水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

地球温暖化と生活

   昔、と言っても自分の幼少時から青年時代の事(大学に入る前までの昭和38年以前)。岐阜県美濃の西濃地方は、背後に日本海に面する福井県と隣接し、冬になると雪降りが多く、山間地を越えてくる雪雲は山裾に多くの雪をもたらす。雪が降る前になると「雪起こし」と言われる強風が吹きつける。特に天下分け目の合戦で有名や関ケ原は繋がる山間地が切れる所で毎年積雪は多く、太平洋側では珍しく時に1m以上の積雪となり、日本の大動脈の集まるところで交通に支障を与える。私の故郷は、その関ケ原の隣、池田山地の麓である。

 昔からの書院造の家で南側に縁側がある作りで、縁側は障子と雨戸で外と接している。掘り炬燵に入って、ガラスの入った障子戸が縁側にあり、外を見ることができる。白濁した空から雪が舞い白いカーテンとなって散り、白い雪が逆光で鼠色に見える。

軒下は庇が短いので40-50cm位しかなく、雪は縁側のすぐ傍に積もる。沓脱石の上まで雪が積もり、屋根から落ちる落雪と重なって雪解けの最後まで残っている。客間に掘られた掘り炬燵(畳下を掘り下げた掘り炬燵;炭火が暖の元)は客人が来ない時は家族の団欒の場所、皆が暖を取る場所であった。

 

 子供時代も冬になると、この寒さを防ぐため、やや厚手の股引を穿くのが常であった。寝るときの暖を取るのは、陶器(素焼き)黒塗りの行火(火燵)。縦横高さ30cmほどの行火は四方に穴(窓)が空けられており、その1つは火種を入れるために大きく開いている。そこから火種を入れた火鉢を入れる。素焼きの火燵は古い和紙が張り合わせてあり罅割れを防いでいる。冬の寝床は薄い煎餅布団の真ん中が盛り上がった姿であった。どこの家庭も冬はそんな光景であった。

 

 冬の寒さが厳しかった田舎の生活では、股引は欠かせなかった。ズボンの下がモコモコで格好悪くても寒さには勝てない。素材はネル、色は国防色(黄土色)、厚地で洗濯後乾くのに時間がかかる。寝小便でもしようものなら。

 

ネルの股引は懐かしくなってしまった。冬の寒さは昔と違うのだろうか。

 

 父親の着替え姿を子供ながらに見ていたことを思い出す。父は夏のズボンの下に木綿の薄いズボン下(ステテコ)を穿いていた。汗を吸い取る下着で木綿地の薄いものである。冬は股引が主流であるため、夏の下着であった。それが、時代と季節を替えて冬の高齢者の下着になっている。私の下着は以前から夏でも冬でも変わらずステテコである。

 冬の寒さ、冷え込みの有り様が昔と大きく違ってきているのだろうか。

 

 私も老年の仲間・後期高齢者(75歳以上)で、冬の寒さには一段と敏感なはずであるが、昔、父が使っていたネルの股引は久しく使っていない。死語になりつつある。

 

  近年、衣類の内容も変わって来ている。機能は変わらずも素材や呼び名が変わったり、新しい素材も登場している。寒い冬の下着として、ヒートテックなるものが登場。冬の下着がともすると、モコモコ感が拭えず着用を控える人も少なくない。そのため冬でも暖かい素材として厚地のヒートテックのズボン下が登場。素肌にピッタリ張り付くような下着で保温性が高い。何時頃からか冬の下着として広く用いられてきている。

 

 そんなヒートテックの下着があるものの、今年の冬は使用するほどの寒さが無かった。何時寒さが来ても大丈夫なように下着の抽斗に入っていた。でも、今年の冬はそれを使うほど寒さが際立っていなかったようである。つまり、ステテコで冬を越えてしまった。

  これも、地球温暖化による冬の寒さの鈍化と関係しているのだろうか。