水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

落ちたところが悪かった

久しぶりに散歩に出ました。何時以来でしょうか。コロナ(covid-19)で国中が大騒ぎになり始めて丸2年になります。すったもんだのオリンピック、パラリンピックも、何だかんだと言いながら大過なく終了しました。何時、何処からこのコロナ大流行が始まったのかも、ハッキリしないうちに時間が過ぎて、この大騒ぎも沈静化し、波も少し弱くなったように見えます。時間は確実に進んで、そんなことと全く関係なく日が昇り沈んで時が変わり、春から冬へと季節が移り、自然は関係なく動いていきます。

 

この植物(木々)は、何時、この場所に根を下ろしたのでしょうか。

 

 ①モチノキの赤い実はどのようにしてこんなところに転がり込んだのでしょうか。どこかの庭にあった木が赤い実を付けて通りに落ち、降り続いた雨水と一緒に雨水桝へ辿り着いたのでしょう。 それからどれだけ時間がたったのでしょうか。

 ②ケヤキの木は、街路樹に多く植えられています。その実は沢山の葉と一緒に地上に降り立ちます。風に乗って遠くへ行くものもあるでしょう。でも路上に振り落ちた種は風によって道路脇の吹き溜まりに集まり、強い雨水の速い流れによって木の葉と一緒に雨水桝まで流されます。桝の僅かな隙間にしがみ付いて流されなく留まり、そこが生きる場所になったのでしょう。近くの店の人に大きくなっては切られ、切られても伸び、また切られて伸び、盆栽のようになってしまいました。升目から日の当たる上に出られるだけでも良し、です。升目の下で伸びられず枝、木が桝の中にいるものがいます。

 ③ハルニレの実も街路樹の落ち葉と同じく路上に舞い降り、道路の曲がり角の小さな場所にカゼクサと一緒にしがみ付いて「生」を表現しています。隣の大きな仲間の街路樹になりたいなー

 

 モチノキ以外は何度も刈り取られ、その都度、再び緑の枝葉を伸ばし今日まで邪魔者にされながら、耐え抜いて生きてきています。これからどの位、この場所で生きながらえる事が出来るのでしょうか。ケヤキとハルニレは道路管理者により「邪魔者」として切られるでしょう。モチノキは幸い個人の家の玄関前で、網目鋼鉄の蓋を物ともせず飲み込んで太って来ていますが、これもいつまでその姿を留めてくれるやら。

 

 運が無かったのです。しがみ付いた場所が悪かったのです。でも千に一つの生きる可能性があったので、今日まで、これまで、ここで小さなみどりを広げてきました。しがみ付けずにゴミ袋に入れられ、運ばれ、捨てられた仲間の、何と多い事か。

 

 2-3か月後にまた、見に来てどうなったか見てください。それだけが今の私たち3本の木のお願いです。

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