水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

手紙・葉書、郵便事情の変化

 (集配日、時間を示す。「お知らせ」で土日の配達無し明示

 

 

 今日、令和4年8月6日、先の世界大戦で広島に原子爆弾が投下されて77年が経ちました。時代は大きく変わって来ていますが、ロシアや中国の最近の動き(覇権的な動き)を見ていると時代は1世紀経とうとしていますが、何も変わっていないような気もしてきます。特にロシアのウクライナ侵攻には多くの市民を巻き込んで悲劇的な惨状を世界に有りのままに伝えています。

 大戦後の技術の進歩は、特に先進国で目を見張るものがあります。超(ウルトラ)の見出しが付くほど色々な分野での高度の技術的発展は、ミクロの世界からユニバーサルな広がりまで留まるところがありません。技術を駆使し応用展開する「人間」の考えが、それに対応してどう変化してきたのか、社会がどう受け止め進めて来ているのか、進展が早いだけに付いていくのがやっと、との思いです。

 

 私たちの身近な日常生活でその根幹にICで裏打ちされたコンピューター社会、精密電子機器社会が深く、幅広く浸透し、日常生活に欠かせないもの(ツール)になっています。コロナが世界的に流行し、多くの患者や死者を出してきていますが、その影響で対人的、対面的な活動の制限が余儀なくされています(人と人との直接的交流がやり難い)。

 しかし、それも一面ではSNSが発展しラインやメール、Uチューブによる情報交換・交流が極めて簡単、かつ安易に行われている昨今です。面と向かって話さなくても事の軽重はともかく用件解決・処理にはそれで済んでしまいます。

 

 郵便事情も大変な時代に来ているのでしょうか。携帯電話が1人1台どころか複数台、所有する時代です。情報交換の速さは、一昔前と雲泥の差があります。特に郵便に限れば手紙・葉書は要件伝達、意思疎通の点では、およそ時代遅れ、特別な場合以外、相手にされなくなって来ている気がします。

 そんな、こんなで郵便物の週末配達集配は辛うじてありますが)が無くなり、静かな週末・日曜になっています。郵便書簡を出す時、火急を擁する以外はこのことを頭に入れておかねばなりません。(添付写真;ポストの表示に集配達時間明示

 最近、森鴎外への書簡400点ほどが新たに見つかったという記事(読売新聞8月5日付け)が載っていました。、森鴎外の親交の広さが、名だたる作家、政治家とのやり取りの中で再確認されることとなっています。新たに見つかった鴎外の書簡は1896年から1922年;今から100年前頃のものです。普通では書簡以外に相手に伝える手段がなかった時代、書くこと、投函すること、集配達すること、読むことが伝える術だったのです。書く時(書く人)も読む時(読む人)も、それぞれに思いを載せて時を過ごしたのでしょう。  今は、もうそういった時空の流れは希少になりつつあります。時候の挨拶、24節気72候は、古い昔のことになりつつあります。暑中や寒中見舞いも少なくなりました。賀状も、ましておや、です。

 

 私は、そんな動きに反して、変わらない時空と繋がりを求めて書き記すことにしています。