水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

街路樹その後と大木

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私のブログも既に5年以上経過し、昔書いた記事は何だったのか、何書いたかを思い出せないくらい、私も年1年1年歳を取って先が気になるようになっています。

昨年の同じ頃(5月20日)に「哀れ街路樹」を書きました。その後が気になって、最近同じ現場を見に行ってきました。枯れてはいなかったのですが以前とは全く違った姿になって、「生」を主張していました(昨年の記事を参照)。

 街路樹は、基本的に公共空間(道路)沿い(歩道があればその脇)に植栽され街の緑の景観を形成しています。街路樹の緑は都市の中で「線のみどり」を形作り緑のネットワーク(緑の網)の重要な部分を形成しています。公共空間であることから、その生育には支障が無く自由に大きく育つ、と考えられますが、そう容易く単純ではないようです。

 道路と密接に関係することから「道路構造令」との関係で縛られますし、隣接する私有地との関係から「人」の生活とも深い関係にあります。前者は道路上のみどりの在り方と深く関係し、公共空間といえども道路上に緑の枝葉を茂らせることは容易ではありません。道路交通や架空線に支障が無いよう樹木管理がなされます。下枝高の高さは運転者に交通標識がきちんと見えるように管理されますし、電線の邪魔にならないよう点検されるので、自由奔放に枝葉を茂らせ緑豊かな道路を作り出すことは容易ではありません。毎年、冬季剪定され自然樹形とは別の樹形になります。一度主幹や太枝が切られると、切り口から複数の枝葉が出、樹形が変わるばかりか管理量も増えます。

 後者は隣接住民の考え方、生活と密接につながっています。住民にとって新緑の美しさ、花の美しさ(花を付ける樹木の場合)、夏の日影、晩秋の紅葉等は「+」の評価でも、落ち葉や日陰、枝葉の落下、陰翳は嫌われ「-」に評価されてしまいます。

 行政側は、公共サイドの維持管理方針に沿って維持・管理がなされ、都市内の緑として認識・評価はされるものの、街の景に新しさが盛り込まれることは少ないと思います。

 

昨年初夏に書き込んだ「あわれな街路樹」(2020年5月20日)も1年を経過してどうなったか見てみるのも今後の方向性を考える上で意味があると思います(添付写真参照)。

  樹木は切られることにより(特に主幹)直ちにその切り口で、その「生命力」を強く旺盛に表現し復元しようと努め、(沢山の枝葉が出て競い合う形になる)極めて多くの強い枝が出現します(添付写真参照)。この有様をどのように、どんな姿・形に誘導、管理していくのでしょうか。初春に丸坊主よろしく枝切り詰めが行われる例も少なくありません。

 

 街路樹だけが特別というわけではありません。住宅の周りや宅地内にある樹木も同様です。大きくなったから伐採、根切、枝切り・枝降ろしされるのも、同じことのように思います。行き当たりばったりで対応(切り倒せば済む、無くせば問題なし等)せず、計画的に(人の考え、気持ちを)捉えて樹木を維持管理し、適切な対応を図ることが街の緑を大きく育て、緑豊かな街を作るうえで大変重要なことだと思います。