水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

夢と希望  実現性の軽重

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 毎年正月元旦、日の出を待って新年初詣に出かける。今年も、快晴の朝、暁の空から射す美しい初日の光を背に受け、電車を乗り継いで都内・赤坂にある日枝神社と原宿にある明治神宮へ参拝に出かけた。毎年恒例の初詣であり、特段の望み・希望を持って出たわけでもなかった。新玉の年の初めに、今年も良い年になることを願って足を運んだ。新しい年に新しい気持ちで願い事をし、それを叶えてもらえるようにお願いに上がったのである。

 全国どこの神社も新年年越しの初詣は多くの人々で賑わう。都内、とりわけ明治神宮には数多くの参拝者が押し寄せ長い行列ができ、本殿から遥か離れた一の鳥居(原宿駅傍)まで参道を人が埋め尽くし動きが取れない(動かない)。本殿まで辿り着くのに、長い間人混みの中で立ち尽くさなければならない様は一度体験している。

 しかし、それも数時間で終わるようである。朝、7-9時頃になると人の波・人出も一度ひき、容易に本殿前まで行き着くことができる。私の初詣の行動もこの時間帯に合わせて行ってきた。今年も例年と同じであった。

 

 参拝者は、新しい年に希望と幾多の願いをもって詣で、叶え給えと祈りを捧げる。それは一様ではなく、身近な我が身や家族・家庭の家内安全、合格祈願、大願(心願)成就、病気平癒、良縁成就から社運隆盛、はては国家安泰まで幅広い。いろいろな願い事を年の初めに神や仏の前でお願いし、希望が叶うよう、夢が実現するよう祈る。

 

 「夢」とは、(広辞苑によれば)①睡眠中に持つ幻覚②儚い、頼みがたいもののたとえ。③空想的な願望、④将来実現したい願い、理想。(明解国語辞典によれば)A:睡眠中に様々な物事をあたかも現実の経験であるかのように感じる心的現象 B:将来実現させたいと思っている願い。C:現実から離れた空想。とある。

 「希望」とは、①あることを成就させようと願い望むこと、またその事柄。望み。②将来に良いことを期待する気持ち。A:将来に対する明るい見通し、B:こうあってほしいと望み願うこと。とされている。

 中国のことわざに:「一年の希望は春に決める。一日の希望は暁が、家族の希望は和合が、人生の希望は勤勉が決める」と記されている。時間的には精気漂う春や朝が、人の心では協調性と勤勉性が重視されているようだ。

 ドイツの宗教家マルチン・ルターは、「この世を動かす力は希望である。やがて成長して果実が得られるという希望がなければ、農夫も畑に種をまかないでしょう」と言っている。希望は実現性の上で努力すれば得られるものとして示されているように思う。

 一方「夢」は、ユダヤの格言では、「夢は叶えられないほど大きいから夢なのだ」とあるし、国民栄誉賞を得た棋士羽生善治永世名人は「夢は目指した時から目標に変わる」とし、希望よりも大きく、実現性の点から達成困難で、手の届きにくいもののようである。

 若者よ夢を持て、夢を語れ、夢に向かって進め、と鼓舞する。

(Dream)には大きさがあるようで、希望との違いは(感覚的に達成への)道程が、いささか遠く困難なように感じるのは私だけだろうか。

 夢も希望も人間、生きて行く上で常に持ち続けるべきものであり、夢も希望もなくすることは、生きて行く上での目標が(大小、遠近問わず)無くなることに等しい。夢は持ちたい、持ち続けたい、描きたい、そして叶えたい。

 夢や希望を願いとして心に刻み、神聖なる社寺で心清らかに、静かに神に祈りお頼みする。その誓いを自分自ら常に忘れず、心に刻んで日々を過ごしていくことが初詣の意義であり、重要な新年の行事であると思う。

 「夢と希望を持って、明るく元気に平成30年(2018)を過ごしましょう」

(追記) 初詣の神社で私の祈り、神様へのお願い(希望)は、今年も家族全員健康で明るく過ごせること、親戚家族やドイツの友人家族の健康(無病息災、家内安全、病気平癒等)を祈願しました。

 

 社会のスピードが速く変化の激しい今日こそ、夢の実現、希望の達成(目標)に向けて着実で弛まざる努力を重ねることが、大切だと思う。 

    自分自ら率先して努力する~~希望を持ち,絶えざる努力をする。

それが叶えられる、叶う努力、目標に向かって突き進む行為が大切である。主体的な行動(努力)と他力的な願い(祈り)の調和を図り、同時に援助・支援をしてもらえる信頼を得ることも重要である。

見えざる者へのお願い(神頼み)