水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

ターナーの生きた時代と ”にわ”

 W・ターナーは18-19世紀にまたがって活躍したイギリスの風景画家である。彼は76歳(亡くなった歳)に「私は今から無に帰る」という言葉を残している。この言葉は何を意味するのだろうか。描く気持ち、描く心が無くなったのか。時代の激しい変化に付いて行けなくなったのか。彼の亡骸は市内のSt.ポール教会(映画マイフェアレディーの撮影地?)地下に眠っている、とのこと(私は残念ながらまだ、イギリス・ロンドンを訪れていません)。

 彼の生きた世紀、時代(1750-1850)を見ると世の中が大きく変わった時代である。イギリス王国は世界覇権を狙って地球を駆け巡り、東アジアに進出、それを支える技術の粋(蒸気機関の燃料=石炭採掘、紡織機=綿花、大航海=蒸気船、移送手段=蒸気機関車、貴族社会=紅茶など)が大きく進展した時代である。産業革命(1760年代~1830年が欧州はじめ世界を変えた時代である。

 この時代の世界の動きには、次のようなものがあげられる。

イングランド、スコットランド合併(1707) 、ヴィクトリア王朝(1837-1901)、マリア・テレージアとハプスブルグ家(1740-1908)、清教徒革命(1642-1649)、名誉革命(1688-1689)、アメリカ独立戦争(1775-1783)、アメリカ独立宣言(1776)、アメリカ大統領(J.ワシントン;1789、J.アダムス;1797、T.ジェファーソン;1801)、 フランス革命、ルイ16世(1789)、ナポレオン皇帝(1804)、諸国民の春(1820年代、世界の国々で独立)、イギリス奴隷貿易禁止(1833)。

 また、この時代に活躍した文化人、芸術家には以下の人達がいる。

 ハイドン(1732-1809)、モーツアルト(1756-1791)、ベートーベン(1770-1827)、チャイコフスキー(1840-1893)、メンデルスゾーン(1820-1895)、ショパン(1810-1849)、E・カント(1724-1804)、K・マルクス(1818-1883)とエンゲルス(ドイツ・バルメンの紡績業社長の息子;1820-1895)と共産党宣言(1848)

日本は、宝永の大地震1707)と富士山噴火、葛飾北斎(1760-1849)と安藤広重(1797-1858)、ペリー浦賀到着(1853)、大政奉還1867)と明治維新、ロンドン万国博(1851)、太政官布告1873) 。こんな時代である

 欧州庭園史上ではこの時代、大きな変化を遂げている。地中海イタリア、スペインのルネッサンス様式(傾斜地別荘の階段式庭園)から始まりフランスのバロック様式(ボール・ビコンテやヴェルサイユ宮殿庭園)さらにはイギリスの新古典様式(ストウ庭園)へと国や社会の在り方、商工業の姿、物の考え方と合わせ大きく変わった世紀である。イギリスの風景式庭園を生み出したランスロット・ブラウン(1716-1783)はその師、W・ケント(1685-1748)に師事し造園家としてストウ庭園の作庭に関わり(1741)、その後ロンドンに出てプレナム宮殿(世界遺産)はじめ、多くの庭園の設計、建設に携わり、さらに上流階級貴族の屋敷・豪邸、別荘などの庭にも深く関係している。

 

 緩やかな傾斜地形を活かした牧草地、静かに流れる川、丘の上に建つ貴族の館や城、広大な眺め、建物と庭とその外に広がる大景観とハハー(空堀)による合体、川や湖の水面、なだらかな丘の線、広がる空。それらが作り出す一日の風景(朝~夕べ)、季節毎に変える姿、その形と色の変化。ターナーならずとも魅入る多様なイギリスの風景。

 産業革命で激しく変わる人々の暮らしと都市の姿、真っ黒で薄汚れた市街地の光景、世界。自然の持つ美しさと激しさを感じつつ「美」を追い求めたターナー

 内容やスケール、色や形こそ違え、今、現在にも見え隠れする状況。

 時代の変革、暮らしの変化を感じ知りつつも目もくれず、母国を愛し故郷を慈しみ自然の移り変わりの美しさと厳しさを表現し続けた。その折々に人々の変わらぬ暮らし、生活の姿を少しだけ絵の中に描き入れた。

 今回の作品展を見て、ターナーは自然に合わせて生きてきた人、自然に贖えないけど順応して生きる人やその中に見られる普遍的な美しさを求めて描き続けた画家だと感じた。