水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

原三渓展

 真夏の暑さが少し遠のいた葉月23日、久しぶりに展覧会へ足を延ばした。会期終了が近くなり行けるかどうか心配していたものの、やっと時間を取ることができ鑑賞できた。

みなとみらい36街区にある、白亜の横浜美術館。長い軸線の水と緑のプロムナード(三菱地所、グランモール公園(都市公園;近隣公園;700m);日本ランドスケープ協会賞、日本土木学会賞、造園学会賞等受賞)に面した美術館。 

 

 展覧会は、「原三渓の美術・伝説の大コレクション」で150点に及ぶ三渓のコレクションを、時代と内容で5分野に分けての展示であった。彼の生誕150年、没後80年を記念しての開催であった。

 原三渓は1868年、岐阜県岐阜市柳津町出身;私と同郷、本名・富太郎、代々の名主の家に生まれ、長じて大学(早稲田大学)卒業後、跡見女子学園教師となり、教え子で横浜の生糸豪商・原善三郎の孫娘;原屋寿と結婚し、跡を継いで事業・産業を興し国と地域の発展、芸術家の支援に大きく貢献し、同時に生涯を通じて多分野の文化人と交わり自らも多くの芸術品蒐集に力ぞ注いでいる。別名、古美術蒐集家、コレクターの代名詞が付いている。

 今回の展覧会では、原の蒐集品を時代別に分け(プロローグ、①三渓前史;岐阜の富太郎、②コレクター三渓、③茶人・三渓、④アーティスト・三渓、⑤パトロン三渓)展示解説していた。中でもやはり展覧会の中心は②、③、⑤の蒐集品である。

三渓は茶道、書画(中でも日本画)、彫像などの銘品を、自ら手掛け作庭したた名園・三渓園(国の名勝に指定)に蒐集・所蔵し多くの文化人を招いて茶会を催す一方で、若い画家の作品制作を支援してきている。

 ②のブースは平安、鎌倉、室町、江戸の各時代の彫像、絵画、書を蒐集、中では剣豪・宮本武蔵作、2枚の布袋の図絵は興味深かった。

 ③では、銘の付いた各種の茶碗をはじめ、茶会に必要な物(棗、茶筅茶杓、水指、釜など)の逸品があった。

 ⑤はその多くが、今では大変有名な日本画家達の作品(三渓と同年代の画家;小林古径、下村観山、今村紫紅横山大観前田青邨安田靫彦速水御舟)、中でも観山の「弱法師」の屏風絵には魅かれるものがあった(以前、日本橋三越で見たこともあったが)。

 これだけのコレクションには感心するばかりだが、明治・大正・昭和の激動の時代に生き、家業、事業さらには社会を牽引してなおかつ日本文化に造詣をもって蒐集したことに驚いた。彼と同様に日本文化の数々を残し伝えてきた人達(三渓はじめ小林一三(逸翁)、益田孝、五島慶太、松方幸次郎、根津嘉一郎など)の人間性に感服するばかりである。

 

 名園・三渓園1906年開園(完成は外苑1914、内苑1922年)、横浜市本牧の臨海部に位置し17.5haにも及ぶ斜面樹林と谷戸からなる広大な敷地に、由緒ある古い建築物を移築し、また茶室や母屋を設け、自然地形を生かした池と庭と樹林地から成る屋敷である。

かって屋敷はすぐ海に面し(前に海、後ろに山・樹林)山に囲まれた静かな地で、静かに茶や名画を味わい、朝な夕な、四季折々の自然と草花、生き物を楽しむ環境にあった(今は海が埋め立てられ工場が建ち周囲にその面影はない)。

 都市化の波が押し寄せ住宅や工場が建て込む本牧地区や横浜市臨海部での貴重な緑、重要な自然の空間である。

 

 季節を変えて再び名園での一時を過ごしてみたくなった。