水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

住み慣れて50年・家の緑は今

 


樹木の生長を見るには樹木の高さや幹の太さを計ります。樹木の太さは地際の太さ(地際直径、地際円周)であったり、人間の目の高さの太さ(目通り直径、目通り円周)であったりします。

 緑の計画や設計・施工に携わる者としては、なかなか厄介な問題でもあります。大学で造園学や生物学を学んだ者としては、植物(樹木も含め)は全て日々成長を続ける生き物、日々の環境に応じて生(=成長~枯死に至る)を発揮し遅速の違いはあっても留まることはありません。植物の分類で草本類に一年草、二年草、多年草があり、樹木にも成長量や成長速度に違いがあり、それは夫々の用途と関係してきます。

 造園、緑地計画ではデザインや用途により草花をはじめ多くの樹木が使用されます。そのデザインの内で、空間デザインと並び植栽デザインは特徴ある雰囲気を作り出すために、その材料となる樹木類に関する知識が重要となります。

 時間と空間を考え、さらにその空間の使われ方や雰囲気づくりの材料となる樹木は長い時間を持った、要する物でもあります。

 植栽を行うときに空間デザインの最終形(景=完成形)が求められる場合もあれば、時間をかけて育て、作り出したいと考える場合もあります。たいていの場合は前者①で、後者②は個人的な考え方、主張に因る場合が少なくありません。

 ①の計画図では完成形に沿って植物の種類や量が決められ、それに沿って金額が積算され工事費が決められます。建設整備が進み竣工時が完成形であれば、外部空間の緑もその形が求められます。大きな樹木や大きな根株が要る樹木等には、それ相応の広さ・深さの場所が必要です。

 そうでない場合(個人の意向で「みどり」を育てる)、樹木などは苗木が植栽されるでしょう。1m程度以下の苗木を植栽し、時間をかけて育て、緑を充実させていく方法もあるでしょう。

 

 我が家の、取るに足らない狭い外部空間(隣接境まで1mも無い敷地)で緑を充実させるためには、建物竣工当初から大きな緑を作ることはできません。限られたわずかな場所に苗木を植え、育てることで緑を豊かにする以外に方法はありません。

接道部や隣地の堺は生け垣や蔓植物を使う方法があります。いずれにしろ目を行き届かせて成長を見守り、育成管理していくことが求められます。我が家の庭の変遷を見てみましょう。

 

 今、庭の樹木で樹高 3m以上ある木の根元の太さを計りました(いずれも地際直径)。

 ヤマザクラ:22cm ヒメシャラ:16cm アラカシ:20cm、24cm ブナ:19cm、22cm

 クヌギ:23cm  キンモクセイ:25cm  (目通り直径ではこれ以下ですが)

 

 4mを越えて成長する樹木は先端部を切断する(主幹や徒長枝、新梢など)か枝降ろし、整枝剪定を毎年行うことが必要となります。これまで年甲斐も無く樹木に登り枝降ろし、整枝剪定をしてきました。でも、昨年から寄る年波に勝てず、身の安全のため目下自重気味です。写真は75歳以前の樹上での作業姿です(笑)。

1977年に柿生駅近くで宅地を入手(丁度、建売住宅の土台を作っていました)し、少し家の内容を変更し建てました。同時に家が立ち上がるのを待って周りの部分「にわ」に植栽をしました(写真参照)。どれも小さな苗木ばかりです。  それが50年経って、、、、

 

新旧の写真を比較して1977年に植栽した苗木は、ヒメシャラ、ドウダンツツジ、記念に頂いたブナの盆栽、以後は、ただただ成長を見守るだけでした。うち、ブナの盆栽は「窮屈な鉢での有り様=丈20cm程度」にいたたまれず、「地」に下ろしました。それが今では、、、、

ヤマザクラは2代目です。初代は1980年頃、野外調査地・千葉の雑木林から長さ30cm位の幼木を持ち帰り植えました。場所に合ったのか他のコナラ同様大きく成長し庭や私道部を覆うほど成長、(隣家から落ち葉や落ち葉焚きの苦情を受け)止む無く根際から切り倒しました。そうしたら、目論見通り、ひこばえ(新梢)が出て現在の姿になっております。数年前より春、楚々としたヤマザクラの花が咲いています。一昨年には家の壁の傍で大きくなった(6m位)クヌギを卒業生・宍倉君に切ってもらいました。これも次の春、根元付近から沢山の萌芽があり、枝方向と勢いを見ながら枝を整理しています(もう3mほどにまで達しています)。角地に植えましたキンモクセイも昨年、1/2位までに幹・枝を切り詰めました。

 これら以外にもコブシなど2-30cmの幼木を植えたところ今では3m程になり季節の花を咲かせています。こちらも数年後には地際で切ることになるでしょうね。

 

自分自身が今後、どれくらい長生きできるか分かりませんが、生きてる間はいろいろ考えて樹木の生長を見ながら伸びすぎないよう切り詰めしなければなりません。この世からおさらばしたら庭はどうなるか、樹木はどうなるか、誰も知りません(後の人が考えてください)。