水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

北斎・余話 その1

 北斎の諸国風景描写の原点は、40歳代から50歳代の頃、盛んに旅に出て描いています。さらに70代になり富嶽三十六景や諸国瀧廻り、諸国名橋奇覧の大判錦絵や漫画を出しています。年齢に伴った老いの欠片は微塵もなく、引っ越し転居を繰り返しながら作品制作に邁進していたことには驚かされます。

 大英博物館北斎の展覧会で見た「飛越の堺つりはし」は、以前、東京葛飾北斎美術館でも見ましたし、昨年(2021)是非見たいと期待していました「ミネアポリス美術館・日本絵画の名品」展(4月14日~6月27日;コロナの猛威のため止む無く断念しました)でも蒐集され出展されていたことは、事前の案内記事(読売新聞;2021.06)で知りました。それだけ広く世界から注目され蒐集されていた初期摺りの作品は、やはり凄いのですね。

 北斎の版画は当時から大変人気があり沢山摺られていましたので、アメリカやイギリスに広く存在することは驚きでもありませんが、19世紀中ごろから、その価値が認められ博物館や美術館に収蔵され、広く鑑賞されていたことは新しい発見でした。北斎の版画が200年程経った現在でも、その大胆な構図、画面構成、人や生き物の配置、風景の情感、色使い等、観る人に大きな衝撃を与えていることを、作者北斎は考えていたでしょうか。

  カタログを見ていたら、北斎版画を世に売り出していた彫師(工)の名前が書かれていました。その名は江川留吉。幾多の錦絵や大判錦絵の版元の名前も示されていました。西村屋与八や森屋治兵衛などです。とりわけ西村屋は、北斎の絵の中に版元の家紋が入っていたりするもの(富嶽三十六景 相州仲原の荷の紋所など)もあり、北斎も機知に富んだ人物であるとも思いました。