水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

あわれ街路樹

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 温暖化(気候変動)が地球規模で問題にされ始めてから、もう大分時間が過ぎてきました。この問題は世界的に一段と重要なテーマになって来ています。それと密接に関連して生活環境における「緑、自然」も同様に重要になっています。

 「緑」では量的な確保と質的な充実、さらにはシステムとして「点・線・面」の繋がり;ネットワーク(網)の重要なことが指摘され整備・充実されてきています。都市における公園・緑地のネットワークの中で街路樹は河川同様、「線」の緑を作り出す空間として今日まで長くその充実が図られてきています。

 しかし、街路樹の置かれた位置は必ずしも良いものとは言えません。道路空間と重なる場合が殆どで、交通の機能を妨げないよう配慮しなければなりません。道路空間に自由に緑の枝葉を広げ緑を充実させることは、地上の諸施設(地上架空線、信号等)との関係からも容易ではありません。街路空間の緑の充実を図るためには、インフラとして電線の地中化が計られ都市景観の整備が進められてきていますが、でもまだ断片的、局所的です。 

 道路空間、街路空間は私たちの日常生活空間に密接したところです。長い、線的な空間で地域に網の目のように張り巡らされています。でも街路樹が登場する道路はそれなりに規模のある空間です。車道部と歩道部が分けられ歩道部に植えられています。住宅地や商店に隣接する場合が多く、そこに住む人の「街路樹に対する理解」が大切になります(人間と緑、街路沿線住民と街路樹)。都市景観、街路景観の重要部分をなす街路樹は、好むと好まざるとにかかわらず正負の効用を持っています。初夏の若葉の美しさ、秋の紅葉=落ち葉;暑い夏の涼しい日陰、冬の温かい陽射し=日陰・鬱陶しさ;花木=野鳥の止まり木、糞などなど。難しい対応が求められます。人の心のありようにも関係してきます。 

 そんな街路樹ですが、町の緑を充実させるために多くの樹木、花木が用いられてきています。緑を整備するように勧めたのも人、その街路樹を適切に維持・管理するのも人(*)、それを計画推進するのも人、この点において関係者間のコミュニケーションが重要になります。ここに「街の緑の充実」に対する共通の理解が求められます。

 「植えるのは一時、育てるのは長い時間と人」

 

*街路樹剪定技能・技術取得者:街路樹の維持管理(整枝・剪定)有資格の人が常に街路樹を管理するのでしょうか。有資格者が受けた維持管理の仕事を、資格のない人にやらせてはいないでしょうか。丸坊主の街路樹の姿を見るにつけ、発注側も受注側も、どうしたら緑の充実を推し進めることができるか、都市景観を向上させられるかを考える必要があると思います。 

 

 こんなことが・・・・

 商工会は町並みに緑が欲しかったのでしょう。春、芽吹きの緑、夏,葉がいっぱい展開した深緑と気持ち良い日陰、秋~晩秋、目に鮮やかな黄金色の葉・紅葉、冬、すべての葉を落とし、幹と枝だけの姿。暑い夏には枝葉が茂り日陰を作ってくれ、季節の移り変わりを教えて秋の深まりを知らせる黄金色の落ち葉、皆が愛する街路の緑・・・・。

 一年間の成長は枝葉を太く、長く、数多くして、街並みを飾ってきたはずなのに。 

 それは突然の出来事。毎年春先に行う成長した枝葉の剪定、と思いきや、太く成長した幹を根元から「バッサリ」。並んで街に緑を作り出していた仲間が消えた。2~3本おきに歯が抜けるように切られて、どこかへ運ばれていった。

 次の日、道行くお母さんと歩いていた子供が切り株を見て「木が切られてしまってかわいそう」と呟き、次の次の日、切り株にマジックでそれを書いてくれた。

 

 でも、ちとやそっとで死なないぞ~。「僕はまだ生きてるんだ~」と根元から元気よく緑の芽をいっぱい出した。

 この街路樹は、この後どうなるのだろう。