状況を確認し、来年以降もザリガニ漁を許可するかどうか決めるという。(井口馨)”

 やはり、堅実に実態を調査し環境的視点や食事情の観点から進める国です。

 

 取り上げた外来生物、どれも当初の持ち込み動機は ”食材・食料”あるいは”ペット”でした。食の変化、好みの変化で食べられなくなったり、飼育され逃げ出したりした結果で問題化してきています。世の中がどうなるか分からない時代、天変地異が起こりあるいは考えられないような事態が起こって食べ物が無くなると、もしかしてこれらを含め増えすぎた野生動物も食の対象になり一斉に無くなるのかもしれませんね。近くの、彼の国の国民食レベルは、皆目見当もつきませんが外来生物などという用語は民衆レベルには無いのかもしれません。

 100歳以上の国民が7万人近くの時代です。敬老の日は100歳以上の方の祝日としましょう。

 

 

 

 

 

 

展覧会巡り  19   LOUVRE

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アントワーヌ=ジャン・グロ;1771-1835  アルコレ橋のボナパルト1796・11・17)  

ヴェロネーゼ;パオロ・カリアーリ;1528-1588  女性の肖像(美しきナーニ)右 

 

    東京乃木坂、と言っても土地勘の無い人には分かり難い場所です。青山墓地の近くでも分かりずらいですかね。日本学術会議のある場所、と言っても余計に分からないでしょうか。この地に国立新美術館が出来たのは2007年1月、設計は黒川紀章、緩やかな曲線を主体としたデザイン、建物内部の南側1階は休憩、集合スペースで吹き抜け構造、高さと大きさがよく分かります。

 今回の「ルーブル美術館展」は3か月にも及ぶ展覧会(5/30~9/3)、世界的に有名なパリのルーブル美術館所蔵の「肖像」に光を当てた展覧会でした。会期末もあって多くの人が詰めかけ鑑賞していましたが、その多くは女性でした。

 展覧会は、ルーブルの顔。「肖像芸術」「人は人をどう表現してきたか」がテーマになっています。112個の作品(美術館の8部門;古代オリエント美術、古代エジプト美術、古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術、絵画、素描・版画、彫刻、美術工芸品、イスラム美術)が5つのテーマ(プロローグ;マスク--肖像の起源、第1章;記憶のための肖像、第2章;権力の顔、第3章;コードとモード、エピローグ;肖像の遊びと変容)に分けられ展示されていました。

 

 作品の中で魅せられたものは、やはり絵画と彫刻の肖像でした。中世以降の王侯貴族の肖像は一般的に知られていない画家によるものが少なくありませんが、象徴性と具体性から精巧・緻密で華麗に描かれた姿は素晴らしいの一言です。少し前にフランス映画「ルイ14世の死」(ブログNo.134)を見ていたこともあり展覧会の肖像でもルイ14世の肖像画、彫刻には親近感がありました。とりわけ「5歳のルイ14世;1643年頃、J・サラザン作、真鍮」は精巧で可愛らしい王子の像(頭部)がとても印象的で素晴らしく見事でした。

 王妃マリーアントワネットの胸像(1782年、セーヴル王立磁器製作所のビスキュイ;素焼きの硬質磁器、ルイ・ポワゾ作)も素晴らしい繊細で細やかな磁器像。マリーアントワネットの気高く気品ある美しさを見事に表現していて感激。像の周りを何度も巡り、美しさ緻密さとその精巧さに絶句するのみ。

 

 肖像絵画では、ナポレオン・ボナパルト添付写真上左参照)をはじめ、侯・伯爵夫人たちの作品に素晴らしいものがありました。E・ブラン(1755-1842)のスカボロンスキー伯爵夫人の肖像画(添付写真下、左の上段右)には見惚れて心和み、その微笑に引き付けられました。今回の展覧会出品作品では秀逸です。それと双璧の  V.カリアーリ(1528-1588)の”美しきナーニ”添付写真上右参照)。銀色で小さい模様が刺繍された蒼いドレス、薄く透けるレースのブーケ。気品ある姿と右下方を虚ろに眺める眼差し、右手を胸に当てる様は見る人の心を引き付け陶酔の境に誘いました。F.ゴヤ(1746-1828)の絵(子犬を連れ立つ男爵の小児像)は色遣いの見事さと男の子のふっくらとした立ち姿が印象的でした(添付写真下、上段左)。

