水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

映画;ルイ14世の死・雑感

 

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身の周り近くに、知る人ぞ知る名画館「川崎市アートセンター」があります。世界の名画、ロードショウ劇場で取り上げられることのない名画を上映しています。近くであるため、時々鑑賞に出かけています。先日も「ルイ14世の死」と「マルクス・エンゲルス」(どちらもフランス映画)を見ました。

 「ルイ14世の死」は造園学の欧州庭園史に必ず登場する「ヴェルサイユ宮殿」を造らせた王、”太陽王”と称されたフランス・ブルボン王朝14代王様が死ぬ数週間前の様子を映画化したものでした(ヴェルサイユ宮殿の庭園はルイ14世が稀代の造園家アンドレ・ル・ノートルに造らせた平面幾何学式庭園)。映画の口コミでは、なかなかの評価を得ていましたが、私自身映画としては「退屈な作品」と評価しました。しかし、2016年のカンヌ国際映画名誉パルムドール賞、2017年リュミエール賞最優秀男優賞を受賞したジャン・ピエール・レオのルイ14世役には、さすがの感がありました。

 J・P・レオは私と同じ1944年生まれということもあり、映画が製作された2016年は彼(71歳)がルイ14世の76歳に極めて近い年齢で、一目置いて見ましたが、評に違わずの迫真の名演でした。映画の場面は殆ど全シーンが王の寝室、死の間際の数週間のベット上での様子を映し出していました。ルイ14世は160cm足らずの小人だったようですが病床の王は、それとは別の威厳と貫録を示す風袋、18世紀当時のコスチュームを身に纏い、大きな鬘を付け、病と闘い死と向き合う姿は、陳腐でもありましたが同情を禁じ得ませんでした。でも・・・・

 

 それに先立って義兄の3周忌法要の為、岐阜の郷里へ出かけました。義兄の結婚式当日は私の大学入学式と同じ日(1963.4)であったために欠席、それ以来、長くいろいろな面で苦労や心配を掛け世話になったことを思い出しています。相前後して100歳で継母(伯母)を見送り昨年1周忌を済ませたばかりでした。人間の「死」、「家族」を考えさせられるここ数年ですが、そんな折にこのフランス映画を見て、人の死の様相をどう考え、捉えたらよいのか、自分の身に置き換えることも少なくありません。まして、義母が脳挫傷の後遺症で意識なく「ルイ14世」とは真逆の状態で既に1か月以上ベットに伏せって明日世も知れぬ姿を見せており、人の置かれた状況の違いと「死」の捉え方の違いに戸惑っています。

    浄土庭園は、現世の困難辛苦を耐え、来世に喜びをもたらす現世の楽園を表していますが、寺院伽藍、極楽浄土と信仰の在り様に悩む今日この頃です。

 74歳に垂んとする齢になり、体のどこかが何らかの問題を来す我が身を想うとき、映画の主役がそれほど遠い存在でないことを知らされます。火星が地球に最も接近した2018年の7月大晦日、次の大接近は17年後の2035年とか。

 それを地球上で健康で見ることが出来る我が身の存在がありや否や。 

 何とも夢の少ない有様ですが、元気を奮い立たせ望遠鏡で覗いてみたいものです。