水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

映画「モリのいる場所」と33周年展

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 以前訪れた熊谷守一美術館へ再び足を運びました。最初に訪れたのは春の訪れが早く桜満開の3月25日、皇居北の丸下、九段にある昭和館での特別企画展を見た後です。この昭和館特別企画展(展覧会巡り14 参照)を見終わった後、豊島区千早町にある熊谷守一美術館へ足を延ばしました。それ以前、読売新聞に掲載された熊谷守一に関する記事(3/3読売新聞;時の余白:編集委員の芥川喜好氏が書いた;純粋の人と心ひろき人々 の記事、 3/15読売新聞;文化部、岩崎氏が書いた;激情・鎮魂・愛らしさ、熊谷守一展 の記事)で、いつか彼の絵を見てみようと思っていたからです(展覧会巡り13 参照)。それと、新聞記事にもあった熊谷守一をモデルにした映画「モリのいる場所」(沖田修一監督、山崎努樹木希林出演の映画;日活作品)が公開され 6月9日に見たことにも因ります。

 映画は、守一の晩年のある一日の様子を描いたもので、守一役と奥さん役の山崎努樹木希林はなかなかの演技でしたが、映画からはそれほど強い感動や印象は得られませんでしたが、熊谷守一夫婦と周りの人々の日常的な様子(1965年)は見て取れました。晩年は殆ど自宅(現在は美術館になっている)から出ず、草木の茂る庭での生活で、生き物の在るがままの姿を観察・鑑賞、絵を描く日々だったとのこと。今風に表現するなら生き物に優しい、生物多様性を地で好く淡々とした生き方と場所であったように思います。

 守一の晩年の生活を想起しながら改めてその場所に立ち、作品を見ることにしました。折から旧居後に建てられた「熊谷守一美術館」開館33周年展が行われていました。

 彼の油絵、墨絵、書など103点が展示され、大変見ごたえのある展覧会で、守一の生まれ故郷岐阜つけち(中津川市付知町)記念館、岐阜県美術館など所蔵先からも借用、展示されていました。

 戦後の守一の油絵作品は、その多くが板に描かれており、絵の具の下に板が見える物も少なくありませんが、それがモチーフの縁取りとも合って全く違和感がありませんし、板の木目に合わせて絵の具を横や縦だけの線で塗り上げています。それにしっかりしたデッサン力(形や質量感、画面の構成、バランスなど)で絵に落ち着きがあり、単純な中に深みを感じます(絵からいろいろ想像させてくれる)。

 展示されている中で最も若い時代の作品「風」(1917)は色合いがセザンヌに似ていると思いました。1920-30年頃の油絵は絵の具が盛り上がらんばかりに塗り込められ(「百合」、「ハルシャ菊と百合」、「裸婦」など)、「陽の死んだ日;1928大原美術館蔵」と同じころの作品)、それらは戦後の作風と全く異なっています。若さ(時代)や激しい情念(感情)が絵に現れているような気がしました (苦難と悲しみの時代)。

 日常の動植物に注視してその姿を描き上げた油絵に、60代以降の守一の姿があります。静の中に動を、動を静として表す 純化された世界は深みがあると感じました。

 私自身も静物を描くことがありますが、全てを描こうとすると難しくなります。如何に簡単に表し内容豊かに多くを伝えるか、これほど難しい表現は無いのでは無いかと思います。

 明治から大正、昭和、平成へと、混乱から安定、貧困から繁栄、静穏から激動、伝統から革新、激しく動く社会を背景に97年を生きた熊谷守一横山大観とは全く違った画家人生。 65歳以降、30年余を静かに自庭に籠り絵を描き続けた姿は、仏様の様な気もします。