 出品されている絵画には古く16世紀から18-19世紀まで、ルーブル博物館のサロンに出品され蒐集されたものが多く、博物館の歴史の中で王国の芸術に対する見識の高さ、文化を築き上げる姿勢に歴史の偉大さを感ぜざるを得ませんでした。

 ルーブル博物館の歴史を紐解けば国や高貴な有識者、有力者たちの芸術・文化に対する考え方、支援活動(寄付をはじめとして)の伝統が脈々と繋がっていることに感服します。

 

 同じ作品を現地パリ、ルーブル美術館で鑑賞したら、また今回とは全く異なった印象を受けるに違いありません。そんな機会はもう二度と無いような気がします。その意味でこの展覧会は印象深く、時間を共有した人にも感謝したいと思います。

 

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緑ありせば  その2

 私のブログNo.127(2018.06.22)で、ブロック塀を無くして緑の生垣にしたら、との思いを書きました。あれから2か月が過ぎてしまいましたが、文科省が来年度予算の構想の中でブロック塀の安全対策支援に費用の1/3補助の事業化を考えている旨の記事が出ました。予算規模は3967億円とあります(8/22付読売新聞)。これは公立学校でのブロック塀の撤去、改修に対するもので通学路や学区内整備はもちろん含まれませんし、内容的に緑化を推進するまでに至っているかどうか明らかではありません。

 それより先に関係市町でも、素早くブロック塀の撤去、改修などに対する補助制度を創設、関係市民に参加を呼び掛けて来ています(当該高槻市はじめ関東でも東京都・区、横浜市鎌倉市など)。

 どの自治体も撤去工事の促進を目的にした補助事業の通達であるため、それに関連した地区内の環境改善や街並修景までの考えがあるかどうかは分かりません。担当部局や担当者の考え方、進め方・指導によるところが大きいと考えられます。行政的な対応ですから止むを得ない部分(関連項目のみに限定)がありますが、この機を逃さず緑の充実を前面に出したいものです(生徒や卒業生の為にも)。

 既定の長さや高さのブロック塀の撤去、フェンス整備の補助が一般的であり、関連して緑化助成の支援がある自治体もあります(新宿区)が、より強く町の緑の充実、増強をクローズアップしている地区は少ない気がします。より広い視点(町全体や特定街区)での緑豊かな街づくりを計画・推進(緑のマスタープラン・緑の基本計画との関係拡大・強化)すべきだと思います。

 同時に、その雛形としての在るべき姿(境界の緑)の充実した、素敵な学校をクローズアップした写真(美しい生垣のある学校)や情報等が示されないのは、どういうことなのかと感じています。全国の都市内に数多ある小中学校(地方の学校でも良いのですが)にそんな事例は無いのでしょうか。情報化(SNStwitterFacebook)が進んでいる現在、示されても良いのではと思うのは私一人だけでしょうか。

 別の意味で、NHKの番組ブラタモリの伊勢神宮編で伊勢市の街づくりが報道されました。その番組の中で、伊勢神宮本殿遷宮の20年と連動し街づくりを進めてきた経緯があると説明されていました。これは、都市や町村の計画づくりの在り方として、心すべき点ではないかと思います。

 ドイツの庭園博会場づくり等を例に、それを手本とすべきであると、これまでにも度々書き記してきたつもりですが(例えば2027年国際庭園博会場計画がルール地域開発協議会で2017年基本計画が策定されている)日本の緑地・公園整備の計画は今未しの感が強いです。