水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

無くしたもの、無くなったもの、未練

 部屋の模様替えならいざ知らず、リフォームとなれば大変である。その部屋にある物、有った物すべて要・不要の決断をしなければならない。引っ越しと同じ、容赦無い断捨離の朝である。断捨離とは時間や歴史との離別、想い出との決別、取り扱いの決断である。断捨離の対象は、40年余、変わらぬ生活の過程(独身時代を含めれば50年余の生き様)で生まれ、残してきた品物である。 ここでは、それに纏わる思いを書きとめる。

 その1: 書籍

 ①和辻哲郎全集(岩波書店;全20巻)

 世によく知られた哲学書「風土」は、日本のにわや風景に関わる職についてから必読書と言われてきた。にわや風景・自然、それを生み出し見て、感じ、考える。その中に根差す日本人の感性、精神性、思想性、美意識について考えさせる書である。

 和辻の「風土」だけを理解することに止まらず、和辻の人となりを知ろうとして全集を求めた。20代の大学院生時代である。それ以来、教員生活の活動に忙殺され、残念ながら全てを読破していない。熟読出来ない内に処分の対象となった。父が買い求めた昭和初期の布製表紙の古本(風土)初版本1冊は処理することが躊躇われ手元に残した。

 森鴎外全集(岩波書店;全30巻)

 森鴎外の生涯で書かれた全著作(小説、戯曲、短編、随筆など)。医者、ドイツ文学者、海外留学者、日本の近代文学史を彩り夏目漱石と双璧をなす文学者。ドイツ留学経験という言葉に魅かれて買い求めたものの、これも殆ど読んでいない。全て積読(ツンドク)で終わってしまった。ドイツの変わらぬ街の風情の中、鴎外の滞在した家がベルリン市内に残されている。滞独中、彼の作品を読もうとして買い求めた全集であるのだが。

 この両全集は、縁あってFNEC資料室に置かせてもらっている。

 

 その2:レコード (全部LP盤、100枚余)

 大学院生時代、就職後の独身時代、結婚後の家庭で、少しずつ買い求めたLP盤であった。60枚近くはクラッシック音楽であった。好きな指揮者、楽団、演奏者、そして作曲者と曲想。時には演奏会で直接聞いた後に買い求めたり、その折々の思い出として入手した。

 クラッシックでは、ジョージ・セル指揮、シカゴ・クリーブランド交響楽団による名盤が多く、他は指揮者(オイゲン・ヨッフム、ゲオルク・ショルティ、カール・ベーム、ホルベルト・カラヤン、フルト・ベングラー、ズービン・メーダ、バーツラフ・ノイマン、ウラジミール・アシュケナージほか)による交響曲や協奏曲があった。作曲家ブラームスが好きで、その作品のLP盤が多かった。スラブ舞曲、ピアノ協奏曲1番等、今はCDに変えて聞いている。無くした盤に思いは募るものの若き日の遠い思い出と共に消えていくこととなった。

個別の楽器による協奏曲もいろいろあり、バイオリン、チェロ、フルート、クラリネット、ピアノなど。特にアシュケナージのピアノ作品はよく聞いた。今も思い入れが強い。

 

 学生時代、仲間内で話題になったのは有名楽団によるムード音楽(イージーリスニング音楽)である。1970年代多くのポピュラー音楽楽団が登場し映画音楽、演奏会で流れていた。

フランク・チャックスフィールド、パーシーフェイス、ビリーン・ボーン、ジェイムス・ラスト、ポール・モーリア、マントバーニ、101ストリングス等。 いずれも欧米の有名楽団、ムード音楽の巨匠が率いる楽団である。

音楽のジャンルでは癒しのムード音楽とも言われ、ラジオから流れない日は無かった。イージーリスニング音楽として大いに持て囃された。ジャズやロック、カントリーとは別に確固たる位置を占めていた。 東京FMのジェットストリームに同じく、夜な夜な一人悦に入り心静かに落ち着いた時を過ごした記憶がある。

そんな時代と時間の記憶も二度と陽の目を見ることも無く、耳目に入ることも無く消えることとなった。

 個別の演奏者(外国)の独奏盤も数が多かった(30枚以上)。そのアルバムを紐解くと、それぞれの時代の特徴が分かるボサノバ(ジルベルト)、ラテン・ギター(ロス・インディオス・タバハラス)、デキシーランド・ジャズ(ケニーボール)、ニーニロッソ(トランペット),オイゲン・キケロ(ピアノ)など思い出が蘇ってくる。いずれの盤も誰かと思い出を作った記念として買い求めていたため、余計に懐かしさと寂しさが襲ってくる。

 

なんと、これらの思い出深い、多くの出会いを載せた30cmの円盤100枚は、買い取り査定を受けるため「世田谷レコードセンター」へ送り出した。

 発送前に近くのレコード店に行ってレコードスプレイと拭きマットを2000円で買い、1枚1枚丁寧に手入れもして、曲への思いをメモに認めレコードセンターへ送ったのだが。

 

10日ほど経ってセンターから査定額の連絡と取り扱いの方法を連絡してきた。状態の良い(少なくとも本人はそう思っていた)名盤だと思っていたものが、何と買値は全部まとめて600円! 100枚がたったの600円??? どういうこと?)

止む無く、仕方がなく(再度引き取っても再生する機械も無いので)心残り一杯で手放した。  

 中古レコードはどこへいくのだろうか、行ったのだろうか。新たに、誰が買い求めてレコードをかけ聞いてくれるのだろうか。

他に手放す方法は無かったのだろうか、自問自答の繰り返し。

心を寄せた女性に、募る思いを残して今どうしているのだろうか、と女々しく思うに似て、何とも意気地のない未練たらたらの老いた男の述懐である。

 

 その3:写真(スライド・焼き付け写真)

 職業柄、きわめて多くの写真を撮影してきた。大半が風景(景観)や植物である。40年以上にわたり、学内外で「造園・緑地」に関する調査、研究に従事してきたため、風景でいえば全国各地、訪れた場所、季節の風景写真、植生・植物写真が殆どである。

また、外国留学や出張調査の機会も少なくなく、その折々の写真は筆舌に尽くせず膨大な数になる。退職を機会に大分、処分したのだが自分の家にも少なからず残っていた。専門分野の風景(景観)写真は、多少整理してFNECフォトライブラリーに置かせていただいているが、それもいつか対応を決めなければならない。

 我が家にあった写真、焼き付け写真はすべて廃棄した。初めてのドイツ留学時に写したものが殆どだが、撮影者以外に写真の内容・意味を理解する人・できる人はいない。言って見ればゴミ同様である。

 個別の植物の写真(全景、部分;葉・幹・花・実など)は、在職中の研究室で今後も利用が可能か、と微かな期待を抱いて残してきたが、これさえも今、今後のデジタル時代、IT時代に必要なのか疑問符がついている。撮影データが無いので無意味かもしれない。 (残されたほうが処理に困ることを考えると、何も残さないほうが賢明なのかもしれない

 

 研究室の卒業生が写る写真は処理せず残している。来年2020年は、研究室創設50年、既に50回卒業生を出すことになる。50周年記念誌が計画されている状況では、その折々の研究室学生の姿(実習時、演習時、講義時など)はページを飾るかもしれない。