水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

北斎 余話 その2

 浮世絵木版画、諸国名所図絵と言えば北斎富嶽三十六景や諸国瀧廻り、諸国名橋奇覧の他、安藤広重(歌川)東海道五十三次や江戸名所百景が良く知られています。この北斎と広重はほぼ同じ時期(江戸時代後期)に諸国の風景や風物を描いています。北斎は1760年~1849年(享年90歳)、広重は1795年~1857年(享年62歳)、年齢差35歳、親子ほどの年齢差がある中で、浮世絵版画が一世を風靡した北斎の時代、その天才浮世絵作家を追い越そうとして時代の荒波に漕ぎ出した広重。北斎亡き後、広重は60歳目前の1852年、北斎に倣って「不二三十六景」を描いています。江戸の名所はじめ関東(武蔵、相州、甲斐、上総下総)各地で富士を取り込んだ風景の浮世絵版画を生み出しました。

 絵のモチーフを探し、技法を習い研究、自分らしさを追求し辿り着いた諸国の街道宿場の折々の景、江戸をはじめ関東各地や諸国で富士を取り込んだ景、朝夕や四季の様相変化を捉え情感あふれる風景・風情を描いています。広重にとって北斎は浮世絵版画の習うべきでありライバルでした。「神奈川沖波裏」に倣った「相模七里ガ浜風波」や「駿河薩夕之海上」の他、北斎の「尾州不二見原」(桶づくりの景で桶の後ろはるか彼方に富士山;槍鉋を使う大工、欧州の遠近法を使った絵)を見た広重がそれを模して「葛飾翁の図にならって」を描き到底及ばない、と常に師と仰ぎ神と崇め近づきたいと考えていたようです。       

 北斎の大胆で個性あるダイナミックな動きのある表現に比べ、広重のそれは情感や佇まい、風景と人の息吹が感じられる軟らかな表現になっているように思います。広重の江戸名所図会や東海道はじめ他の街道宿場の風景は情緒があり、静かな内にも動が隠されて味わい深いものになっています。江戸後期の浮世絵版画で、この二人は世界に大きな影響を及ぼした両巨匠です。